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傘がひっくり返って大活躍‼️

令和5年6月11日(日曜日)

おはよう🕑🍪🥐☕𓈒𓂂𓏸☀️.°͛.*🍃さん

本日も、どうぞ宜しくお願い致します✨️

本州の南岸に梅雨前線が停滞し、北海道を除く広い範囲で不安定なお天気です
九州から関東に掛けての太平洋側では、大雨の可能性があり、土砂災害や道路冠水に警戒が必要です

今日も私は、軟禁状態の病室で大人しくYouTubeを観たりしながら時の経つのを待つしか無いようです

家内が着替えや少量のお買い物を届けてくれるのですが、面会は出来ません

陰性でも発症していないとは断定出来ない場合があり、後遺症リスクもZEROでは無いという理屈です

来週いっぱいは掛かりそうな雰囲気です

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令和5年6月11日(日)は『 傘の日(6月11日 記念日)
東京都台東区浅草橋に事務局を置き、洋傘の品質向上や安全性の確立などを追及する日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989年(平成元年)に制定

日付はこの日が暦の上で「梅雨入り」を意味する雑節の一つ「入梅」になることが多いことから

この季節の必需品である傘の販売促進と傘の使い方などモラルの向上が目的

日本洋傘振興協議会(Japan Umbrella Promotion Association:JUPA)は、全国の洋傘製造業者有志により、1963年(昭和38年)3月に設立されてから既に50年を超える歴史のある団体である

その間、会員企業は洋傘の品質向上と安全性の確立はもとより、常にファッショントレンドの研究や機能性の向上を追求し、より高付加価値製品の開発に努力している

また、同協議会では、独自にJUPA(ジュパ)基準を設定し、会員の洋傘の品質・信頼・安心の証として、JUPAマークを添付している

洋傘の歴史について
江戸時代後期の1804年(文化元年)、長崎に入港した中国(清)からの唐船の舶載品目の中に「黄どんす傘一本」との記述が見られる

これ以前にも、安土桃山時代に堺の商人が豊臣秀吉に傘を献上した記録など、洋傘が海外から日本に持ち込まれた形跡はあるが、江戸時代の「黄どんす傘」が洋傘として特定できる最古の記録とされている

ちなみに、どんす(緞子)とは、室町時代に中国(明)から伝えられたとされる絹の紋織物で、地は繻子(しゅす)織(サテン)で、地と表裏が反対になった繻子織の裏組織で模様を織り出したもの

光沢があり高級織物の代名詞とされる

厚地のものは礼装用の帯地、薄地のものは布団や座布団の生地として使われる

明治時代、洋傘の輸入本数は多くなり、文明開化の波とともに洋傘は一気に市民の手に渡っていった

1868年(明治元年)に刊行された「武江年表」という書物に、「この年から庶民にも洋傘が普及し始めた」との記述がされている 』
: 雑学ネタ帳より抜粋

私は子供の頃から傘というモノが大好きであった

色とりどりで、最初の内は雨がガラス玉のようにキラキラと輝きながら、傘の表面を弾かれて滑り落ちて行く

回すと色んな奇跡を残しながら、渦を巻いて飛んで行く
それらが楽しくて仕様が無かった(笑)

また傘を開いて、勢い良く柄を引くと傘がひっくり返って頭の上でお椀のようになって雨が溜まって行くのだ

それを友達と掛け合ってびしょ濡れになって、それはよく叱られた
傘の骨もよく折った(笑)

そんな少年も駅のホームでゴルフのクラブ代わりに振り回したりはしなかった🤣

今は折り畳み式のワンタッチの傘がお気に入りで大切に使わせていただいています

今日は、皆さんの傘も大活躍の一日になりそうですね🌂💕︎

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日々、世界が平和で、全ての人々が安全・無事故で過ごすことが出来ますように🙏🍀*゜

🛵🌷🌸🚴𓂃 𓈒🌼*・🐝🍃🌲🏕️🚲🛵🚲   🏍🛵🏁   🚲🛵🏍🛵🚲✨️

コロボックルでした-` ̗ ❤︎ ̖ ´-

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