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美斯樂(メーサロン)と北京人おっさん 1

タイ北部チェンラーイ県の小さな村、メーサロン。中国語で美斯樂と呼ばれるこの村は、国共内戦に敗れて遥か雲南省からビルマ、そしてここタイにまで逃げ延びた国民党軍の落人村である。1980年代に国民党軍がタイ政府に投降し、恭順を誓うまではタイ政府の統治が及ばなかった土地だ。今でも村の学校にはタイ国旗と並んで中華民国国旗がはためき、台湾から送られてきた教材を使った中国語教育が行われている。

さて、私は諸々の事情から友人とこのメーサロンで合流することになっていた。私はしばらく滞在した近隣の村から、村の人のご厚意により車で送ってもらって前日にメーサロンに辿り着いていたが、友人は県都チェンラーイから公共交通機関を乗り継いで来る予定であった。合流当日、彼は順調にバスで経由地のメーチャンに辿り着き、あとはソンテウ(トラックの荷台に椅子をつけた乗合バス)でメーサロンまで到達する予定であった。

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しかしここでトラブルが発生する。回族の営むハラール中華料理店で朝飯を食べていたところに友人から電話が届いた。

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饅頭
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紅燒牛肉。饅頭2コと合わせて180バーツは高い。


「いまメーチャンで中国人のおっさんとおるんよ。運転手がソンテウ走らせるのに一人200バーツいるって言うとるんやけど、おっさん曰くコロナ前は60バーツで行けたから運転手がボっとるんやと言うとるんや。せやから現地の人にソンテウの値段聞いてくれるか?(要約)」

レストランの人に訊くと、たしかに60バーツらしい。しかし、後になってわかったことだが、これは定期路線の運賃であった。コロナ禍で観光客が減っていたため、ソンテウの定期路線が運休となっていたのである。よって一人200バーツという運賃もソンテウをチャーターして走らせるならばそれくらい要るという話だった。

その後おっさんは市場で中国語を喋れる人間を探し出し、結局別のソンテウをチャーターした。おっさんと友人はズンドコ山道を上り、ようやくわたしとの合流を果たしたのだが、これからが災難であった。私が中国語しか喋れない多動北京人おっさんの通訳をしなければならなくなったからである。


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