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妖精事件は夜霧の中で ~【12話】【harbor】ハーバー


【harbor】ハーバー
 港。又は隠れ場、潜伏所。
 海が陸地に入り込んでいる地形を利用したり、船が安全に停泊できるようにした場所。
 そして旅行客の乗降、貨物の積み卸し、取引をする場所である。
 都会に夢を膨らませる田舎者が最初に踏み入れる場所でもあるが、ならず者が獲物を選ぶ場所でもあることを忘れてはならない。


 エルネスト達がアノニマス・ファイブの殺人鬼2人と対峙し、決着がつかないまま逃げられた後。つまり時刻はとうの夜。
 宝石都市エーデルシュタインの豪奢な屋敷。クリソベリル区にある公邸内にあり、都市のトップであり妖精保護機関のトップである元首マルグレーテが暮らす屋敷となっている。しかし、そこに暮らすのは彼女だけではなかった。

「はぁい。あーん」
「ああん! ミザリーずるぅい! マロリーもするぅ!」

 ガス灯の他に蝋燭が並べられた部屋は広く、赤い絨毯の床に豪華な模様の壁紙、壁に飾られた額やあちこちに飾られたアンティーク雑貨は金色の装飾が施されている。そのため、明かりがあちこちを反射して室内はとてもとても明るかった。
 真ん中にはたくさんのご馳走様。下座に座る眼鏡を掛けた少年。両脇であれやこれや口にモノを運んで来ようとするツインテールが特徴のメイド2人。そのメイドは双子か、ムーンストーンの髪しており、1人はルベライトの瞳。もう1人はブルー・ジルコンの瞳をしていた。胸元が大きく空いたメイド服の2人に挟まれながら、ローズクォーツの髪にその髪と同じ瞳とアクアマリンの瞳をした眼鏡の少年はうんざりする。

「2人とも、僕子供じゃないんだから」

 メイドの持つスプーンとフォークを無視し、自分で食事をしたい。

「だいたい……はぁ。君達は僕じゃなくてオスカー様のメイドだろう? だったら僕じゃなくてオスカー様の方に」
「ワタクシは毎食やってもらっているので大丈夫デスよー」
「……」

 対面、上座に座る人物は面白そうに返事をする。シトリンの長い髪。露出のある奇抜な服装に異様な仮面。その仮面の奥から光る怪しい瞳はエメラルドと同じ色。
 彼の前には食事は無く、チーズやハムが皿に置かれていた。
 片手でワイングラスを傾け、食事をする少年のことを嬉しそうに見ている。まるで酒の肴にしているかのように。

「久しぶりなんですものぉ。ミザリー寂しかったですぅ」
「マロリーもぉ、アナタ様がいない間つまらなかったですぅ」
「「お会いできて嬉しいですわぁ。カーシー様ぁ」」
「たったの2週間、だよね」

 カーシー。シャロンの幼馴染であり、唯一の友達だった少年。

「週1で帰るってアナタ言っていたじゃないデスか〜。この娘達はいつもいつもアナタのことを心配していマシタよぉ?」
「心配って……欲求不満の間違いでしょ」
「いやぁん。カーシー様のぉお口からそんなお言葉が聞けるだなぁんてぇ」
「明日は学園お休みですからぁ、どうか、どうか。寝室で待っていてください」
「……」

 彼女達は既に準備ができているのか、モジモジしながら吐息混じりに唇を噛み締める。
 そんな2人を視界に入れたくはなかったカーシーは食事に集中しようと皿を見た。しかし、メニューを見て呆れる。
 胡桃とアボカドにスモークサーモンのサラダ。
 スマイルカットのレモンが添えられた新鮮な生牡蠣。
 セロリとトマトのマリネ。
 高級ブランド牛のステーキ。
 葡萄とマスカットの盛り合わせ。

「……精がつくものばっか」

 今夜は寝ることさえ出来なさそうと思った。メイドが意図的にメニューを考えて作っているのだとしたら、よほど欲求不満だったのだろうか。

「男らしく肉に食らいつくお姿」
「オイスターを啜る唇」
「葡萄を一粒摘む指先もぉ」
「想像しただけで濡れ――」
「食べにくいんだけど!」

 思わず怒声が上がる。いい加減にしてほしかった。食事中ぐらい放っておいてほしいのに、この場にいる下衆共はお構いなし。
 カーシーの大声にびっくりしたメイド達だったが、そこへワイングラスをスプーンで叩く軽い音が響く。
 音の方へ視線を向けると、オスカーが空のワイングラスを指差していた。

「申し訳ございませぇん!」

 マロリーが急いでワインボトルを持ち、グラスへと注ぐ。赤い、赤ワインは血のようにも見える。

「若い男に群がるのは仕方ありマセンが、ワタクシのことも気にかけてクダサイな。ワタクシ、ご主人様なので」
「あーん、ご機嫌を直してくださいぃ〜オスカー様ぁ」

 オスカーはワイングラスを一口飲むと、マロリーの腰に手を回して引き寄せた。
 目の前で、しかも食事中にオスカーとマロリーは睦み合う。対面するようにオスカーの膝の上に座り、マロリーは舌を出すとオスカーも舌を出して絡み合わせた。

「ああん、タブーですよぉ。ん、ちゅ……」
「おや? 禁忌を犯してこその我々ではありマセンか。今更何の罪が怖いのデショウ?」

 マロリーの舌を指で摘み、引っ張る。自分の舌先で彼女の舌の上をくすぐれば、小さな嬌声が漏れた。

「ひあ……おふかーひゃま……」
「舌で感じてマスぅ? 可愛いデスね」

 キスとは言えない。なんと表現したら良いのかわからない。
 マロリーの舌先から涎がゆっくりと滴り、オスカーもその溢れゆく蜜をしゃぶる。

「もう! ミザリーも我慢しているのにぃ!」

 ミザリーは疼く下腹部を押さえながら眺めるしかなかった。
 カーシーは今のうちだと思って食事を進める。下品な水音、荒い呼吸、布が擦れる音。全てが耳障り。しかし、食事が再び止まるのもすぐだった。

「ああ、そういえばシャロンのことデスが」

 その名。カーシーは手を止める。

「驚きマシタよ。我々、妖精の願いを巫女殿がなんでも聞いてクダサルそうな」

 静かに。オスカーへと顔を上げた。幼馴染の彼女と同じエメラルドの瞳と目が合う。
 彼は口角を上げると、抱いていたマロリーを膝に乗せたまま、片手をメイド服のスカートの中へと滑らせた。

「あんっ」

 肩を震わせる。カーシーはスカートの中で何が行われているのか、なんとなく想像ができた。

「オスカーさまぁ、カーシー様とのお楽しみの前にっ、こんな……っあ、お戯れを……! ひゃあっ!?」

 マロリーは体をビクビクと震わせると、抱き付くようにオスカーへ縋り付いた。しかし、オスカーはそんな彼女のことなど気にせずにカーシーを見つめる。手は止まらず、動かしたまま。
 
「カーシー。アナタなら何をお願い致シマスぅ?」
「なにも願わないよ」

 答えなど最初から決まっていた。1拍も置かずに答える。
 
「あーあ。あーあ。つまらない男デスネぇ」

 空のワインボトルを手に取り、素早く振ると魔法のようにいつの間にかスクロールへと変わっていた。シュポン。という軽い音と共にキラキラと妖精の影がチラつき、空気に溶けてゆく。スクロールは羊皮紙で出来ており、白をベースにした磁器。装飾は金色だった。

「僕には関係無い」
「おんやぁ? いいのデスかな?」

 悪い顔で仮面の男は嗤う。肩を上下に動かして息をするマロリーの濡れた瞳とも目が合った。

「ワタクシが彼女を好きにしちゃいマスよぉ? ……もっとも、最初からそのつもりデスが」

 それはカーシーへの脅し文句であり、本当のことではあるが聞き飽きていた。いや、もう聞きたくないはずであり、それを許そうとは思っていない。

「しかし……なぜデスかねぇ」

 オスカーはマロリーを抱えたまま、不思議そうにスクロールに書かれた契約書のサイン欄を指で擦る。

「途中までしか書けないんデスよ。コレ。何かで妨害されているような……ワタクシと同じくらいの魔力を持つ者がいる……? 魔法が使える人間はワタクシが昔に死滅したはず。ではこれは……」

 普段のふざけた話し方、声色とは裏腹にだんだんと真剣なトーン、口調に変わっていく。
 
「我々と同じ魔の者、人ならざる者が手を加えた……それしか無い。だとすると……」

 しばらく黙り込んで考えた後、彼はスクロールを手から離す。すると、スクロールは床に落ちる前に妖精の影としてキラキラと消えていった。

「アハ! やることが増えちゃいマシタよぉ〜。これからまた忙しくなりそうデスねぇ!」

 マロリーを膝から降ろす。彼女はムーンストーンの長い髪を揺らしてヨロヨロとミザリーの元へと戻った。オスカーは脚を組み直し、マロリーを抱いていた指先を吸い、舐める。

「ワタクシのカーシー。可愛い息子。養子デスが、アナタはワタクシの家族デス。親子デス。そして――」

 彼は嬉しそうに、カーシーへと向き合って笑って見せた。その表情はオスカー自身が言うのならば可憐な草花を見るよう、可愛らしい動物を見るよう、愛しい者へと向ける顔と言うだろう。しかしそれは彼にとって、そして他から見ても悪意のある笑み、眼差しと同様であった。

「人間を喰らい、従え支配する魔の始祖エトヴァス。オスカー・ロベルト・マーヴィン・キェルケゴール・ミュー・ホーエンハイム・エトヴァスに遣えし魔の眷属、契約者の座……カーシー」
「はい。オスカー様」
「パパって呼んでも良いのですよ」
「はい。オスカー様」

 カーシー・アラバスター・エトヴァス。それが彼の名。
 彼はシャロンと別れた夜から、既に人ではなかった。

「……はぁーあ。つまらない餓鬼デスねぇ」

 主人であり親である彼はカーシーを嘲り笑う。いつまでこんなことが続くのか。
 オスカーは椅子から立ち上がり、ワインを飲み干す。

「ワタクシは愛しいマルグレーテ殿に会いに行きます。マロリー、ミザリー」
「「はい」」

 双子のメイドはカーテシーで傅いた。

「カーシーの食事が済み次第、彼を好きにしてイイですよ」

 そう嗤い、彼は部屋を出て行く。ナイフとフォークを持つカーシーの手は震え、額から嫌な汗が流れ落ちていったが、それを優しくハンカチで拭ったのはミザリーだった。

「大丈夫ですぅカーシー様ぁ」
「このマロリーとミザリーが」
「「あなた様の嫌なことを全部、忘れさせてあげますね」」

 優しい言葉は、そんな残酷な表情で言えるモノではないのだろう。双子の視線はじっとりと熱く、獲物をこれから食す獣そのものだった。


 それは次の日であった。
 暖かい日差し。心地の良い風。爽やかな波の音。目の前には果てしない青い海。
 大都会であるエーデルシュタインの中で最も賑わい、豪華で煌びやかなクリソベリル区。
 観光客が多く、地元民からも人気が高い地区である。人気の由来はたくさんの宝石店、ブティック、コスメ、さらにはオーダーメイドのスーツ、靴屋など……様々な分野が揃っており、どのお店も目移りしてしまうくらいにお洒落で高級感がある。
 もちろん、中には若者向けのブティックやスイーツショップなど、老若男女問わず誰もが楽しめる場所。
 エルネスト達は昨日の殺人事件のまた後日に、コライユ港のレストランにいた。
 コライユ港とは、クリソベリル区の南にある港。客が多く、魚介類を求めるのならばうってつけの場所。
 漁師達が大勢おり、常に栄えているため漁師の大声などが港のあちこちで聞こえる。
 エルネスト達が食事しているのはレストランのテラス。目の前には青々とした海がどこまでも広がり、青空には真っ白いカモメ達が気持ち良さそうに飛び回っている。

「んん〜! おいひぃ〜」
「ほらシャロン、こっちのアクアパッツァはどうかしら? 貴女の好きな味だと思うのだけど」
「それも好き〜!」

 賑わう店内で様々な料理を頬張るシャロンと、そんなシャロンに様々な料理を勧め、さらには口に運んで食べさせてあげているソフィがいた。

「ったく、なんでお前がいんだよ」

 本当はエルネスト、ジョシュア、シャロンの3人でコライユ港に来る予定だったが、途中でソフィに出逢い今に至る。本当に偶然出会ったのかは謎。

「あら? 別に、別行動でも良いじゃないの。私が嫌ならどこかへ行っても良いのよ?」
「お前がどっか行けよ!」

 エルネストは既に料理を食べ終え、後は全員の食事が済むのを待つばかりだった。

「エルって食べるの早いよなー。もっと落ち着いて食べれば良いのに」
「お前らが遅いんじゃねーの」
「よく噛まないと健康に悪いわよ」
「るせーな」

 エルネストが食べるのが早いというのは癖。
 ジョシュアはスパイス漂うパエリアを食べていた。お楽しみなのか大ぶりのエビを残して。

「早く食べないと遊ぶ時間が無くなるからなー――って、おい! エルそれ、最後に残していたのに!!」
「早く食わねーからこうなるんだよ。あと、遊ぶ時間じゃ無い、本を読む時間だ」

 ジョシュアが話している隙に、彼が楽しみに取っておいた大ぶりのエビをフォークで横取りする。
 パエリアのスパイスとハーブが香るエビは濃厚な味で、食感もプリプリとしていた。

「エルが食べてたパスタはなんて名前なの?美味しかった?」

 添えられた飾り付けのハーブをフォークで避け、シャロンはタラのムニエルをナイフで切り取る。一口。と言っても一口の大きさは人様々。しかし、シャロンの一口は異様に大きく見えた気がした。

「ペスカトーレ。味は……まぁ」
「ふふ、美味しかったんだね。わたしも次来たらペスカトーレにしようかな〜。あーむっ」

 シャロンはモゴモゴと口を動かしてニコニコと味わう。料理もお菓子も、食べることが大好きなシャロンの表情はいかにも幸せを表していた。

「このエスカベッシュも最高〜! わたし、マリネとか好きなんだけど、これは初めて食べたかも」

 魚のエスカベッシュ。レモンやハーブを効かせた爽やかな味であり、メインとなる魚は衣を付けて揚げられているのが特徴。その魚を甘酢と様々な野菜と一緒に漬け込むという料理。
 魚だけでなく肉を揚げても非常に美味である。ちなみに、シャロンが頂いている魚はサンマ。

「お姉ちゃんに作ってもらお〜」

 そう言い、また大きく頬張った。

「……なんていうか、フレーザーさんはさすが……料理も綺麗に食べるよね〜」
「そう躾けられたからよ。誰でもできるわ」

 ただ食事をしているだけなのに、彼女の食事は非常に絵になった。ナイフを引き、フォークを優しく刺す。そして口に運び……。その一連の流れが芸術的で美術品。

「お嬢様のくせにこんな庶民的なところで食事して良いのかよ?」
「食に階級も何も無いわ。好きな物を食べてこそよ」

 ソフィはスズキのグリルを頂いていた。搾られたレモンを隅に置き、ナイフで小さく切ってはフォークで口に運ぶ。

「あ、ねぇねぇソフィ。今度、クレープ屋さんに行かない? 紹介したいところがあるの!」
「良いわよ。ぜひ教えてちょうだい」

 シャロンは彼女がお嬢様ということを気にしていたのだろう。買い食いに誘えたことが嬉しくて思わず顔に気持ちが現れてしまう。
 2人の様子はとても微笑ましかった。

「お前怒りやすいから甘いモン食って抑えてお――ぎゃあ゛あ゛あ゛!!」

 余計なことを言おうとしたエルネストだったが、何かを勢い良く潰す音と共に絶叫し始める。
 ソフィはエルネストの目に向かってレモンの汁を飛ばしていた。

「イライラには柑橘が効くわよ。そう、レモンとか」

 ソフィは両眼を鷲掴むように押さえるエルネストは無視し、ジョシュアとシャロンは心配しつつも食事を続ける。
 そして食事も終わり、代金を払ってレストランから出て行った。良い匂いでいっぱいだったレストランから変わり、磯の香りが漂う爽やかな港。
 船の汽笛の音、遠くに見える豪華客船からはたくさんの人が降りてくるのが見えた。

「わ、すごいね! わたし船って乗ったことないなぁ」
「シャロンが前にいたところは山の方だっけ?それなら汽車とかかな?」
「うん。施設は森に囲まれていたし……。海だって見るのも初めて!」

 海を一望できる場所で、シャロンは様々なものに指を差してはジョシュアに疑問をぶつける。構わず全ての疑問に答えるジョシュアのその後ろでは、エルネストとソフィが少し離れた場所にいた。

「ねぇ」
「ん、なんだよ」

 先程のレモンがまだ染みているのか、目を食い縛り気味にエルネストは答える。ワルい目付きがさらにワルさを増していた。

「貴方、妖精のことを嫌っていたわよね? 今はそうでも無いのかしら?」
「妖精……なぁ……」

 エルネストにはあまりピンと来ていなかった。妖精を信仰するこの都市、そしてこの国ではエルネストは珍しい存在。むしろ、信じていない者はエルネストただ1人ではないのかというくらいには非常識な話。そして。それは彼らにとっての常識。
 この国の信仰とは、病的なものであった。

「嫌う、じゃねぇよ。俺は最初から今の今まで妖精なんてもん信じていねぇ」
「ああ、そうだったわ。嫌いでは無く、信じていない……。そこは私と違うところね」

 しかし、中には嫌う者も少なくともいる。妖精に裏切られた者、救われなかった者。かなりの少数ではあるが、ソフィもその1人。
 妖精の加護である導きから外れた者達。

「ジョシュアは良いとして、シャロンよ。あの子を見て貴方は何も思わないのかしら?」
「なにが……」
「妖精の存在よ。今も彼女の周りを飛び続けているのでしょう? 会話だってできる。それに、ラウルと対峙した時に窮地を救ってくれたのは水の妖精らしいじゃない」
「……」

 ソフィの冷たい視線はエルネストの瞳を釘付けにする。顎に手を当て、考える仕草をする彼女の表情は探りを入れるような、真剣であり疑いがある顔だった。

「何が言いたいんだ」

 答えによって彼女の言いたいこと、考え、行動、そして自分への評価と価値が決まるような気がする。
 
「妖精の存在、証明されたのではなくて?」

 氷の彼女はニヒルに笑う。波の音や喧騒など構わずに、ソフィの声が鮮明に聞こえた。だけども、エルネストにとってはやはりピンと来ない中身の無い話。
 
「はんっ……あれはシャロンの異端者の瞳ヘレサイトだろ。一般的に妖精と呼ばれる何かと似た存在だ」
「その似た存在って?」
「さーな。興味ねぇよ。悪魔とか幽霊じゃねーの?」

 本当に興味が無かった。これはいろんな人に指摘されたことがある。しかし、エルネストがどんなに妖精のことを調べても、話を聞いても、興味が出ることは無かった。
 先日話題に出た妖精学も、エルネストの1番不得意な科目。他の科目はほぼ満点を取るような頭の良さだが、なぜか妖精学だけは覚えが悪かった。それでも授業だからと言ってある程度は勉強をしているが、本人がどんなに頑張っても、努力をしても実ことは無い。それはきっとこれからも。
 
「相変わらず認めないのね」
「お前こそ、妖精を嫌いだのなんだの言いながら信じているかよ?」
「嫌いの反対は好き、では無くて無関心だわ。貴方みたいにね。好きと嫌いは同等。それが信仰よ」
「……わっかんねーな」
「無理に解ろうとしなくて良いわ。私は私。エルネストはエルネスト。そうよね?」
「……」

 その会話はソフィにとって確認であった。エルネストに対しても。自分に対しても。
 妖精はいないものだと否定をするエルネスト。
 妖精は悪だと主張するソフィ。
 どちらも似ているようで違うもの。しかし、決して分かり合えないものではないと心のどこかで思える。

「そうだな」

 エルネストにとって、その話題は中身が無いはずだった。そのはずだったが、いつも喧嘩ばかりをしているソフィのことが少しだけ解ったような気がした。
 2人が会話を終わらせたその時、遠くからだんだんと近づく乱暴な足音と人々のどよめきが次第に大きくなる。

「どろぼーーー!!」

 女性の叫び声。周りにいた人は彼女のことを、そして彼女が指差した泥棒の姿をよく見ようと騒めく。

「なんだと!?」

 泥棒らしき後ろ姿を見たエルネストとソフィは咄嗟に走り出した。考えるよりも行動。やはり2人は似た者同士。

「追うわよ!」
「言われなくともっ」

 エルネストはソフィの声に応え、ジョシュアの方へ顔を向けては大声で呼び掛けた。

「ジョシュア! シャロンのそばに居ろ! 港の広場で待ち合わせだ!」

 心配そうなシャロンとは裏腹に、ジョシュアは親指を立てて了解の合図をする。彼がシャロンの側に寄り添い、何か口を動かしているところを見届けてからエルネストは前を向いて走り出した。

「わたし達も行かなきゃ!」
「大丈夫だって。人が多いから逸れるだろうし、おれ達はゆっくり行こう」

 そう言って、ジョシュアは人混みを避ける道からシャロンと港の広場に向かい始める。
 その後ろ姿を何者かが見ていたとは知らずに。

 エーデルシュタイン特有の迷路のような路地裏。
 曲がり角。そしてまた曲がり角。十字路に歪に曲がった路地裏。
 泥棒は後ろを気にせずに走っていた。
 身体能力が一般よりも高い異端者ヘレティックであるエルネスト達が追いつけないほどの速さ。運動の選手かと思うほどに綺麗なフォームで駆け抜ける。

「一般人……にしては早いし持久力あるわね」
異端者ヘレティックか?」
「まだ決めつけるのは早いわよ」

 二人とも普段は運動はしない方。これが運動を普段からし、得意とするジョシュアやカイルならばもっと早く走ることができただろう。

(もっと運動するべきか?)

 そんなどうでもいい事を一瞬でも考えた所為か、前を走る泥棒は路地裏に並ぶ樽に並べられた数本の空き瓶を腕で弾き倒す。
 ガチャン、ガチャン。と耳障りな音を立てて散乱するガラス片。
 靴を履いているためそれほど危険では無いが、飛び散った破片が顔を掠める。目に入りそうな予感がして、咄嗟に腕で顔を庇いながら立ち止まってしまった。
  その隙に、見事撒かれてしまう。

「っ、陰湿なことをするわね」
「ふざけやがって……!」

 二人が口々に嫌味を吐くと、後ろから早い足音が聞こえて来る。

「今度は何――えっ?」

 その音は近くなり、二人が振り向くと走っていた人物は地面を蹴り上げて高く、高く飛ぶ。
 二人を避けるために飛んだとしても、それは高すぎた。

「おっしゃあぁああー! おらがいちばん乗りだぞーー!!」

 靡く長いレッドベリルの赤髪が、路地裏に辛うじて差し込まれる太陽の光を反射する。その光を直視してしまった二人は目を背けてしまい、かの者はいったい何者なのかわからない。
 その人物はくるりと宙で一回転をし、軽々と着地をしては止まる事なくそのまま走り去って行った。

「「は?」」

 2人揃って異様な光景に目を丸くする。かの者の姿は既になく、足音さえも聞こえなくなっていた。
 
「超人的……異端者ヘレティック?」
「とにかく追うぞ」

 あの身体能力はあまりにも異常だった。異端者ヘレティックだったとしてもエルネストやソフィは難しいだろう。
 2人は気を取り直して走り出す。泥棒とかの者が走って行った先を。
 路地裏から抜けると、そこは広い港近くの広場だった。先程までの店などが並ぶ場所よりかは人が少ないものの、子連れや恋人達が散歩がてらに歩いているのがわかる。
 潮風がエルネストの髪を撫でた。

「いたぞ! ……って、なんだよあれ!?」

 目に飛び込んできた光景は異様なものだった。赤髪の人物が泥棒を追いかけている。手を伸ばして捕まえるにはまだ距離が足りないくらい。そう思ったときだった。

「そこのぉおおおお! 止まれぇえええーー!!」
「うわっ!? なんだよこの女!! バケモノかよ!」

 赤髪が揺れる。スラリとしたしなやかな脚を大きく後ろに振り上げ、手のひらサイズの石を蹴り飛ばした。

「がふっ……」

 石は凄まじい速さで泥棒の背中にぶつかる。その速さから、頭じゃなくて良かったとエルネストは心から思ってしまった。
 崩れるようにして、泥棒はそのまま泡を吹いて倒れ込む。
 
「な、なんて力なの」

 ソフィは引いていた声色だった。
 2人が呆然と固まっていると、赤髪の人物に近付く者が現れる。

「いや〜ぼくの勘ってばもはや才能だよね〜」

 スフェーンの髪にプレナイトの瞳。エーデルシュタインではあまり見ないような、作業員のような、田舎臭い恰好。エルネストと同じくらいの歳に見えるその男は軟派な雰囲気があった。
 
「おつかれさんっ! サーシャ」
「おうよっ! デュラン!」

 サーシャと呼ばれた赤髪の人物。レッドベリルの髪にサンストーンの瞳。大変動きやすそうな恰好であり、大きく胸元が開いた服に目が惹かれる者は多く、彼女が動く度に揺れている。
 
「やっぱすげーぞデュラン! おまえの言った通りの場所をめざしたら犯人を捕まえられたぞ!」
「へへん。んじゃ、こいつが伸びているうちにディアマントロードへ渡しちゃおう。盗まれた物も持ち主に返して……」
「おー!」

 サーシャが犯人を担ごうとするなり、デュランは彼から盗まれたバッグを取り上げた。
 それを見ていたエルネストとソフィは2人に声を掛ける。

「待ちなさい、貴方達」
「んお? なんだおまえ! 報酬貰うのはおら達だぞ!」
「報酬? 貴方達、一般人相手にあんな……超人的な力を使うなんて……身の振り方を考えた方が良いわよ」

 異端者の瞳ヘレサイトだという確信はまだ無い。だからこそソフィはその言葉を飲み込んだ。
 ソフィは犯人の身柄を渡さんとばかり威嚇するサーシャに呆れ、浅い溜め息を吐いては首を振る。どうやら彼女達のことを世間知らず、又は非常識だと思ったに違いない。

「人助けに使っているから文句言われる筋合いはないんだぞー!?」
「わわわッ! ごめんなさい!! ぼく達そういうのあんまりわからなくって……ほら、サーシャも謝って」

 睨み合う女2人の間に慌ててデュランが飛び出す。サーシャの頭を掴むと、強引に頭を下げさせた。

「いててっ、デュランが言うなら……すまん」

 サーシャはあまりよくわかっていなさそうだったが、二人は深く頭を下げる。
 そんな二人を見て、エルネストは彼らの身なりに注目した。

(あまりエーデルシュタインでは見ない服装だな。男の方はやや色白だが、女の方は小麦色。日焼け後が残っているな。……エーデルシュタインで日焼け?)

「……お前ら、エーデルシュタインに来るのは最近か?」
「ああ、そうそう! ヴィリロスっていう村から……」

 ヴィリロス村。エーデルシュタインから出て東南の方にあるレクリエール国一番の南の村。
 人口は少なく、年寄りばかりが多い気もするが、若者もそこそこ。そこそこいる。暖かい地方であり、エーデルシュタインでは見られないような絶景の海、砂浜が特徴。
 コライユ港ほど賑わいは無いが、古くから漁業が盛ん。村人のほとんどは漁師らしい。

「ド田舎」

 ソフィは何か納得したような顔で手をポンと打つ。都会暮らしのお嬢様にとってヴィリロス村はド田舎だ。

「んだとおまえー! 田舎じゃねーぞ!!」
「いや、田舎だよサーシャ」

 愛する故郷を馬鹿にされ(多分、言った本人は馬鹿にしたつもりは無い。)、サーシャは食いつくがまたもやデュランに止められる。

「あー、えっと。訳あって出稼ぎとして都会に来たってところかな」
「出稼ぎなぁ……」

 やはり大都会、宝石都市エーデルシュタインに夢や希望を乗せてやって来る田舎者は珍しくも無く、むしろ多かった。
 犯罪都市としてのエーデルシュタインを知らずにか、はたまた知ってか。犯罪の餌食にされる田舎者は後を絶たない。
 そのため、エルネストにとって出稼ぎする田舎者には良い印象が無かった。一度は犯罪に巻き込まれるのが目に見えているから。
 
「はぁ、はぁ……あの!」

 四人が会話をしていたとき、二人のディアマントロードと一人の女性が慌てた表情でデュランとサーシャに駆け寄って来た。
 ディアマントロードはエルネストとソフィを一種だけ見たが、二人の視線に合うとすぐに帽子を深く被り直して目を背ける。

「あの! 泥棒を捕まえてくださりありがとうございました。なんてお礼をしたら……」
「いいのいいの! 礼は〜そうだね、今日のお夕飯代くらいでも――」

 デュランがいただきたい報酬の内容について注文をしようとした。そのとき。

「……」

 女性の顔が強張る。走ってきた時の焦った顔とは違い、その表情は酷く怯えていた。しかし、それでも彼女はどうにか顔には出さようにしている。傷を付けたくは無いが、自分もまた傷つきたく無いのだから。
 
「ん?」
「あ……すみません、本当に……すみません」

 態度が急変した女性に対して、エルネストとソフィは察してしまう。今回だけでなく、それは日常の一部であり、一般的な反応。慣れていた。慣れてしまっていた。
 
「……」
「あ、ありがとうございましたっ!」

 女性は頭を下げて礼を言うと、鞄を抱き締めて走り出す。ディアマントロード二人は彼女を追おうとしたが、彼らを止めたのはソフィだった。

「ディアマントロード。この泥棒を連れていって頂戴。今回は私とエルネストは関係無いから。そこの二人に協力した礼の品を。送り先は後で伝えておくわ」
 
 ディアマントロードはサーシャから泥棒を引き渡される。脱力しきった身体は重く、受け取ったディアマントロードはサーシャが一人で肩に担いでいたということに驚いていた。
 担いだ彼とは別のディアマントロードが、代わりも含め敬礼をする。
 
「承知致しました。フレーザー様」

 ソフィは異端者ヘレティックで差別されてはいるが、明らかに彼女を罵るような者は少なかった。影では何を言われているかは本人も周りも想像がつく。
 彼女は妖精保護機関に直属しているが故に、異端者ヘレティックの中では上位の存在、特別な存在だった。そのため、人権が無いとまで言われている異端者ヘレティックの願いでも彼女が言えば融通が効くことは多い。
 しかしそれは、彼女にの中に流れている血のお蔭である。

「あ!! おーい! え!? なんで!? ねぇなんで!? なんで逃げちゃったの!?」
「悪いわね、私達の所為かも」
「ええ!? 答えになっていない!」

 邪魔な荷物が消え、伸び伸びと気持ちよさそうに腕を伸ばすサーシャとは逆に、デュランは現状を理解していなかった(サーシャも理解はしていない)。
 まず最初に、女性がなぜあんな顔をしたのか。次に超人的な力である異端者の瞳ヘレサイトをなぜ一般人へ向けてはならないのか。そしてエルネストとソフィは何者なのか。
 
「良いわ。お詫びとしてこの都市のことを教えてあげる」
「俺らのこともな」

 ポカンと口を開けて首を傾げるデュランだったが、そんな四人がいるところへ少女の苦しそうな大声が耳に入る。

「おーい! はぁ、はぁ……おーーーい!! はぁ、はぁ……あーん苦しい〜!!」
「シャロンはほんと体力無いなぁ」

 エルネスト達が出てきた路地裏の方から、へとへとになっているシャロンと余裕なジョシュアが走ってきた。

「はぁ、はぁ……うーソヒー……」
「はいはい。落ち着いてシャロン」

 シャロンはソフィに抱きつくようにして身体を雪崩込ませると、それを受け止めたソフィは優しく背中を撫でる。

「よ! どうだ? 犯人は捕まったかぁ〜?……って、なんだ? この空気」

 知らない人が2人。しかも男の方は何とも言えない、不安そうな表情をしている。一方で女の方はニコニコと笑っていた。


 時は今より経過し、エルネスト達四人は広場のベンチで座り込んでいた。シャロンとジョシュアは、近くの屋台に並んでおり、シャロンがエルネストの視線に気がつくと笑顔で手を振る。
 シャロンの反応に何か返すことは無く、鼻で笑うと脚を組み直して視線をデュランへと移した。

「なぁ、出稼ぎってよ。地元じゃできなかったのか?」
「あんな田舎じゃ金を掻き集めるだなんて無理むり……ただでさえ仕事が無いのにさぁ」
「エーデルシュタインは仕事はたくさんあるが、危ねぇとこだぞ。金儲けどころか、逆に借金が増えることもあるだろ」
「うぐっ」

 借金。その単語にデュランの肩が跳ね上がる。

「心当たりあるのね」
「だったらこんなとこさっさと出て行って、他の都市を目指した方が良いんじゃねぇか? ここじゃ無くたって仕事はあるだろうが」
「それが……」

 デュランは何かモゴモゴとしていた。話したくのか、エルネストとソフィの視線から逃げるように顔を背ける。
 しかしそこへ、シャロンとジョシュアが人数分のワッフルを持って現れた。

「買ってきたよー!」
「エルはこれだ。チョコレートフレーバーが良いだろっ?」
「どーも」

 エルネストはワッフルを受け取る。プレーンのワッフルにバナナと生クリームが盛られ、チョコソースが掛けられている。トッピングとして飾られたスライスアーモンドの香りがフワリと漂う。

「ソフィはわたしとお揃い!」
「ありがとうシャロン」

 優しい笑みでソフィも受け取る。砂糖が塗されたプレーンのワッフルにスライスされたオレンジ、砂糖漬けされたレモンが交互に並び、オレンジソースが掛けられている。彩として添えられたミントがあったが、シャロンは避けることなく頬張っていた。

「はぁ〜おいひ〜!」
「そこの二人も、おれとシャロンの奢りってことで……えーと」
「ぼくはデュラン。ちょうどお腹ぺこぺこだったんだぁ〜。ありがたく受け取らせていただきますっ!!」
「おらはサーシャ! コレ美味そうだぞデュラン! おら見たことねぇ!」

 ジョシュアが二人に渡したのは他よりも一回り大きいサイズ。歓迎の意味として、そして泥棒を捕まえたという感謝の意味として、気遣いができるのはさすがのジョシュアだった。
 プレーンのワッフルにイチゴがゴロゴロとトッピングされ、生クリームにイチゴソースが掛かっており、さらにはバニラアイスまでも添えられていた。
 ちなみにジョシュアもサイズはノーマルだが同じフレーバーである。

「え!? これ……食べ物なのか!?」
「そうだけど……あ、あんまり馴染みない?」
「無い! うーわ……すごい……こんな宝石みたいにキラキラした食べ物ってあるんだ!」

 デュランが頬張る。その顔は食べ物をエーデルシュタイン1美味しそうに食べるシャロンと同じくらいに、幸せそうな顔をしていた。
 サーシャも美味しかったのか、パクパクと早く食べてしまう。

「うまーい!」
「サーシャ! 勿体ないからもっと大事に食べなってば!」
「うふふ、気に入ってくれたなら嬉しいなぁ。またみんなで食べに来ようね」

 早くも食べ終わったサーシャをシャロンは見て、思わず笑い出してしまう。何がおかしかった訳ではなく、ただまた、一緒に食べることができる人が増えたのだと思っていた。


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