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15時間かけて品川から厚木まで43km歩いた記録

電車もバスも使わず、かつての旅人のように自らの足だけで旅してみたい。旧東海道の近くで暮らすようになってから、ずっと思っていた。通勤や買い物でいつも通るこの道をずっと歩き続ければいつか京都に着く。日常の延長に非日常があることを具現化したような旧東海道にロマンを感じるのだ。

とはいえ、京都まで歩くには覚悟と時間が足りない。そんなとき、江戸庶民にとってのメジャーな旅行「大山詣り」でもいいんじゃない?というアドバイスを受け、それをやってみることにした。

実行したのは2021年7月某日。緊急事態宣言真っ只中で県境を越えることはとてもはばかられた。が、その日は「やるしかない」と思った。公共交通機関を使わないなら、リスクも減らせるだろうし。(ただ、結論から言えば、想像を絶する過酷さゆえ大本命の大山への移動、および大山からの帰宅には電車を使わざるを得なかった。)

今回は、厚木市を中継地点に設定し一日で歩き通した中での体験を振り返ってみる。

品川→厚木(43km)


総評「しんどすぎて悟り開けそう」

しんどすぎました。

天気は良好、太陽さんさん、気温はもちろん30度超え。あまりの暑さに「あれ私どっち方向に進みたかったんだっけ!?」と一瞬記憶を飛ばすほど。熱中症になって倒れたらどうしましょ、と終始おびえていた。

また、道半ばから脚の痛みを感じはじめ、終盤には足の甲というか、足の平の骨がギシギシとするような痛みが加わる。疲労骨折するのではないかと思いヒヤヒヤした。

とにかくしんどかったものの、「ありがたさ」の感じ方がいつもの3倍増しだった。炎天下で現れる日陰、ベンチ、コンビニ。そして、お昼時で混むカフェ。感染対策を考えれば食事を店舗に入って取るのは避けるべきだったがあまりの暑さに入らざるを得ず、入ってみると激込み。相当な待ち時間だったが、待たされるほど涼しいところで座っていられる時間は長くなるのだ。あぁ、なんてありがたいんだろう。感謝しかなかった。

なんでこんなに辛いんだろう、と思いながらも時折感じさせられるありがたさは、さながら人生の縮図だった。多分。

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確か町田。遠くに見える山並みにも励まされた


”神様”レベルの安心感「全国チェーンのお店」

しんどい旅路の中でも「全国チェーンのお店」に救われ続けた。

手持ちの荷物を増やさないよう、コンビニを見つけるたびにペットボトルを捨て、新しい飲み物を入手するようにしていた。しかも「間もなく飲み物がなくなるな」と思ったタイミングでちょうどよく見つかる。セブンイレブン、ローソン、ファミマ、ミニストップ、まんべんなくお世話になった。

そして、「ヤマダ電機」もありがたかった。涼しいし、飲み物ももちろん置かれてるし、ベンチあるし、トイレもあるし、最高の休憩スポットだった。

全国チェーンのお店のすごいところは、「あそこに行けば○○ができる」が標準化されていること。標準化のおかげで徒歩旅でも行動しやすいのだ。当たり前だけど。

コンビニには確実に飲み物が売られていてゴミ箱が備え付けられているとわかっているので初めからペットボトル飲料を大量に持ち歩く必要はない。空のボトルも然り。そしてできるだけ密を避けつつ脚を休めたいと思ったときに「ヤマダ電機なら1階の売り場じゃないスペース(1階の建物の下が駐車場になっている)で休憩できるはず!」という読みも当たった。神奈川のヤマダ電機も、北海道千歳市(地元の近く。よく買い物に行っていた)のヤマダ電機も作りは一緒のはずだから休憩できると確信できた。

本当に当ったり前だけど、標準化は時に人を救うなあとつくづく思った。

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LCLってスポドリ味なの!?と思って笑っちゃったエヴァクーリッシュ。
エヴァにハマっている今日この頃なのでメンタル面で元気を取り戻した


なぜか不安の塊「どこまでも続く住宅街」

この旅の途中、色んな街を通り過ぎた。川崎市、横浜市、町田市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、そして1日目の目的地の厚木市。

中でも、やたらと不安を感じたのが「住宅街」だった。特に、序盤で通り過ぎた川崎の高津区。行けども行けども住宅街。一軒家とアパートしかない。人の気配がないし、高齢者施設が点々とある。しかも、橘樹郡衙跡ということなのだが、住宅に交じってただただ立ち入り禁止の柵が立てられた空地があるだけ。なんだか「未来」を感じとれず、この場所50年後にはどうなっちゃうんだろうと不安になった。(別に高津区をディスりたいわけではないのですが)。

海老名と座間、海老名と綾瀬の間の住宅街も、同じく不安な気持ちになった。ちょうど二つの自治体のはざまを歩くルートだったので、なんか面白いなと思いつつも、謎の不安感があった。

不安の原因は、人気のなさもそうかもしれないけれど、「”よそ者”が居る余地がない感じ」だったのかもしれない。本来「住む機能」があればそれでよいので、よそ者がふらっと入れるような場所はもちろんなく、かつよそ者がふらっと入っていい空気が流れていない。誰かが意図的に流した空気ではないのだけど、なんだかそういう感じがしてしまう。

「居心地が悪い」ってこういうことなのかしら、という学びになった。じゃあ、「あなたはここにいていいのよ~」っていう空気はどうやったら流れるのかな…というのを考えるのは今後の課題。

福岡県那賀川町(現.那賀川市)と同じ現象?


とりあえず何とかなるべ「駅前」

何分「徒歩旅」なので駅を頼りに動いたわけではないけれど、「駅前に行けば何とかなる」ってすごいと思った。とりあえずコンビニはあるし、運が良ければ喫茶店なんかもある。大きい駅に行けばなおさら。とりあえずおおよそのものやサービスは手に入るだろうという安心感がある。

全国チェーンとも被る気付き(というか実感)ではあるけれど、安心感の集合体が「駅前」なんだなと思った。しかも、それが無意識レベルで刷り込まれている。

というか、「駅前に行けば何とかなる」という感覚が普通になってしまった自分が悲しい。駅なんて無人で寂れてて当たり前だし電車に乗ったところでどこにも行けやしないと思っていた道産子時代の感覚を忘れ、すっかり東京都民になっちゃった…。

と、そんなわけで厚木まで43km歩く中で、小さくとも様々な気付きを得た。なので、ボロボロにはなったが良い旅だったと心から言える。



【番外編】しんど過ぎたけど目覚めちゃった「大山阿夫利神社」

厚木のビジネスホテルで一泊。次の日の朝は、もちろん筋肉痛。

大本命の大山阿夫利神社までも歩くつもりでいたけれど、不可能だと思ったのでやむを得ず電車で伊勢原駅、その後バスで大山ケーブル駅まで向かう。

大山阿夫利神社は下社と本社から成り、本社は約1200mの山の上にある。

いや、もう足が動きませんて。下社だけお参りしましょ。下社までも階段いっぱい登ったし、もう帰ろ。

と、思ったのですが。

出来心で見晴台まで軽ーい登山をしてしまい、その先ちょっと行けば山頂まで行ける雰囲気の看板(絶対そうではない)が出ていたので、登ってしまった。で、なんとか登頂&下山。

筋肉痛で足の自由が利かない上に、全くもって登山ができる装備ではない。滑落のリスクは相当高かっただろうし、下山するころには一歩踏み出すだけで必死だった。これはどう考えても登山の姿勢としてよろしくない。

けど、帰ってきてからの爽快感が半端じゃない。逆に、そのつもりでなく登って登れちゃったということは、登る気で登ればもっと楽しいような気がする。かねがね「登山してみたい」と言っていたが、これは本気で始めるしかない。

それにしても、電車でちょっと行けばこんなにネイチャー感じられるスポットがあったなんて。伊勢原バンザイ、大山バンザイ。

緊急事態宣言は延長とのことだが、また登れるように着々と準備を進めようと心に決めた。

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