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妖精事件は夜霧の中で ~【8話】【break the ice】アイスブレイク

【break the ice】アイスブレイク
 氷を解かすこと。初対面の人同士が出会う時、その緊張を解す為の手法。
 場を和ませ、コミュニケーションをとりやすい雰囲気を作り、相手に積極的に関わってもらえるよう働きかけることを指す。
 しかし、それはあくまで相手の氷を解かす行為。自分自身の氷は決して解かすことは無い。


 レピエール学園。正式名称は私立レ・ピエール・プレシウーズ学園。
 長い歴史がある学園であり、王族がいた時代では王立レ・ピエール・プレシウーズ学園だったが、王族がいない今では妖精保護機関が学園を買い取り今に至る。
 9歳から21歳までの生徒達がおり、それぞれ小学部、中学部、大学部に分けられている。
 受験を行い、合格した者のみが通える名門。名門と言ってもズバ抜けた才能などは特に必要無く、必要なのは保護者の身分である。年収、職業、どの大学を出たかなど聞かれるとか。その割には身分にばらつき(そもそも親がいない生徒もいる)があるため、本当にそこが評価ポイントなのかは謎である。
 もしかしたら半分は裏口入学だとも言われているが、それはまた別のお話。

「えーっと、えーと……え?なにこれ……なにこの数式!?」

 学園の中庭。木のベンチにエルネスト、シャロン、ジョシュアが並び、シャロンは教科書を難しい顔で眺めていた。

「見るんじゃなくて、理解して読め」
「ここ授業とかでやらなかった?」

 転校生であるシャロンは今まで施設と田舎で過ごしていたからか学校などに通う事はなく、勉強というものもほぼ独学か、姉や兄に教わるぐらいしかなかった。
 それがいきなり学園に通う事になり、途中から始まる授業内容に四苦八苦しているとか。

「じゅぎょう……?」
「その反応は心配になるな」
「しょ、小学部の内容はわかるんだけど……中学部のはさっぱり……で。ううん……」
「はぁ」

 シャロンの学力は驚くほど無かった。本人の言った通り、小学部の内容はどうにかなるが中学部の内容は難しいものだった。

「困ったなぁ。これじゃあ授業もわからなくてつまらないだろ?」
「元からあんまり勉強は楽しくない……し」
「嫌いなタイプだったかー」

 パラパラと教科書を捲るシャロンの目はつまらなさそうで、興味も無さそうに見える。
 一方でエルネストは学年トップクラス、ジョシュアは上の下だ。

「まぁおれもあんまり好きじゃないさ。エルネストに教えてもらわないとテストとか酷いし」
「お前はやるまでの尻叩きが必要なだけだろ」

 エルネストは手を伸ばして反対側に座るジョシュアの頭を教科書で叩いた。

「あでっ」

 ジョシュアのことは放っておいて、エルネストは自分の教科書を開くと、今の授業で学んでいるページを捲る。

「お前、頭悪りぃーとまた変なところで目立つぞ」
「ええっ!?」
「完璧になれとは言わねぇ。ただ、授業の内容がわかるくらいまでは教えてやるよ」

 ページを捲る手を止め、シャロンの教科書も同じページに合わせようとし掴んだ。しかし、なぜかシャロンも手に力を入れて教科書を離そうとしない。

「えっ!?い、いいよべつに!」
「遠慮すんなよ」
「いやいやいや!ほんとに、申し訳ないし!」
「俺は構わねぇ」
「いや、いやいやいや!嫌!」
「嫌じゃねぇ!勉強したくねぇだけだろお前!?」

 無理やり。一気に引っ張って教科書を奪い取る。

「ひーーん」
「よし、じゃあ決まり!エルは教えるの上手いし、大丈夫だって!」
「うー……」
「金取るわけじゃねぇんだから。それに、嫌なら嫌で良い。俺も好かれたくてやるわけじゃねぇし。今やっている授業の内容がわかるくらいで良い」
「あー……うーん」

 シャロンは勉強をしない言い訳が尽き、エルネストに教わることになった。
 しばらくして鐘が鳴り、午後の選択授業が終わって下校する生徒達が現れ始めた頃。

「あー!そういうこと!?そういうことね!?」

 うたた寝していたジョシュアがシャロンの声で飛び起きる。

「小学部の応用みたいなもんだろ?それさえわかればとりあえずは大丈夫だろ」
「うん!ありがとう、エル先生っ!」
「せっ……」

 シャロンはニコニコの満面の笑みで教科書を抱き締める。その笑顔はエルネストに向けられたが、先生と呼ばれてなんとも言えない不思議な気持ちになった。
 それを察してか、ジョシュアがニヤニヤしながらちょっかいを出す。

「エルせんせー?授業はもう良いのかよ〜?」
「うるせぇ。あーもー終わり終わり!キリもいいとこだし、あとはまたな」
「うん!あっ……今日教えてもらった数学以外にも教えて欲しいなーって……ダメ、かな?」

 首を傾げ、少し申し訳無さそうにエルネストへと訪ねる。後ろから、シャロンと同じように首を傾げてニヤニヤするジョシュアが視界にチラつくが、無視しようと思った。

「ああ、良いぞ。ただし寝たり飽きたりすんなよな」
「しないよ!しない!絶対しないから!」
「ほんとかよ。お前今日だって10分置きに船を漕いでいた気が……」
「きょ、今日は初日だからぁ!それに教えてもらえるって知っていたら前日もっと早く寝るよ!」
「さーてどうだが」
「もう、バカにして〜!……あっ!じゃあこうしよう?」

 むくれていたシャロンが提案をする。エルネストに、とんでもない提案を。

「エル先生の授業で、寝そうになったら……お仕置き、して?」
「……」

 ニコニコとエルネストの顔を覗く。何も考えていないでその発言をしたのだろう。そのままの意味として受け取れば良いものの、エルネストもジョシュアも思春期真っ盛り。違うとわかっていても何か別のことを考えてしまう。

「そういう発言は控えた方が良いと思う……なぁ〜」
「え?なんで?」
「わかんねぇならわかんねぇで良い……けどよ、俺らがいないところでそういうことを言うなよ?」
「んん?わ、わかった……」

 なぜ咎められたのか理由を伝えるべきかどうか悩んだ2人だったが、伝えたところで自分達が変な妄想をしたということをバラすようなもの。
 変な雰囲気になってもまずいため、このまま黙っておこうと2人は合図、目配せも無しに決めた。

「よし、じゃあ帰るか」
 
 サッチェルの中に教科書、ノートを入れて準備をしている中、シャロンはふと、中庭を隔てる渡り廊下へ目が行く。

「あ……」

 眼鏡を掛けた、ローズクォーツの髪の男子生徒。猫背気味の彼は憂鬱そうに歩いていた。
 シャロンは何か言いたげに口を開いたが、何も発せられることは無く、渡り廊下を歩いていた彼もシャロンに気が付かないまま通り過ぎて行く。

「ん、なにかあったか?」
「え!?ううん、なんでもないよ」

 シャロンは気取られずに話を変えようとしたが、エルネストが思い出した話はシャロンが今触れられたくは無いものだった。
 
「そういやお前、幼馴染がこの学園にいるかもしれないって言ってたよな?手掛かりはあったか?」
「えっ!?……あ、うん……手掛かりっていうか……実は同じクラス」
「ええ!?じゃあ話しかけちゃえば良いじゃないか!」
「同じクラスなら名前でわかるだろ……」

 エルネストもジョシュアも、幼馴染の存在を知ってはいたが、それがまさかシャロンの同じクラスだったとは思わない。
 ちなみに、シャロンと2人は別のクラスである。

「名前……名前ね。フルネームは知らないんだよね。研究所にいた子供たちはみんなラストネームが無いの。私がいたところが孤児ばかりだったっていうのもあるけど……」
「ファーストネームが合ってさえすりゃだいたい大丈夫だろ」
「うん。わたしもそう思ったよ。それだけなら良いんだけど……なんか、妙に避けられているような気がして。は、話しかけにくいというか」

 シャロンのサッチェルを背負おうとした手が止まる。
 
「喧嘩別れか?」
「ううん!違うよ!……違うんだけど……あんまり良いお別れの仕方じゃなかったかな」

 表情は悲しげで、当時のことを思い出しているのかシャロンは切ない思いでいっぱいだった。
 その様子にエルネストは申し訳ない気持ちになる。しかしここで謝るよりも、もっと前向きに考えてみるように彼女へ一言添えた。

「考えすぎじゃないか?」
「え!?やだ、わたし暗い子!?」
「かもな」
「うーんごめん、直す……」
「相手もお前に気が付いていて、お互いに声が掛けにくいとか。……あんまり気にすんなって」

 エルネストは肩を落としたシャロンの肩を軽く叩く。その後ろで、他の誰かの声がした。
 
「あら、不安は誰にだってあるものよ」

 何処からともなく、落ち着いた……というよりも冷ややかな少女の声。
 エルネストの後ろから現れたのはアパタイトの髪と瞳をした、如何にもお嬢様な雰囲気を漂わせる女子生徒。シャロン達と同じ制服でありながら仕草と気品さで育ちの違いがわかる。

「何処かの誰かさんみたいに、不安の欠片も無くて無謀な人よりも断然良いもの」
「てめぇなんの用だ」

 その女子生徒の名はソフィ。
 エルネストと出会っては、どんなにくだらなく小さなことでも喧嘩になる仲。
 エルネストは突然現れたソフィに警戒をしていたが、ソフィはそんなことなど気にせずに話を続けた。

「ご機嫌様。ふふ、噂は本当だったのね。最近、貴方達……とくにエルネストが可愛い女の子と一緒にいるところを見るって。学園のみんなが言っているわよ」
「へ?え!?」
「はぁ!?」

 自分が可愛いと言われたことに恥ずかしがるシャロンをよそに、エルネストは声を荒げる。
 エルネストがシャロンと出会ってからというものの、学園でも3人でいることが何かと多くなっており、その様子を見た生徒達はたちまちその話題で持ちきりだった。

「好き勝手に言われているみたいね?彼女のことを事件で利用したとか、追いかけ回したとか、脅したとか」
「間違ってはいないような」
「いや違うだろジョシュア!?」

 噂とは怖いもの。どれもこれもあるはずの無い話題が一人歩きするのが定番だが、なぜか全て当てはまるような気がした。脅したことについてはシャロンへ犯罪者の囮になるように話を持ちかけたことだろう。

「ま、貴方の奇行はいつものことだもの。何にも変じゃないわ」
「バカにしてんのか」
「バカにしてる……?あはは!事実じゃないかしら?もっと現実を見なさい、エルネスト・トルーマン」
「はっ。てめぇこそ、相変わらず他人の目が怖いってか?そりゃそうだもんなぁ?愛想も悪りぃし態度もでかい。器も小せぇしよ!」
「自己紹介?よく出来ているわね」
「自分のことも理解できねーのかぁ?」
「なによ」
「んだよ」

 いつかのカメオの事件と同じように、口喧嘩を繰り返す。
 シャロンとジョシュアを置いて2人のくだらない口喧嘩は止まることはなかった。

「ま、まぁまぁ2人とも〜」
「「ジョシュアは黙ってろ(なさい)!」」
「はい……」

 止めようとしたものの、2人のキツイ眼光がジョシュアに突き刺さる。
 大人しくシャロンの横で小さくなっていたジョシュアだったが、遠くで女子生徒の人集り、そして高身長の男子生徒が1人見えた。

「お、あれって……」

 男子生徒は女子生徒達へ手を振りながら去ると、こちらへ向かってきた。
 長いオプシディアンの髪にトパーズの瞳。美しいその黒髪は老若男女、誰もが目を奪われる。
 制服は大学部のものであり、エルネスト達が着ている中学部とはデザインが異なっていた。

「お待たせ致しました。お嬢様」

 軽くお辞儀をし、手に持つサッチェルを丁寧にソフィへ渡す。

「ありがとう。カイル」
「最悪なのが増えた」
「エル、しっ!!」

 ソフィの執事であるカイル。カイルも同じく、いつかのカメオの事件で一緒にいた人物だった。
 相変わらずニッコリと笑うカイルであったが、エルネストとジョシュアにとっては要注意人物の1人。いきなり銃を人に向けるような頭のおかしい奴。

「聞こえていますよ。エルネスト様」

 その言葉に体が飛び跳ねる。
 和かな笑みは数多の女性を虜にするが、裏に隠れる謎の怪しさは得体が知れない。

「ああ、そう。自己紹介がまだだったわね」

 ソフィがサッチェルを背負うとシャロンへ体を向けてゆっくりとカーテシーをする。
 その仕草はあまりにも優雅で、まさしくお嬢様そのものの振る舞いだった。

「私はソフィ。ソフィ・フレーザーよ。以後、お見知り置きを」
「わ、わたしは――」
「シャロン。よね?」
「わ、わたしの名前っ!」

 ソフィはエルネストに決して向けることのない笑みでシャロンに笑い掛ける。冷ややかな彼女とは思えないほどの、温かな。

「私、貴女とお友達になりたいと思っていたの。良ければ話相手になってくださらない?」

 優雅に、小さくて華奢な手はシャロンの手を包み込む。

「……!もちろん!」

 シャロンの顔がパァッと明るくなる。思わずソフィを抱きしめてしまいそうになる思いをどうにか抑え、握りしめられた手をもう片方の手で強く包んだ。
 シャロンにとって女の子の友だちは初めてだった。声をかけられたりはしていたが、それでも長く続くような関係とは言えない知り合い未満ばかり。
 もしかしたら今回もそうなってしまうかもしれないと、少しだけ思っていたシャロンだったが、今はそんなことなど、どうでも良かった。

「よろしく。シャロン」
「うん!よろしく、ソフィちゃん!」
「いいわよ、ソフィと呼んで」

 そんな微笑ましい2人を見て、カイルは微笑む。

「良かったですね。お嬢様」

 シャロンはカイルを見ると、考えるような仕草で顎に手を当てた。

「えーっと……どこかで会ったことありましたか?」
「おや。うーん、すみません。女性は基本的に覚えてはいるのですが……」
「あ、いえ……わたしの気の所為です」

 変なことを言ったと思い、少しだけ後悔するシャロンだったが、その様子を見たカイルはすかさずフォローを入れる。

「大丈夫ですよ。むしろ、何かの縁ではないでしょうか?お嬢様の方もですが、私とも何卒よろしくお願い致します。シャロン様」
「様!?様だなんて」

 シャロンがカイルに対して照れているのか、それとも様と呼ばれたことに照れているのかは謎だが、エルネストがカイルを冷めた目で見ていることはわかった。

「じゃあ私はもう行くわ。また明日。シャロン」
「ソフィ!またね!明日一緒にお話しよう!」

 ソフィは上品に手を振り、カイルはお辞儀をする。
 至近距離にも関わらず、大きく手を振るシャロンと、その様子を見て小さく笑うソフィはさぞ楽しそうに手を振って執事のカイルと中庭を出て行った。

「はぁ?なんだあいつ」
「フレーザーさんてああいうとこあるんだぁ」
「おっ……」

 ソフィがいなくなるとシャロンは拳を握りしめて震え出す。

「女の子の友達……できた!」
「あー……よかったな」

 転校してきたばかりで、友達と呼べる者は片手に収まるほどだったシャロンにとって、今日は忘れられない日になりそうな。
 あまりにもオーバーなリアクションをするシャロンにエルネストは少しだけ、呆れた。
 そして、ソフィにそんな一面があったのか、それとも何かを企んでいるのか……。

「さすがにわざわざ友達になって何かをするような奴じゃねーか」

 ほんの少しだけ違和感があった。事件現場などで一緒になることは多いが、だからと言って彼女のことを知っている訳ではない。ましてや、彼女とは犬猿の仲だ。
 しかしそれでも、嫌いでは無い。
 疑うのは違うような気もして、エルネストは面倒臭そうなため息を吐く。

「あー!?」
「今度はなんだよ」

 突然シャロンが大きな声を上げたかと思えば、サッチェルの中身を探していた。

「ああ〜教室に図書室で借りた本置いてきちゃった……ごめん!2人とも先に帰ってて!」
「あ!おい!」
「いってらっしゃーい」

 慌ただしく中庭を出て行ったシャロンに声を掛けるも聞こえてはおらず、2人は置いてかれてしまう。

「良いんじゃない?ゆっくり歩いて行こうよ」

 ジョシュアはエルネストの前を歩き始めていたが、その途端、シャロンが消えて行った方とは逆の渡り廊下からギャレットが慌ただしく走って来た。

「エルネスト!ジョシュア!ここにいたか!」
「ギャレット先生、なにそんな慌てて……」

 慌て方は血気迫るもので、その様子から2人は事件なのだと察する。
 2人が息を呑むと、息を整えたギャレットが言い放った。

「この前、お前と戦った犠牲者ビクティムの生徒が死んだ」

 シャロンを襲った犠牲者ビクティムの男子生徒。
 エルネストが浄化をした後、ディアマントロードに運ばれてグラナード総合病院に行ったが、その後のことは話に聞いていなかった。
 入院をしていたのだろう。そして、不殺の死神に救われた心を、命を、人生をもう一度やり直そうとする力は、想いは虚無に勝てなかったのだろう。
 犠牲者ビクティムという死から助けたはずの者が、意識不明のまま戻る事は無く、死んでいくのを何度も経験した。
 
「……ああ……。そうか。抗えなかったってこと――」

 エルネストはまたかと、悔しいようなやるせ無い気持ちが込み上げてくる。
 思わず舌打ちをしたとき、ギャレットはジョシュアとエルネストを中庭の隅に手を引っ張って強引に連れて行く。
 そして、2人の肩を掴んで小声で話した。

「誰かに殺されたんだ」
「え?」

 殺人事件。
 彼が彼の意志で死んだのでは無く、他人に殺された。
 それは初めてのことだった。

「なんで……!」
「わからない。とにかく、嫌な予感がするんだ。すぐに帰宅して着替えたらグラナード総合病院に来てくれ」
「わかりました。エル、早く帰ろう!」

 エルネストは呆然と立ち尽くす。アイツが殺された意味は?原因は?全てが謎だった。

「俺は先に行く。エルネスト、大丈夫だ。お前の所為では無い」
「……」
「ああ、そうだ。そうだ。現場はかなり荒れている。正直、お前達に見せるものではない。無理だったら退いて構わない。わかったな?」

 2人はわかっていた。ギャレットはあまりにも悲惨な事件が2人に舞い込む度にそれを口にする。
 彼が退いても構わないとは言うが、実際にそれは無理なことだった。
 それを決めるのはギャレットでも無く、本人達でも無い。妖精保護機関の連中が決めること。
 異端者ヘレティックと呼ばれた彼らにモノを選ぶことは無かった。

「ギャレット先生」

 エルネストが前を真っ直ぐに見つめる。真剣なその顔で。
 ギャレットに責任を負わせないためにも、殺された男子生徒のためにも、そして異端者ヘレティックと呼ばれた自分達のためにも。

「その事件、俺達が解決してみせる」

 覚悟を。
 ギャレットはその言葉と想いを受ける。

 「わかった。俺は先に現場に行く。お前達も準備ができ次第、向かえ」

 2人は力強く頷いた。それを見届けてからギャレットは、急いで病院へと向かって行く。
 その場に残った2人だったが、渡り廊下の柱に隠れている影があった。
 それが誰なのか、エルネストにはわかる。

「シャロン」
「わわわ!」
「話は……聞いてたな?」
「ごめん違うの。盗み聞きをするつもりじゃなくて……」 

 シャロンは謝ろうとしたが、2人は気にしていなかった。むしろ……

「聞いてた?じゃあ説明はいらないね」
「そういうことだシャロン。俺達は捜査に行く。お前は家で待ってろ」
「……。うん」

 何かシャロンは言いたげだったが、それは落ち着いてから聞こうとエルネストは思った。
 しかし、好奇心旺盛な彼女なら行くだのなんだの言い出しそうだったが、なぜか大人しかったのが気になる。
 好都合ではあるが、異端者ヘレティックとして彼女と戦いたいという思いをさっそく無下にしているような気もしていた。

「急ごう2人とも!早く帰って、俺達は準備だエル!」

 急かすようにジョシュアが2人の背中を押す。その瞬間にジョシュアはスルリとシャロンのサッチェルを奪うと、抱えて走り出した。

「あ!ジョシュア待ってー!」

 シャロンが奪われたサッチェルを追うようにして走り出すと、エルネストもそれに続いて走り出した。

――――――――――――――

 グラナード総合病院。
 エーデルシュタインで1番大きな病院であり、歴史的建造物としても有名。
 その病室のと或一室で、凄惨な事件が起こったのだった。
 病室の前でエルネストとジョシュア、先に現場に来ていたソフィとカイルが待機している。
 ディアマントロード達と数人の妖精保護機関の研究員があちこち忙しそうにしていた。

「お前らも来てたか」
「もちろんよ。貴方達とは違って、私達は妖精保護機関直属特殊捜査員なの。情報も早いわ」

 ソフィとカイルは妖精保護機関直属の特殊捜査員。
 エルネスト達は直属捜査員では無く、研究員であるギャレットが保護しており、その対価として捜査に協力するという契約を結んでいる保護下特殊捜査員。
 正直言って違いは無く、直接妖精保護機関に属しているかどうかの違いだった。
 ただ、直属の方が情報は早く、任される内容も多い。あとは直属の方が多く金を貰っているらしい。

「はぁ。明らかに私達が上なのに、どうして捜査員記章は一緒なのかしらね」

 特殊捜査員は、現場に入るときには必ずダイヤ型の金色の記章を身に付けることになる。
 ソフィはそれがなぜ、直属と保護下でデザインが同じなのかと不満だった。

「関係ねぇだろうが」
「……それもそうね」

 そのときの彼女は悔しそうな、諦めのような、なんとも言えない表情をしていたような気がする。
 その場にいる全員は憶測だがわかっていた。
 直属だろうが保護下だろうが、異端者には変わり無い。つまり、妖精保護機関にとっては関係無く、分ける必要も無いとのことだろう。

「さっさと終わらせて解散しましょ」

 ソフィがそう言うと、1人のディアマントロードと、ギャレットが現れる。

「こっちの準備は出来た」
「ギャレット先生、私達はいつでも?」
「あ、ああ……」

 やはり気乗りしないギャレット。何か言い難いことがあるのか、頭を軽く掻いてからディアマントロードに病室の扉を開けるように指示をする。
 開けられた扉からは、むせ返るような匂いが漂っていた。

「なんだよ……これ……」

 病室。辺りには赤いペンキをひっくり返し、至る所にぶち撒けたような光景。否、それは赤いペンキでは無く、血。
 酸化して赤黒くなり、白かったであろうその清潔な空間は、赤く、黒く、悲惨な現場になっていた。しかし、窓や花瓶が割れていることは無く、暴れ回ったような様子も無かった。

「う゛っ……」
 
 腕で鼻を隠すジョシュアが見たものは首の無い死体。ベッドの上で横たわり、裂かれた腹は内臓が抜かれ、代わりに花が敷き詰められていた。腸であろう長くて赤い紐状のもので体は縛り付けられ、まるで花束のリボンのように、可愛らしく結ばれている。

「死の化粧師ね」
「それって」

 ソフィが口にする。

「殺人鬼の1人よ。アノニマス・ファイブの」
「アノニマス・ファイブが!?」

 殺人鬼アノニマス・ファイブ。
 素性が不明で、半ば都市伝説入り混じるオカルト的な存在。
 その名前の通り5人の殺人鬼である。
 犯罪がエンターテイメントと化しているこの犯罪都市エーデルシュタインにとって、アイドルのような存在でもあった。

「なんでそんなのが」
「知らないわ。考えるのが先でも良いけど、私達がここに呼ばれたのは現場検証のためよ。エルネスト、貴方も異端者の瞳ヘレサイトを使いなさい」

 異端者の瞳ヘレサイトと言うと、周りの見張り……数人のディアマントロード達がソフィとエルネストへと視線を向けた。
 嫌そうな、異端を見る目で。

「……ロード達が邪魔ね」

 ソフィもまた、鬱陶しそうにディアマントロード達を睨む。

「貴方達、異端者の瞳ヘレサイトを使うわよ。巻き込まれたくなければ出て行くことね」
「だそうだ。出て行くぞ」

 彼女が周りに知らしめるかのようにハッキリとした声を出すと、ギャレットも煽るように病室の扉を開ける。ディアマントロード達が渋々と出て行くと、最後にギャレットもゆっくりと扉を閉めて出て行った。

「さ、これで仕事がしやすくなったわ。カイル、貴方は外を」
「承知致しました」

 カイルが窓を開けると、小さく口を動かす。気になってそれを見ていたエルネストとジョシュアは、彼の異端者の瞳ヘレサイトがいったい何なのか、聞こうとした。

「?おい、カイルの異端者の瞳ヘレサイトって……」
「後でにして」

 ソフィがイラついた声で制す。

「ああ、おう……」

 それもそう。他人の異端者の瞳ヘレサイトよりも、今は目の前の殺人現場だ。
 不謹慎だったと改めた2人も異端者の瞳ヘレサイトを使用して現場検証に取り掛かる。

「……」

 漂う不穏な臭い。目に見える不穏な赤。
 今までも、つい最近でさえ殺人現場や死体を見てきたはず。
 そのとき自分は、恐れていたか?何を思っていたか?
 そういえば。慣れてきていた気がする。

「うっ……おえ……」
 
 目の前の惨劇が、死が、改めて酷いものだと実感する。
 強くなりたいと思って慣れてきたつもりだが、やっぱり一生この光景には慣れないだろう。

「いや、慣れないでいたいな……」

 慣れてしまったら。そう考えたら怖くなった。
 無意識に今まで慣れた振りをしていたが、もし慣れてしまったら。自分はどうなるのだろう。何を思うのだろう。何を感じるのだろう。
 不殺と言えど死神呼ばわりされている自分が死を恐れているなんておかしな話だと少し思ったが、そんなことはどうでも良い。
 死は、恐ろしいモノなのだから。
 
「ジョシュア、異端者の瞳ヘレサイトを使う。お前は俺が言うことをメモしてくれるか?」
「わかった」
「よし、いくぞ」

 エルネストがベッドに触れると、青い瞳が一層深く青く、鮮やかに輝く。ベッドに触れた指先からぼんやりと青い光を放ち始めた。
 彼にしか見えない過去の風景が、幻灯機のように映し出されていく。
 その風景は夜の病室。そして、男子生徒が殺された後の時間だった。

「酷いな……ダメだ。殺された後が見える。他の物で異端者の瞳ヘレサイトを――」

 異端者の瞳ヘレサイトを止めようとした時。月明かりしか便りの無い暗闇の中で、ゆらりと。影がチラつく。

(誰かいる……?)
「待て」
「ん?」

 解かそうとした力をもう一度。さらに集中して暗闇の中を凝視した。
 そして、影の主はこちらを、エルネストのことを見ては笑う。
  
『はぁい?不殺の死神くん見てるー??』

 長く、三つ編みをしたジェイドとルベライトが混じり合った髪色に同じくルベライトの瞳。紫を基調とした洒落た服、皮のエプロンが特徴的であったが、顔も服も全て血だらけである。
 不健康そうな顔の彼はニヤリと笑い、こちら側を見ていた。
 映し出された風景はこちら側のことを認識できない。そもそも、過去を見るわけだから向こうが異端者の瞳ヘレサイトを使用するエルネストが見えるなんてことはありえない話だった。

「は……?」

 それなのに、今。

『キミのことだからぁ、ベッドに異端者の瞳ヘレサイトを使うかなぁ〜って。どぉう?ボクが見えてるぅ?いや、ココかなぁ?』

 ガサガサと掛け布団退けて、死体と一緒にベッドへ横たわる。
 両手で頬をつき、脚をルンルンとリズミカルにバタつかせた。

『ボクの作品は見てくれたかなぁ?カワイーでしょ?キレーでしょ?ボクにはファンが多くってねー。たまたまボクの作品に通りかかって、見事写真が撮れた日には大儲け間違い無し!ってくらいに闇取引が盛んなんだよねぇ。ま、今回は病室だからさぁ、この作品がファンの人達に届くことは無いんだろうけど。……つまり病室に呼ばれたキミ達はとっても幸せ者だよぉ』

 風景の人物はさぞ楽しそうに話すが、こちらは頭の処理が追いつかない。
 
 ファン?作品?写真?幸せ者?いや、なぜ目の前のこいつは自分のことがわかる?

 考えているような、思考が止まっているかわからない頭を整理しようと試みるが、さらに謎は増えていった。
 横から現れた別の陰も、またこちらを覗く。
 
『オイ何してんだよオマエ』

 突然現れたその影は、寝転んで雑談をしていた彼の邪魔をした。わざとか、わかっていてか、こちら側の画角を遮る。

『ちょっ……邪魔!!』
『ああ゛ー?1人でブツブツ言ってっからとうとう狂っちまったかと思ってよぉ』

 下品に笑いながら乱暴にベッドへ座り込む。
 赤く、黒く汚れた黄色いフード付きの拘束衣らしきものを羽織った男。グレースピネルの髪に四白眼のトパーズの瞳。片目は隠れており、年齢はエルネスト達と変わらなさそうだった。

『ま、オレらが狂っているのは今更か。おい、死神。見てんだろ?なぁ、オレとゲームしねぇか?』

 考えることは多かったが、いきなりの向こう側の提案に、意識が全て持っていかれる。
 拘束衣の男は手を広げ、楽しそうにゲームとやらを説明し始めた。

『ゲームは簡単!宝探しだ!オマエがコイツと鬼ごっこしたっていうオパルス区に宝を残す。見事見つければ死神、オマエの勝ち。んで、見つけられなかったら……オパルス区を爆破する』
「!?」

 ベッドで寛いでいた男2人は飛ぶように退け、拘束衣の男の方は画角外からなにやらボールのようなモノを片手で抱える。

『ゲームはもう始まってんぜぇ?さっさとしねぇとたくさん人がバーン!ドッカーン!ってよぉ!!』

 拘束衣の男が抱えているモノには思い当たるものがあった。揺れる髪だ。

「あれは……首……!」

 拘束衣の男は窓枠に足を乗せると、こちら側に振り返り大声で嗤う。
 
『死神ィ!オマエがたくさんの人をブッ殺したって話になるぜぇ!?ギャハハハハハハ!!』
『そゆこと。じゃーあねー!』

 男2人はそのまま窓の外へと飛び出して夜の闇へと消えて行った。


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