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妖精事件は夜霧の中で ~【3話】【magic hour】マジックアワー

【magic hour】マジックアワー
昼と夜が移り変わる時刻。
或いは逢魔時。魔物に遭遇するとも言われている。
誰かがいるようで居ない。でもそれはきっと、気のせいでは無い。ほら、一緒に逃げよう。


 幼い頃から、わたしは追いかけっこが嫌いだった。
 誰かに追われている感覚だけで身体中が見えない何かに捕まえられそうになる。

 あの日の夕暮れ時。
 まだ妖精保護機関の傘下にあった田舎の研究所でわたしは過ごしていた。

「おにいちゃん、わたしお外いきたい」
「ごめんな、シャロン。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、研究員さんのお手伝いが終わったら遊んでやるから。それまでここで待っていてくれよ」

 お兄ちゃんの優しい声。持っていた荷物を一旦、床に置いてから膝をついてわたしの頭を撫でてくれた。
 少し申し訳無さそうに笑う顔は今でも覚えている。お兄ちゃんはいつもそう。
 わたしにいつもそう笑いかける。どうして。

「でも、妖精さんも一緒だからだいじょうぶだよ。お外いってもいーい?あの赤いお空!お外で見てみたいの!」
「んー。そう来たか……妖精さんも外に行っちゃダメだぞ。シャロンと一緒にここで待っていてくれ。」
「ん……わかったもん」
「赤い空はまた今度、みんなで見よう」

 今度って、いつ?

 それでも撫でられることは大好きで、つい「でも」が言えなくなってしまう。
 お兄ちゃんが荷物を抱え直そうとした瞬間、玄関口が騒がしくなった。

「オスカー様っ!?」

 お兄ちゃんは上ずった声を出してから荷物を再び置いて頭を下げる。
 頭を下げられた相手、仮面の男だった。その男はいつもならば奇抜で派手な衣装を身に纏っているが、今日の装いは他と比べては落ち着いた方だった。
 ……と言っても、インディゴとボルドーの派手なスーツ。

「おんやおやおや……これはこれはぁ……」

 オスカーがお兄ちゃんに気が付き、スキップするようにして近付く。
 わたしはこの人がなんだか怖く思えた。

「お久しぶりデスねぇ、今はこちらにいらしていたのデスかなぁ?」
「はい!今年でもう2年です。今は……ほら。妹のシャロンもいます。ああ、もちろん姉も一緒で……」

 仮面の男と目が合う。わたしはそれが嫌でお兄ちゃんの後ろに隠れた。

「おいシャロン!ごめんなさい、ちょっと恥ずかしがり屋で……いつもはそんなんじゃないのですけども。ほら、シャロン。挨拶してごらん?」
「ん……」

 お兄ちゃんに引っ張られて顔を出す。

「シャロン……です」
「うん、歳は?」
「……はち、さい」
「うん!よくできた。さすが俺の妹だ」

 お兄ちゃんはそう言うとわたしを抱きしめてくれた。頬にだって優しくキスしてくれる。

「まぁなんて微笑ましいのデショウか。素晴らしい兄妹愛デスねっ!」
「はは……よく妹バカとは周りに言われますけども……」

 苦笑いをしたお兄ちゃんはまんざらでも無さそう。
 仮面の男は抱っこされたわたしを見ては笑って頬に触れてきた。
 冷たく、触れられた頬が少しピリピリする感覚。不思議で少し怖かった。でも、もっと怖かったのは――

「ああ、やっと。触ることができマシタ」

 わたしにしか聞こえないほどの小ささで呟く、その言葉。意味は今でもわからない。
 でも、おかしい。そのとき仮面の男と目が合ってから不思議と、彼のことが気になり始めて仕方なかった。

「お、おじさん」
「わー!?こらシャロン!!」
「ああ、良いのデスよ。ワタクシ、これでもとても永く生きてマスから」

 永く生きている。仮面の男の年齢は不詳だった。何十年も、ずっとその姿そのまま。
 おかしいはずなのに、誰も不思議に思わない。
 
「そうですシャロン、これも何かの運命デス!一緒にお外で遊びマセンかぁ?」
「え」
「え!?いやいやいや!そんな悪いですって!」

 わたしの声を掻き消すように、お兄ちゃんの驚きの声が割って入ってくる。

「おやぁ、なぜデスか?」
「な、なぜって……」
「フフフ、理由が無いのなら、よろしいデスよね」
「はい……」

 何か尻込みをするようにそう言うとお兄ちゃんはわたしを降ろした。

「さぁ、お兄様とお姉様のお仕事が終わるまで、ワタクシとお散歩でもシマショウ」

 嫌なはずなのに。するりと手を繋ぐ。
 さっきの不思議な感覚は無く、彼の手は人だった。
 おにいちゃん、そう言いかけて後ろに手を伸ばしたけども、お兄ちゃんはすでにそこにはいなかった。廊下に出て手伝いの続きをしに行ったから。
 正直、裏切られた気持ちになった。それは、どうして。
 わたしは連れられたまま研究所の庭へ行く。とても広い敷地内で、裏には大きく広がる森があった。
 
「貴女に見せたいものがありマス。行きマショウ」
「え?でも、おにいちゃんとおねえちゃんが森に行かないでって……」

 引っ張られた手を幼い力で引き留める。
 
「偉いデスねぇシャロンは。デスが、ざぁんねん。約束というモノは破る為にありマス。バレなきゃ大丈夫デスよ」
「やく、そく……」

 わたしは、言いつけを破ったことは無かった。でも言いつけというものは、わたしの自由を奪うための枷、心を縛る鎖であって周りを隔てる檻。
 当時のわたしにとって約束を破るという行為は自由になる選択の1つだと思っていた。
 昔から好奇心は人一倍で、ただ、実際に見聞きができないから絵本や遠くから様子を見て知った気になるしかなかった。
 強く押し潰されていたわたしの好奇心が、まるで叫んでいるかのように感じる。それほどの胸のトキメキ。とても魅力的で甘い行為。
 外に出てはいけない。知らない人に話しかけてはいけない。興味を持ってはいけない。
 大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが脳裏に映ったけども、少しだけなら。今日だけなら。オスカー様がわたしの側にいてくれるのなら……。

「だいじょうぶ、だよね」

 自分から、オスカー様の手を引く。彼に振り向いて笑うと、彼も優しくわたしに微笑みかけてくれた。
 最初は変な人かと思ったけども、良い人なのかなって思ったの。
 そのまま森へ行こうとしたら、同じくらいの歳の女の子と男の子達が側にやって来た。

「あー!!オスカー様だー!!」

 男の子がオスカー様に手を振って大声を出す。
 他の子達も手を振りながら集まって来たが、わたしの姿を見るなり少し驚いていた。
 
「あ、シャロン……?だっけ」
「わぁー!こんにちはシャロン!」

 いつも窓から外を見ている子。という認識。
 女の子と男の子達はわたしに近づくと物珍しそうにたくさん話しかけて来た。

「きみ、病気なの?」
「お外に出ていいのー?」
「なんでオスカー様といるのー!?」
「あ……えっと……」

 初めて知らない子に話しかけられた。
 なんて返せばわからなくて目をぱちくりしながら黙り込んでしまう。

「こらこら、シャロンが困っていマスよ」

 子ども達の質問を止めたのはオスカー様だった。

「シャロンは病気ではありマセン。ただ、貴方方とはちょっとだけ違う異端者ヘレティックなんデスよ」
「へー!」
「なんだぁ、ぼくたちと同じかぁ」

 正確に言えば、違う。わたしは異端者ヘレティックでは無い。らしい。
 それでも子ども達は納得したのか、それでいて同じ異端者ヘレティックというところに親近感が湧いたのか、ニコニコと笑ってわたしの手を握ってきた。

「シャロン!ともだちになろう!」
「と、ともだち?」

 友達。わたしにそう呼べる人は今まで1人しかいなかった。
 ローズクォーツの髪。その髪と同じ瞳とアクアマリンの瞳。彼は虹彩異色症の珍しい瞳をしていた。
 名前はカーシー。わたしの初めての友達。
 彼は研究所に来てからずっとわたしと一緒にいてくれた。いつも1人でいたわたしに話しかけてくれた素敵な人。ちょっと落ち込みやすいけども、だからこそ優しい人。他人の悲しみを一緒に悲しんで、楽しい時は一緒に笑ってくれる。
 カーシーも異端者ヘレティックだからこの研究所に連れてこられたらしいけども、その力は不明で未だにわからないみたい。
 でもその日、カーシーはいなかった。同い年だったけども他の子達よりしっかりしていたからお兄ちゃん達と同じく研究員の手伝いに行っていたのかもしれない。
 友達。わたしにとってそれは憧れで、好奇心の1つだった。

「うん!おともだちになろう!」

 わたしはまた1つ、好奇心という名の罪を重ねる。

「おやおや、よかったデスね〜シャロン」
「うん!えへへ」

 オスカー様が森の方へ連れ出してくれなければ友達なんてできなかった。
 素敵な出会いをくれたと思う。

「ねぇ。オスカー様とシャロンちゃんはどこに行こうとしていたのー?」
「ああ、森へ行こうとしていマシタ。貴方達もどうデスか?」

 子ども達の顔はパァッと明るくなる。それもそのはず。
 わたしのお兄ちゃん達が森に行くことを禁止したように、子どもだけで森に行くことは基本的に禁止されていた。中にはそれを守らずに迷子になったり、こっそり出入りしている子もいたけども。

「わたし行ってみたい!」
「おれもー!」

 子ども達は嬉しそうに手をあげる。自分も森へ連れて行って欲しいと願う。
 でもその中で、1人だけ手を挙げないで後ろに立っていた女の子がいた。アンバーの髪色をした女の子。
 その子は不安があったのか、浮かない顔だった。
 それに気がついたオスカーは笑う。

「気が乗らない子もいマスねぇ。どうしマシタか?」

 彼は女の子と、同じ高さになるために跪く。

「あ……オスカー、さま……森は行っちゃダメって大人の人が……言って……」

 小さな声。わたしにはその女の子がなぜ怯えているのか、よくわからなかった。

「大丈夫だよ、リディ。オスカー様もいるんだから!」
「そうそう!」
「で、でも……」

 他の子達に押されながらも拒む。その子は何かに怯えている。

「だぁいじょうぶデスよぉリディ?このワタクシ、オスカーがご一緒しマスので。さ、行きマショウ」

 リディに手を差し伸べる。その子は浮かない表情のまま手を取ると歩き出した。
 みんなで、森へ。

「おれこっそり1回だけ森に入ったことあるんだけど、きれいな湖があったんだ!あそこ行きたい!」

 男の子がオスカー様の前を歩いて森の奥を指差す。
 どうやらそれはだいぶ奥にあるようだった。

「湖ですか……良いですねぇ」

 何かを思いついたのか、笑う。常に仮面をし。笑っているためか、表情がわからない。
 それでも、なにも警戒せずにわたし達は、子ども達は湖へ向かった。


「きゃっ!つめたぁい!」

 バシャバシャ。と。
 みんなは靴と靴下を脱ぎ捨てると湖に足を入れる。
 夕陽に照らされた赤い湖に。

「シャロンちゃんも入ろーよー!」
「あ、待って」

 赤い、綺麗な光景に見惚れていた。
 澄んだ空気。遠く、どこまでも広がる空。思わずどこまでが空なのか、手を伸ばしてしまう。
 変に思わないで。外に行くことは普通にあったけども、しがらみ無く空に想いを馳せられたのは初めてだったんだから。
 女の子に声を掛けられて気がつく。
 自分も入ろうと靴を脱ぎ、不安定になりながらも片足を持って靴下を脱がす。

「……?」

 違和感があった。わたしの脚に何かが纏わりつくような感覚。風?最初はそう思った。けれども、違う。
 細い何かでなぞられているような、蟲が這い回る感覚。
 獣に舐め回されているような、ぬるりとした感覚。
 蜘蛛の糸に囚われたような、身体が動かない感覚。

「あ……?」

 ついさっき、感じたことがあるような冷たいものが、触れる。
 手のようなソレはわたしの脚を撫でようとしたけども、そこでわたしの意識は戻った。

「っ!」

 無意識かわからない。呼吸ができなかったからとても苦しかった。
 肩で呼吸をしながら自分の脚を確かめる。

「ついてない……なにも、無い……?」

 何もなかったはずなのに、安堵はできなかった。
 不安で不安で。仕方なくて。

「オ、オスカーさま!わたしのあし、見て!」

 白のワンピースをたくし上げ、恥ずかし気も無く中を晒す。無垢な様子がよく現れた白いショーツを他人に見せるなんて、大胆。
 今じゃ絶対にできないし、そもそもしない。当時のわたしもそんなことをする子どもじゃなかったと思うんだけど……。まぁ、その時はびっくりして非常事態だったから恥ずかしいとか頭になかったのかも。

「おやおや、レディがそんなことをしてはいけマセンよぉ」

 目が合った。
 その悪魔的な笑顔で、彼がわたしのことをずっと見ていたことを悟る。
 突き刺すような眼差しはわたしの胸を射抜く。ゾクリとした感覚に殺されそうだった。

「あ……」
「まぁ、なんて懐かしいお話デショウ」

 おかしい。

「最近の調子はどうデスか?お元気デスか?」

 森が、赤い空が、揺れる。

「学園に通い始めたそうデスね。授業にはついていけてマスか?」

 景色が、歪む。

 おかしいっ!!

 ここから逃げないといけない。彼を消さなくてはいけない。
 動こうにも、足掻こうにも、指先一つ動かせないまま。わたしの心臓の鼓動だけが早く鳴る。

「っ……!!」

 声が出ない……!

「そりゃそうデスよ。ここは貴女の夢の中。貴女の不可侵領域……デスが……クク。いやぁ、脆い脆い!!」

 気が付くと、わたしの身体は今の姿になっていた。16歳のわたし。

「それにしてもー。懐かしい夢を見マスねぇ?ワタクシも覚えていマスよ」

 ゆっくりと近づく彼。人差し指が、わたしの喉をなぞった。

「声が出マセンかぁ?アハッ!」

 何か反撃を。声を。
 動かないまま指先を動かそうとする。でも、できない。

「貴女には思い出してもらいたいものがあったのでココへ参りマシタ」

 彼が耳元で囁く。その言葉は、声色は官能的で絶望的。息が詰まりそうだった。

「それは貴女の罪」

 胸の上を円を描くように撫でる。優しく、愛撫をするかのように。

「ヒヒヒ、まさか覚えていないとは思いマセンけどぉ〜。今の貴女って平凡に生きているように見えたので、もっと刺激を与えたいと思いマシテ」

 指先で胸を突く。トントントン。まるで交尾みたいに、動く指先。

「ワタクシとの約束を思い出してクダサイ」

 カリカリと爪で引っ掻いてはクルクルと指で円を描いた。
 動けるのならば今すぐにでもその手を振り払いたい。

「だって、貴女は特別なんデスよ」

 彼はさらに深く笑う。何を見ているのかわからない仮面の奥。その深淵に沈む眼光と目が合った。
 わたしと同じ、エメラルドの瞳が。

「妖精とお話ができるカワイイお口」

 わたしの唇を撫で。

「妖精が見える素敵なお目々」

 わたしの目に手のひらを見せる。

「妖精を統べる力……」

 わたしの頭を撫でては同じシトリンの髪を掬い、口付ける。
 その時、わたしの指先が動いた。彼が言葉を紡ぐと同時に手が前を行き、突き出した拳を目一杯に開く。

「そして――」
「触らないでっっ!!」

 今まで動けなかった分、突き飛ばして全力で怒鳴る。
 同時に、彼の足元から鋭い槍のようなものが腹、胸、手を……結晶が貫く。結晶に見えたそれは宝石だった。
 パキパキとガラスを割るような耳障りな音。
 どうしてか心地良く思えた音。

「わたしから出て行って!!」

 彼の至る所から黒い液体が溢れる。
 今の自分はどんな顔をしているのだろう。わからない。感じたことも無い怒り、憎しみ、ぐちゃぐちゃになった黒い感情が溢れ出す。溢れ出す。

「消えて!わたしの中から消えてよっ……!」

 溢れ行く黒い感情が溢れれば溢れるほどに、彼から流れ出す。ドロドロで黒い。

「ああ!キレイ!!」

 彼はめちゃくちゃな体のまま、腕を広げる。言葉を吐けば黒い液体が零れ落ち、笑えば景色が歪んだ。

「ステキなお顔ォ!さすがは英雄殿が愛したたった1人の巫女殿!器は出来上がったのデス!あとは憎しみのドレス、怒りのティアラ、悲しみのヒールで着飾り、苦しみの舞台を!妬みの歌劇を!迷える愚鈍な観客共を御一緒にお迎え致しマ――!」
「消えてって……!!言っているでしょう!?」
 
 宝石が彼の首を、飛ばす。重い音を出してわたしの足元に落ちた、笑った顔の頭。
 かつて、今までこんなに怒鳴ったことがあっただろうか。わたしって、怒りっぽかったっけ?
 なんで、怒っているんだっけ?
 
「またお会いシマショウ。ネ゛っ」

 瞳と目が合う。彼は恍惚とした、心の底から嬉しそうな顔で笑っていた。
 カチン。
 ひび割れる音。
 その音ともに、現実に引き戻される。

「っは」

 日没。先程前までの真っ赤な空は暗闇に溶けていた。
 湖の畔。子ども達はまだ水辺で遊んでいる。
 でもどうして?おかしい。違和感がある。何か記憶がスッパリ抜けているような……。

「なんで……ここにいるんだっけ」

 子どもだけで森に行くことは禁止されている。それなのに、わたし達は森にいる。
 子ども達だけで。

「シャロンちゃん!どうしたのー?」

 女の子が水辺で声をかける。
 わたしは気がついて彼女を見た。見たけども、顔がよく見えなかった。
 黒いモヤ?影?日没だからとかでは無い。様子そのものがおかしかった。

「も、もう暗いから……みんな帰ろ……?」

 早く帰りたい。そんな気がした。でももう、それも手遅れな気がして、じっとりとした嫌な汗が出る。
 
「ねぇ、リディ。森に来てよかったでしょ?」
「楽しかった……けど、研究員さん達に怒られないかなぁ?」
「だいじょうぶだよ!こっそり帰れば見つからねぇって!」

 子ども達の無邪気な笑い声。リディはずっと心配そうな顔をしていた気がする。ときどきわたしのことを見ては目が合うとそっぽを向く。

「あ!そうだ!」

 女の子が何かを思い出したかのようにパンっと両手を叩く。するとわたしの方を向いて目を輝かせた。

「ねぇ、シャロンちゃんってここに宝石があるんでしょ?」

 自分の胸を指差して、わたしにそう言う。
 わたしには誰にも言えない秘密があった。
 今思えば何故あの子はそれを知っていたのかわからない。
 誰にも言っていないはず。研究員さんもみんな、そんなことは外に漏らさないはず。お兄ちゃんもお姉ちゃんもわたしの胸のソレについては絶対に周りに言ってはいけないと言われてきた。

「え!見てみたい!」
「見せて見せてー!」
「え……」

 みんながぞろぞろと陸へ上がってくる。靴も履かないで裸足のまま、わたしの元へ寄って来た。
 自分にとってソレは恐ろしく醜いものだと思っている。だって、そう。おかしいよ。
 どうして人間の体にこんな物が埋め込まれているのか。なぜ、手のひらに収まるくらいのこんなにも大きなソレが存在するのか。
 わたしはオスカー様に助けを求めようと後ろを振り向いた。
 
「あれ?」

 オスカー……って、誰だっけ。

「?シャロンちゃん?後ろなんか見てどうしたの?」
「あ……ごめん。わかんない」
「変なの。まぁいいや!胸の、見せてよ!」

 さっきまで誰かいたような。そもそもわたし、なんで外にいるんだっけ。

 ああ。好奇心。
 外に出ること、お友達を作ること、約束を破ること。わたしは好奇心からそれをした。
 自由になりたかったから。

「ねぇねぇ他の人には内緒にするから!」
「うん……わかった……」

 ソレを他人に見せてはいけない。その約束さえも、わたしの枷。約束を破ることが、もはや自由への一歩だとも思えた。
 ワンピースのボタンを外して胸元を開ける。
 子ども同士だったからその時はよくわからなかったけど、女の子だけじゃなくて男の子もいたんだよね。
 でも、みんな何も変に思わないでわたしの胸を見た。
 キラキラと目を輝かせて。
 
「わー……!すごーい!きれい!」
「ダイヤモンドみたーい!」

 気持ち悪いとわたしは思っていたから、そんな反応をされると少しだけ嬉しかった。変じゃ無いって思えて。

「っ!?」

 子ども達の感激の声が渦巻く中、突如わたしの頭に激痛が走った。
 それはどこかの、いつかの光景。わたしは暗闇を裸足で走っている。その一瞬だけ。

「……?」

 初めての感覚でその時のことはあまり覚えていない。
 痛かった……っていうのは覚えている。そしてそれが、わたしを苦しめるもう一つの種になることも。
 わたしは少し離れたところでこっちを見るリディと目が合った。
 会ってしまった。わたしはそれに。

「あ……ああ……」
「リディ?」

 リディの体が震える。わたしを、いや。わたしの胸のソレを見ている。お人形のように可愛らしい顔をしていた彼女とは遠い、血走った目。ガチガチと鳴らす歯。血が滲むくらいに顔を掻きむしろうとする手。

「リディ!?大丈夫!?」

 男の子が心配をして近づく。

「そ、そそ、それ……ようぜい゛……ぜぎ……」

 ハッとした。嫌な予感がした。
 
「リディ……なんで、ソレを」
「ゔゔゔぅあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーッ!!」

 宝石が、人を支配する。
 歪んだ叫び声と共にリディの身体から煌めく宝石が、体を突き破りながら生成される。
 飛び散る血。パキンパキン、とガラスを割るような音が辺りを支配し、日没の暗闇の中でもそれは輝かしく見えた。
 グチュリ、グチュリ。肉を押し潰す音を出しながら、背中からも宝石が勢いよく飛び出す。
 ぬるりと。濃い血を滴らせながら、折り畳まれた虫の脚みたいな宝石がゆっくりと開く。
 そして、心配して近づいた男の子の体に、その脚が貫通した。

「ごぼぉ」

 びちゃびちゃ。
 小さな体から溢れ出す血はとても惨くて、その一瞬の光景だけで頭がおかしくなりそうだった。
 小さな彼の血飛沫を浴びた子ども達が、同時に叫ぶ。

「きゃーーー!!」
「リディが!!」
「逃げよう!」

 一目散に走り出す。靴なんて履く暇もなく、そのまま裸足でわたし達は森の中を、人が歩くような場所では無い道を、無我夢中で駆けた。

「あ、あ゛……ようせい、せぎ……」
「きゃあっ!!やだ!!リディ!!」

 1人の女の子が石に躓いて転ぶ。子どもの柔らかな足先は血だらけで、石に躓いただけでもかなりの激痛だった。でも、そんなことよりも今は――

「こ、来ないで……」

 リディだったものが躊躇い無く、彼女に飛び付いては宝石でできた鋭い爪を胸に刺す。

「あがっ……あ……」

 ビクビクと痙攣を起こしながら焦点の合わない目で逝く。意識が無くなった彼女の体を引き裂くと何かを探すように貪った。

「これ……じゃない……」

 舌舐めずりをして血を拭う。
 探し物が無いと分かると次の獲物を追いかけた。

「来た!!」
「やだあ゛ーーー!!!」

 耳が痛いほどの泣き叫ぶ声。阿鼻叫喚とはまさにこのこと。
 次は男の子がリディだったものに捕まった。

「じゃ、ま」
 
 子どもとは思えないぐらいの怪力で彼を片手で投げ飛ばした。
 声を出すことも無くそのまま木が生い茂る中へ。腐った木の実が落ちた時みたいに、嫌な音を立ててから静かになった。

「あ……あ゛……やだ……」

 その様を見てしまい、腰が抜けて倒れてしまった女の子は失禁する。その微かな匂いに釣られてリディだったものは振り返ると彼女の首を片手で掴んだ。

「ねぇ、シャロンちゃん。……知らナァイ……?」
「っ!あ゛ッがぁ゛」

 鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった汚い顔。首を絞められて暴れる様が鬱陶しく感じたのか、答えを聞く前に首を潰してしまった。
 へし折る音と共にビクンッ。と魚みたいに体が跳ねる。
 ダラリと静かになると今度は赤い血がおしっこのようにビチャビチャと垂れ流されていった。

「ふへ、きたないの……」

 何がおかしいのか。笑うと彼女を投げ捨てる。
 ゆらり、と。走っている友達……子ども達に目を向けた。

「ねぇ、また……わたしヲ置いていく、ノ……?」

 リディだったものも詰めるように走り出す。その速度は尋常ではなかった。

「うわっ!?あ゛!?あ゛!!やめっ……あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーッッッ!!」

 背後から斬り掛かる。
 1人、また1人と殺されてゆく。

「はぁ、はぁっ……なんで……!!」

 一緒に森を抜けるために走っていた子ども達の足音が、少しずつ少なくなっていく。

「やだぁ!!やだ!!やだぁあああ゛あ゛!!おかあ゛さ……!!」

 おもちゃで遊ぶように、擦って引き摺る音。

「あ゛」

 膨らんだ風船が弾け飛ぶような音。

「ミンナ、逃げて……ばかり。ヒドイよォ……」
 
 1人、また1人と殺されてゆく。
 わたしは道から外れて草場に隠れた。息を殺して、震える体を抑えようとする。

「どうして」

 周囲に漂う血の匂い。
 つい先程まで断末魔でいっぱいだった辺りが静かになった。
 それはきっと……そういうこと。
 思うだけで気がおかしくなりそうだった。

「やだ、やだやだ。やだやだやだやだやだやだ。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない。おにいちゃん、おねえちゃん。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。わたしが、わたしが約束を破ったから……わたしが」

 好奇心。たった、それだけ。

「わたしが、外に出たいと思わなければ。わたしが、ともだちを作らなければ。わたしが」

 たった、それだけだった。

「自由を求めなければ……!」

 わたしの好奇心は人を殺し、わたしの心を殺す。
 心は限界だった。狂ってしまいそう。いっそ、狂ってしまった方が楽だと思うくらいに、体にのし掛かる罪が、わたしに抱き着いて離さない。

「シャロンちゃ……ドコォ?ようせいせき……ドコなのぉ?」

 リディだったものの声が、すぐ近くで聞こえる。

「ひっ」

 もうなんでもよかった。
 この国に伝わる妖精を讃える祈り。嬉しいこと、悲しいこと、迷いがあるとき……私たちはそれを口にする。

「これが……妖精さんのご加護ならば……!!」

 自分に最も死が近い時、その祈りは必ず届く。まだ子どもだったから深く考えたことはなかったけども、成長した今ならわかる。その言葉は――

祈りの言葉を紡ごうとした途端、暖かい光と共に暖かい手がわたしの体を抱いた。
 
「シャロンちゃん!」

 ローズクォーツの髪。
 その髪と同じ瞳とアクアマリンの瞳がわたしを見る。心配そうで、少しだけ安堵したかのような優しい顔。
 わたしは知っている。この人は――

「カー……シー……?」

 カーシー。わたしにとっての初めてのともだち。キミの顔を見て、真っ黒だった心が晴れていった。
 握られた手は温かく、わたしの心さえも温かく包み込む。
 彼が持ってきた仄かに光るカンテラ。それにも似た光。
 それでも安堵するにはまだ早かった。無事にこの森を抜けなければならない。
 カーシーは握った力を強くすると優しく綻んだ顔から一転、覚悟を決めた強い意志を感じる表情になる。

「大丈夫。ぼくがぜったいにきみを助けるから。きみを、必ず守るから」

 カーシーは強い人だった。だって、そうやってわたしなんかにそんな言葉を掛けられるのだから。
 彼が約束を破ったことは一度も無かった。それなのに、わたしは。
 彼の手を握り返すことが怖い。

「……大丈夫だよ。そういうときだってあるさ」
「でも……」

 カーシーが首を振る。わたしが約束を破ってまで森に行ったことを後悔していることをわかっているみたいだった。

「ぼくだって、つまみ食いとか花瓶割っちゃったり……犬に眉毛描いたりとかしたよ。でも、バレなかったんだ……逃げるのだけは得意だからね」
「犬……あれ、描いたのカーシーだったんだ……」

 思い出して自然と笑みが溢れる。
 意外と、カーシーもたくさん悪さをしていたみたい。悪いことが良いことではないことはわかっているけども、それを聞いてわたしは心が軽くなった気がした。

「えへへ……。走れる?」
「うん。だいじょうぶ」
「じゃあ、行くよ」

 わたしは今度こそ手を握り返して答える。
 彼はカンテラを持つと周りを警戒しながら、自分が来た方へゆっくりと音を立てずに歩いていった。
 その背中は、その手は、一生忘れないと思う。
 でも、その温かい時間はすぐに切り裂かれた。
 ベトッとしたぬめり気がある雨がシャロンの頭に掛かる。

「ん、なに……こ――」

 そう疑問を抱きながら見上げた。そして、ギョロリと見開いた瞳と目が合う。

「ミィつケタぁ」

 木の上から、裂けた口で笑い、落ちる涎は糸のよう。その姿、蜘蛛のように、手脚を使って木から逆さにぶら下がっていた。
 
「走るよ!」
 
 咄嗟にカーシーが手を引いて走り出す。
 リディだったものも獲物を見つけた喜びか、笑いながら木を伝って走り出した。

「きゃあっ!!」

 木の根に躓き、わたしは転んでしまう。カーシーと手が離れてしまい、わたしは彼へ手を伸ばそうとした。
 しかし、遅かった。
 リディだったものがわたしに飛び掛かる。

「シャロンちゃぁん……!キヒ、ヒヒヒヒヒヒ!」
「その子に近づくな!!」

 カーシーが急いで引き返し、リディだったものへ体当たりをした。小さな宝石を引っ掻いたのか顔には切り傷ができている。
 そんなことは構わず、カーシーはよろけた相手を見ると手に持っていたカンテラを顔面へぶつけた。
 飛び散るガラス片がリディだったものに刺さり、炎が燃え移る。オイル瓶も一緒に割れた所為か、全身に広がるのはあっという間だった。

「ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーッ!!」

 目の前で焼かれる姿。赤く、赤く、憧れていた夕日のように真っ赤。
 見惚れていたわけではない。でも、体が動かなかった。目の前で、かつて人だった者が燃えている。わたしは今、死が、傍にいる。

「あ、あ……立て、な……い……」
「え……?」

 腰が抜けてしまった。足ももうボロボロで血が出ている。
 カーシーは急いでわたしを抱えて走り出そうと抱いてくれた。でも、それでももう間に合わない。彼は自分自身を盾にするかのように、わたしを抱いてくれた。
 
「きみは!!ぼくが……!!」
「ッグルルルル……!ア゛、ア゛ア゛!ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァーーッ!」

 燃え盛る人型が叫ぶ。宝石に支配された腕を振り上げて、カーシーを切り裂こうとした。
 
「やだ!カーシー!!」

 死んでしまうのに、それでもカーシーはわたしを強く抱いて――

 パァンッ。
 銃声。その音と共に燃える人型が怯む。

「鉄の弾丸を撃て!」

 大人の声。その合図をもとに数発、また数発。銃声が森に響く。
 カーシーに力強く抱かれたままのわたしは、目の前で銃弾を受けているリディの姿がよく見えた。
 声とは言えない。彼女の叫び声。かつて人であったことを告げる、焼け爛れた人の肌。炎の光を反射している宝石は綺麗で、悲しくて。

「あ……ア……おかあさ……。リディを、置いて……かない……デ」

 リディの、小さな頭に鉄の銃弾を。
 それを最後に彼女は全身が宝石と成り、割れて崩れ落ちる。ガラスを割るような音を立てながら、最期にはきらきらと輝く砂になった。

「はぁ……はぁ……。よかった。シャロンちゃん、きみが無事で……ほんとうに……」

 安心からか、力が抜けてカーシーがわたしに傾れ込む。
 いつも一緒に遊んでいたけども、彼がこんなに近くにいることは初めてだった。静かに聞こえる心臓の音が、なんだか安心する。
 でも、そんな時間も束の間だった。
 大人達はわたしとカーシーに駆け寄るとすぐにカーシーを突き飛ばすように引き剥がした。

「カーシー!?」

 わたしは咄嗟に声を上げて彼へ手を伸ばそうとした。でも。
 
「大丈夫ですか?怪我は?」
「大変!足がこんなに血だらけで……」
「すぐに医務室へ!」
「お兄さんとお姉さんも急いで連れてきて!」

 知らない大人達があれこれ言う。わたしのことを心配している言葉のはずなのに、何一つ響かない。
 カーシーは離れたところに引き摺り出されると、大人に平手打ちをされていた。

「カぁーシーぃいー!!」

 なんで。

「やだ!はなしてよ!カーシーは……!カーシーはわたしを!!」

 誰も話を聞かない。
 何も聞こえていないみたいに、誰一人ともわたしの叫び声に応えてくれた人はいなかった。
 カーシーはそのまま大人達に連行されて行く。
 少しだけ振り返って、手を振った。

 大丈夫だよ。

 そう口を動かして、わたしに笑う。
 その言葉は彼の口癖。魔法の言葉。いつもは元気をもらえるはずが、そのときは初めて不安になった。

 それからのことはあまり覚えていない。
 お兄ちゃんに抱き締められて、お姉ちゃんには酷く怒られた。
 もう、外には出られないと思ったけども、お兄ちゃんとお姉ちゃんは「自分達がシャロンを閉じ込めていた所為だ」と言って、自分達を責めていた。それからは3人でよく外へ遊びに行くようになった。
 わたしの願いは叶ったけども、なんだか違う気がする。
 それに、たくさんの子ども達があんな酷いことになったはずなのに誰も、大人達は何も言わない。いつも通りだった。そればかりか、「シャロンが無事でよかった」ってみんな言うの。

 本当に?
 
 そして、あの日を最後にカーシーは研究所からいなくなっていた。
 悪夢みたいな日からしばらく経ったとある日。
 わたしはお兄ちゃんと真っ赤な夕暮れを窓から見ていた。

「ほら、シャロン」

 お兄ちゃんがわたしを抱っこしてくれる。

「綺麗だろう」

 素直に綺麗とは言えなかった。あの日のことが、まだわたしの中で消化しきれていなかったから。

「カーシー、どこいっちゃったんだろう」
「……」

 お兄ちゃんは「自分が夕日を一緒に見てやらなかったから」と後悔をして、毎日この時間になると夕日を見せてくれた。
 でももう、あまり見たくは無い。

「また会えるよ」

 嘘だと思った。お兄ちゃんはいつもそう。はぐらかす。

「……シャロン。カーシーは……」

 ずっと黙っていたはずが、口を開ける。

「カーシーは、エーデルシュタインの偉い人のところへ行ったんだ」

 宝石都市エーデルシュタイン。この国の大都会であり、国の中心。どうして、彼はそこへ。

「彼も異端者ヘレティックの疑いがあったからこの研究所にいたけども、遂にその異端者の瞳ヘレサイトは見つからなかった。異端者ヘレティックじゃなかったんだよ」
「……そうなの」

 いまいちお兄ちゃんの言いたいことがわからない。それに、どうでもよかった。
 また少しだけ沈黙が続いて、わたしが「つまんない」と口に出そうとしたとき。

「お前を森へ連れ出したのはカーシーだってことになっている」
「え?ちがうよ!カーシーは……!」
「わかってる。俺も、お姉ちゃんもわかっている。……でも、カーシーが自分で言ったんだ」

 なぜ。なんでそんな嘘をつくのか、わからなかった。

「なん……で……?」

 顔を上げでお兄ちゃんへ問う。わたしの驚いた目を見ると困ったように笑って頭を撫でた。

「……もう少し、大人になったらわかるだろうな」

 たった、その一言。

「さ、部屋に戻るぞ」

 そう言って、お兄ちゃんは優しく頬にキスをしてくれた。
 カーシーが嘘をついた理由。今のわたしにはまだよくわからない。もう少し大人になればわかるのかもしれない。
 そしてわたしは、学園で彼と再会をする。

 
 ……そういえばあの日、妖精さんの姿が途中から見えなかった気がする。声も。
 気のせい?……気のせい……かな。


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https://note.com/pnsk_yamamomo/m/meaa185465ed2

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