おめでとう、とは言ってもらえなかった話。

おめでとう妊娠です、と医者は言ってくれなかった。また来週来てください。袋が見えます。こっちは栄養の元です。――影で映るいろんなものに何を疑うのか分からなかった。何千回と繰り返してきた台詞なのだろう。私の耳には初めてで、聞きとることに必死だった。

鼓動を始める前のこと。いのちの始まりがあやふやだと思いもしなかった。2割強(注;年齢によって確率はかわります)が流れていくとも知らなかった。どれだけたくさんの女の人が生まれてくることのない命を命と期待しながら見送ってきたのか知らなかった。

栄養を使っていないということは胎芽は育っていないのです。何のことかわからなかった。手術は早い方がいいでしょう。何のことかわからない私に畳み掛かる意味をなさない言葉。波に飲まれて溺れそうだった。もう一週間だけ待ちたいです。やっと絞り出した私の返事。医者はただ目でうなずき何も言わなかった。

一週間後緩やかに脈打ち始めた、機械を通して聞こえる拍動に私の心は弾み始める。医者は胎芽の脈を説明する。無知な私の期待を凍らせる、ため息のような声で。大人と同じじゃダメなんです。倍打ってないと。もうすぐ止まる。さあいつにしようか。早い方がいいでしょう。

それじゃ何のために鼓動し始めたのだ。生きているという発信を聞きながら、排除するための計画を立てる。

生命はいつ始まるのだろう。その子は「生きて」いたのだろうか。生まれない命は自然の、自然による淘汰である。理屈ではそのように説明がつくらしい。手術に同意するサインを促される。私は私の体と分かれることなくずっと生きなくてはならなくて、だけど私の中のそれは私では確かに私ではない存在なのだ。涙がこぼれる。

背中を優しく撫で続けてくれる手は手でしかなくてそのあたたかさが私をここに座らせて、まるでなんでもないように手術について質問をするこの体を支え、魂が体を離れそうになるのを、つなぎとめていた。

もう十年前のこと。


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