巨女ノ国 ~#005~
小人の村の住人は、生きようと思えば140歳まで生きられるのに、なぜ100歳よりも前に命を絶ってしまうのか?
それは、誰にもわかりませんでした。
ただ一つ言えることは、「小人の人生140年時代」というスローガンを掲げたことから、生きることのリスクが際立ってしまったことが原因の一つとしてあげられます。生き続けることによって小人たちの間に生まれたのは、「倦怠感」と「絶望感」でした。長く生きることが夢物語であった頃には想像もつきませんでしたが、実際に自由な時間をたくさん手に入れても、その時間とどう向き合っていけばいいかのノウハウが彼らにはなかったのです。「長く自由な時間」は、小人には荷が重すぎたのです。
「あれほどまでに欲しがっていた自由が、こんなにも重く苦しいものだったとは・・」と自ら命を絶った小人の数は何人いるかわかりません。何かしら制約を受け、縛りやしがらみを感じ、その枠の中で自由を望むくらいの方が、多くの小人にとっては幸せだったのかもしれません。
しかし、テクノロジーの力で140年まで生きることが可能になった以上、小人はその現実を受け止めて生きていく必要があるのですが、やはり荷が重過ぎると感じる小人は多いのです。
単に「生きることに飽きる」だけならまだしも、「絶望」ばかりが肥大化し、希望を抱きにくいのが小人の村の特徴でした。絶望こそ、死に至る病。小人の村は閉じた島国のようなところなので、村社会の延長線での生き方しか知りません。その結果どうしても閉鎖的になり、絶望が蔓延しやすい風土があったのです。絶望は伝染し、心の奥深くに刻まれるものなのです。
「絶望が蔓延したら、変わりに希望で埋め尽くせばいいじゃない!」皆様はそう思うかもしれません。しかし、小人の村では「現状維持」が最優先されるため、希望をもって生き続けることはとても困難なことだったのです。絶望と希望は決して半々の割合ではなく、98%の絶望と2%の希望のはざまで、小人たちは常に振り子のように気持ちが揺れ動いたり、一喜一憂しながら生きていたのでした。
巨女ノ国を目指そうとしている五人の若者たちは、この2%の中に含まれる者たちです。数字で言えばたったの2%ですが、その密度や濃度は極めて濃いものでした。
その五人は、今の小人の村の現状を良く見据えていました。そして、巨女ノ国へと向かう意思を確かめ合うように、これからのことについて話を始めました。
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