妖精事件は夜霧の中で ~【6話】【afternoon tea】アフタヌーン・ティー
【afternoon tea】アフタヌーン・ティー
某国の喫茶習慣。午後4~5時頃に紅茶と共に軽食や菓子を楽しむ茶会。
伝統的には上流階級における社交行事であり、紅茶と食事の相性、礼儀作法、食器や飾られている花など、教養と社会的地位を表したもてなしの場として催されていた。
しかしこの宝石都市では午後3時~5時までの休憩時間。教養や地位などが関係の無いお茶会に過ぎない。
「なんでこんなことになるかなぁ……」
背後から聞こえるジョシュアの声。その声は酷く疲弊し、悲壮感漂うものだった。
「おい離せよ!俺たちが何したってんだよ!!」
エルネストはジョシュアとは逆に声を荒げ、縄で拘束された体を振り解こうと暴れる。
椅子に座らされた2人。背もたれに互いの背中を合わせ、まとめて椅子に縛り付けられていた。
その2人を見下す冷たい視線。手には銀色に輝くナイフを持ち、側には大小様々な包丁が並んでいる。
「黙れ。……自分たちの過ちがわからないのか」
感情の無い無機質にも似た声。その声は女だった。
「なら質問をさせてもらう。昨日、何をしていた?」
女は尋問をする。ナイフを突き立てることはしないものの、窓から差し込む光を反射して輝くナイフは、まさに首に添えられている感覚にさえ錯覚しそうだった。
「はぁー!?だから、何もしてねぇって!っていうか、お前こそ――」
「質問をしているのは私だぞ」
空気を切る微かな風。
その動作は決して無駄が無い。女は何かを投げる素振りをすると音も無く、エルネストが座る椅子の背もたれにナイフが刺さった。
「ひいっ!?ご、ごごごめんなさい……!ほら、エル!」
「てめぇ……!こんなことして――」
「もー!お姉ちゃん!やめて!」
シャロンの声が女の後ろからする。
女の後ろからシャロンが顔を出したが、その顔は膨れていた。
「私はなぜお前らとシャロンが夜に一緒にいたかを聞いている」
「だぁーかぁーらぁー!何もしてねぇって!たまたまだっつってんだろうが!」
「まー、まさか同じアパートのお隣さんだとは……ねぇ」
構わず質問……もとい尋問をする女とイラつくエルネスト。そしてまさかの真実に顔が引き攣るジョシュア。
「はぁ、怒らないから正直に言え。内容にはよるがな」
「怒る気あるじゃねーか」
「じゃーおれが話しますって。だから縄を解いてください、ヴァレリアさん」
ヴァレリアと呼ばれた女は机に並べていた包丁の中から果物ナイフを取り出し、2人を拘束する縄を目掛けて投げる。
カツン。と木に刺さる良い音を鳴らすと、パラパラと縄も解けていった。
「いや普通に解いてくれませんか!?」
「文句ばかりだな。お前ら」
せっかく解いたのに。と言わんばかりな顔のヴァレリアは果物ナイフを椅子から外すと布巾で丁寧に拭った。
「暗殺者かよ……」
「私はアパートの管理人だ」
ヴァレリアとは、エルネストとジョシュアが住むアパートの管理人の女性。そして2人の生活を支える頭の上がらない存在。それに加えて――
「そしてシャロンの姉だ」
昨日出逢ったシャロンの姉だった。
姉とはいうがペリドットの髪にトパーズの瞳。ぱっちりとした目のシャロンとは違い、眼光が鋭くキツイ目。これが彼女の素顔だが、慣れない人からしたら常に睨まれているとも思える。性格から容姿まで明らかに似ていない。
「で、なんだ?私の妹といる理由を話してもらおうか」
ヴァレリアの部屋に入るなり、いきなり拘束されたことと縄の解き方に納得できないエルネストは置いておいて、ジョシュアが説明をする。
「なるほど。シャロンが犠牲者に襲われているところを助けたと」
「そう!そうです!」
「べつに隠すような話でも無いだろう?それともなんだ?なにか無茶をしたのか?」
無茶というその言葉を聞いて3人はそれぞれ別の方向を見る。
「あー」
「えー」
「うー」
「そうかしたのか」
シャロンまでも目を背けて答えたため、ヴァレリアは頭を抱えてため息を吐いた。しかし、シャロンはその様子を見ると辿々しい口調で弁解を始める。
2人と自分へ助け舟を出す様に。
「あ、あのね、お姉ちゃん……。たしかに無茶はしたんだけど、わたしも2人も無事だったし……なにより、2人がいなかったらわたし……ダメだったかもしれないから……。怒らないでほしいな……。だって、わたしべつに2人に巻き込まれたわけじゃないもん」
シャロンにとっては昨日できた友達という他に、なによりも命の恩人だった。そんな彼らが過保護な姉に怒られている姿は心が痛む。
「むしろ……わたしが……」
自分を卑下する悪い癖。小さな声だったためか、そんなシャロンのことなど知らずにエルネストは割り込んで話す。
「こいつ、犠牲者退治に協力してくれたんだ。こっちがシャロンを助けようとしたのも本当だが、シャロンが俺たちを助けてくれたってのも本当の話だ」
「シャロン、説明しろ」
「え!?……その……」
シャロンは先程まで縛られていた椅子に足を組んで座るエルネストのことを見てしまう。
シャロンがパクパクと慌てるところが面白かったのか彼はニヤリと笑っていた。
「ほら、説明しろって」
「えー……」
肩を落とすシャロンだったが、エルネストから言わせてみれば彼女から伝えた方が信憑性があると思ったからであった。
そんなことも知らずにシャロンは腕を組んでさも威圧感のある姉、ヴァレリアに説明をする。
「犠牲者に襲われているジョシュアを助けるため、2人で8階から飛び降りた……と」
「ごめんなさい……」
また迷惑かけた。そう思って視線が下へ落ちる。思わずヴァレリアの顔を様子見するようにちらちらと見てしまう。
その様子のシャロンを見ると、ヴァレリアは優しく笑って彼女の頭を撫でた。
「……謝ることでは無い。頑張ったな、シャロン」
「ん……」
キツイ目つきだがその表情は柔らかかった。親愛なる姉からの優しさに、シャロンも自然と安心する。
しかし、シャロンの頭を撫でる手がピタリと止まるとそのまま首をエルネストとジョシュアへ向けた。その表情は柔らかいものでは無く、冷ややか。
「だがしかし。お前らクズとバカ」
「おれはバカじゃないです!」
「おいジョシュア。じゃあクズは俺か?俺か?」
咄嗟に答えたジョシュア。突っ込まずにはいられないエルネスト。
そんな2人の会話など無視してヴァレリアはシャロンに向けていた笑顔から一転。腕組みをして2人を睨んだ。
「それ以外は何もしていないだろうな……?」
「し、してないです!!」
「してねーよ」
あまりにも鋭い眼光。背くことが許されず、自分達は何も悪くないはずなのに、どうしてだか頭を下げて謝罪したくなる。
「なら良い」
ヴァレリアは2人から否定の言葉を聞き、腕組みを解くと2人の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「失礼をしたな、感謝するぞ。エルネスト、ジョシュア」
感謝の言葉は柔らかく、彼女の目元も笑っていた。
ジョシュアは照れながら釣られて笑っていたが、エルネストはそっぽを向いていた。
しかしその視線の先にはシャロンがおり、見事に目が合う。
「ニマァ」
シャロンの顔が緩むと、指をエルネストの頬へつんつんしてきた。
「ヘヘヘェ。エルって照れ屋さんなんだね」
「ちげぇし!やめろ!」
頬を突く指を止めようと払おうとしたが、そこでヴァレリアがとても良い音で自分の手を叩く。
「では今日の本題と行く。ジョシュア、リストは持ったか?」
「持ってます!」
「シャロン、財布は?」
「ははー!こちらです!」
「エルネスト」
「あ?」
「お前は戸締まりだ」
「へいへい……」
お買い物リストを掲げるジョシュア、財布を渡すシャロン、戸締まり確認をするエルネスト。
4人は家の鍵を閉めると市場へと出かけた。
そう、今日は荷物持ちの日。本来は昨日のはずだったが、犠牲者が出たり襲われたりでそれどころではなかったため、日にちがズレたとのこと。
――――――――
シュムック市場。
エーデルシュタインで最大の市場。大通り一帯を市場にしているのが特徴で、そこには新鮮な野菜や魚、肉、人気のお菓子、日用品から外国の珍しい調味料までなんでも揃う。
「わー……!」
「ここはいつ来ても混んでいるな」
シャロンにとっては見たことも無い景色が広がったいた。カラフルな野菜、可愛いお菓子、美味しそうな肉料理。
たくさんの人がそれぞれの目的で道を行き交い、店の主人も大きく元気な声でアピールをする。
「シャロン、逸れるなよ」
「うん!」
ヴァレリアがあちこちを見渡すシャロンに注意をするが、好奇心が抑えられないのは良くも悪くも彼女の癖であり、やや危なっかしい。
「迷子になるんじゃねーぞ」
エルネストもシャロンに注意をしようとしたが、それを聞いて彼女は元気な返事と共に、エルネストの手をしっかりと握った。
「ヘヘヘェ。こうすれば迷子にならないね」
「……」
そう来るとは思わなくて、思わず顔が引き攣って足が止まる。
「おお!シャロンは随分と大胆だよなぁ」
「どうしたの?早く行こうよっ!」
ニヤニヤとエルネストの様子を笑うジョシュアと、無自覚なのか全く気にしていないシャロン。
彼女はぐいぐいとエルネストの手を引っ張るが、彼女から伝わる熱をそのまま感じるには経験があまりにもなかった。
「置いてくぞ」
呆れたヴァレリアは一声かける。その声にハッとしたエルネストは再び歩き始めるが、シャロンの手を握り返すことは出来なかった。
3人の前を歩くヴァレリアが立ち止まれば荷物はジョシュアに渡し、シャロンが気になる物があれば手が離せないヴァレリアに代わってエルネストが説明をする。
食品系の通りを抜けると、今度は日用品。
インク、紙、石鹸、シーリングワックスや封筒を買い揃えた。
すると、ヴァレリアが刃物専門店の前で立ち止まり、ショーケースを凝視する。
「新しい砥石が欲しい」
ヴァレリアはエルネストとジョシュアを拘束する前までは包丁を研いでいたらしく、その中でちょうど新調したいと思っていたそうな。
「どうりであんな並べられてたわけだ……」
縛られた2人からも見える距離で、たくさんの刃物が並ぶ様子は変に命の危機を感じる物でもあった。
刃物集めが趣味なのかというほどヴァレリアはさまざまな用途の包丁を持っている。
どれも丁寧に研がれているためか、彼女の包丁捌きは一流そのものだった。
「いやいや!だからって椅子に刺さったり縄を簡単に切り落とせるわけが無いだろ!?」
思わずジョシュアが突っ込んだが、理解不能なのかヴァレリアは首を傾げている。
「?切れ味は良いに越したことは無いだろう。包丁研ぎは良いぞ。落ち着くし心が洗われる」
ソッと手を胸に手を置いて感動しているヴァレリアであったが、3人にはなんのことかさっぱりわからない。
「うーん、だからってわたしが寝ようとしているときに研ぐのはやめてほしいかな……」
夜中の暗闇の中で、ドアの奥から包丁を研ぐ音が聞こえるというのは想像するだけでもなかなかの恐怖だと思えた。
「っていうか石?ですよね……?さすがに重いしまた今度にしませんかぁ?」
「む。まだ持てるだろう」
「おれ!食品も日用品も持ってますよ!?ってゆーか!おいエル!なんでお前手ぶらなんだよ!?」
「俺シャロンの子守で忙しい」
大荷物のジョシュアとは真逆にシャロンと手を繋いでいるだけのエルネスト。
そういう作戦だったか……!とジョシュアの頭には雷が落ち、エルネストは勝ち誇った様な顔をしている。
「ジョシュアくんごめん!わたし、市場に夢中になっちゃってて……!わたし持つよ!」
シャロンはエルネストから手を離してジョシュアへ両手を突き出す。
「お!じゃあこの封筒とかインクとか入ってるこれ!これならそんなに重くないからさ」
彼女には先ほど買った日用品の一部を預けた。食品よりかは遥かに軽い物ではあったが、たくさんの袋を持つジョシュアにとっては軽い物であっても邪魔になる物が消えることは好都合。
動かしやすくなった片手を動かし、エルネストへ野菜の入った袋を押しつける。
「お前も持てよ!」
「くそ……仕方ねぇーなぁ」
エルネストはしぶしぶと受け取ったが、ジョシュアの手が離れると慌てて両手で袋を抱える。
「って、重!?お前こんなの片手で持ってたのかよ!?」
「貧弱貧弱〜。ま、エルより力はあるしな。……いや、エルに力が無いのか……?」
「んなとこで疑問を持つなよ」
これなら砥石ぐらい持てそうだと話していたが、ヴァレリアはショーケースと睨めっこをしていて3人の会話をまったく聞いていなかった。
「ああ、悪い。しばらく時間を貰えるか?砥石を選ぶ」
「砥石ってそんな考えるほど種類あるんですか?」
「あるに決まっているだろう」
「はぁ」
ヴァレリアは刃物専門店でしばらく考え事をするとのこと。
店内に入る前に、ヴァレリアは財布からいくつか硬貨を取り出してシャロンへ渡した。
「そろそろ休みの時間だ。近くに公園がある。3人で休憩していろ」
「うそ!?もうアルミスティスの時間!?」
アルミスティス。
外国ではアフタヌーン・ティー、軽食、3時のおやつとも言われている。
この宝石都市エーデルシュタインでは一般的な習慣であり、生活において欠かせないもの。午後3時から午後5時までの間に行われるお茶会だ。
好きなお菓子を持ち寄り、お気に入りのティーカップで紅茶を楽しむ文化。学園や仕事場でもアルミスティスを楽しむための時間が設けられるほど、彼らにとってそれは大切な時間。
犯罪都市であるエーデルシュタインだが、アルミスティスが行われる時間帯だけは犯罪率がとても低いのだとか。
「ちょうどアルミスティスだ。これで何か買うと良い」
「800フェルム……」
金ぴかの硬貨。
フェルムはこの国の通貨。紙幣と硬貨があり、数え方は東方の国で言う円と同じとも言われている。
「うん、お姉ちゃんありがとう」
「じゃ。俺たちは公園で待ってる」
店内に入るヴァレリアとは別れ、3人で近くの公園へと歩いた。
その道中、さまざまな屋台が甘い香りを漂わせる。
クレープにワッフル。チュロスやマフィン。シャロンはまたもや顔をパァッと輝かせてあちこちを見渡してしまう。
「ね、ね!何にするっ!?」
800フェルムを握りしめ、エルネストとジョシュアに聞く。
「どれでもいい」
「シャロンの好きなのでいいよ」
エルネストは興味が無さそうに答え、ジョシュアは気を遣っているのかシャロンに選ばせようとした。
「え!?えーっと……どれかなぁ〜うーん迷う。迷う、迷う迷う迷う迷う迷う」
シャロンは真剣な顔で、手を顎に当てながら考え始めた。何か早口でブツブツ呟いているがエルネストとジョシュアには聞き取れない。
「いやそんな真剣になって考えるもんでもねぇだろ」
「わたしは真剣だよ!」
熱い、魂のこもった瞳。
「写真を見るからにカスタードと果物がたくさん入ったクレープ!オシャレな看板に書かれた売り文句通りの生クリームたっぷりワッフル!そして写真や看板が無くても、お客さんが持っているというだけで目が惹くチュロス!そしてそして無難であり王道、他とは違って目を惹く特別感が無いもののそこが良い!マフィン!」
「……」
2人はシャロンの別の顔を見てしまい唖然とした。
何か変なスイッチでも入れてしまったのかと、選ばせようとしたジョシュアはハラハラする。
「せっかく3人でここに来たからいろんな味があるクレープ?いやいや、でも屋外で食べやすさを考えるならチュロス……ああ、でも!800フェルムも貰ったんだからもっと贅沢に――」
「おーい。……だめだ聞いてねぇ」
「おれがシャロンに任せたばかりにー!」
ジョシュアは嘆いていたが、マフィン屋の奥に、彼にとっては馴染みのある屋台があった。
「あ!おれドーナツが良いなぁ!」
屋台の方を指差し、彼女の気を引こうとする。
「ドーナツ……ドーナツ!ドーナツにしよう!」
やっと今日のアルミスティスのお菓子が決まり、2人も安堵する。お菓子が決まったことへの安堵というよりかは、シャロンがさらに暴走しそうな予感がしてたからだ。
「じゃあわたしが買ってくるから、2人はどういうフレーバーが好き?」
「え?おれはドーナツならなんで――もががっ」
「全員同じオーソドックスなプレーンのにしようぜ!砂糖がなんかついてるやつ!」
ここでまたジョシュアがなんでも良いなんて言ったらまたややこしくなる。そう瞬時に考えたエルネストはジョシュアが何かを言う前に彼の口を塞いだ。
「うん!わかった!2人はベンチで待っててー」
にこやかな顔でシャロンは屋台へ向かう。その足取りは軽やかで、反対にベンチへ向かうエルネストたちの足取りはなぜか重かった。
「いったいなんのスイッチなんだ……あれ……」
「あのままだったら夕方になっていたな」
2人が公園のベンチで待っていると、シャロンが嬉しそうな顔で駆けてくる。
「お待たせー!はい、2人の分!」
ワックスペーパーに包まれたドーナツを2人へ渡す。
3人分、同じプレーンのドーナツ。砂糖が塗され、狐色のドーナツにツヤがある。出来立てであるため、高温で溶けかかっている砂糖が香ばしい香りを漂わせた。
「おー、ありがとな」
「やったー!ありがとうシャロン!」
2人は受け取り、ワックスペーパーの間からドーナツを出して食べ始める。ジョシュアは大口で頬張ると幸せそうな顔で唸った。
「んー!おいひぃ!」
「ジョシュアはドーナツ好きなの?」
「そーだとも!お菓子の中では1番好きかな〜」
「へぇー。よし、覚えておくね!」
シャロンはドーナツを持った手とは逆の手を握りしめ、何か気合いを入れた素振りをした。
「お前、料理とかするのか?」
「へ?あ、うん。料理は出来ないんだけどお菓子作りが趣味なんだぁ。だからジョシュアが好きなお菓子覚えておこうと思って」
「へえ、そうなんだ」
だからお菓子のことでスイッチ入ったのか?2人はそう納得ができたが、口には出さなかった。
「今まではお兄ちゃんとお姉ちゃんにしかあげる人がいなかったから、まだ他の誰かに作ることができる機会があるって思うと嬉しくって……。ね、エルは何が好き?」
「俺?んー」
エルネストはドーナツを頬張りながら考える。
自分の好きなお菓子。とは、普段から考えていないとなかなかすぐには出てこないもの。
「あ、デビルズケーキ好きだよな?すっっっごい甘いやつ」
「意外!甘いの好きなんだ!」
しかし、意外と他人がよく覚えていたりして。
「チョコレートケーキが好きだってだけだ」
「けどブラックとかダークチョコレートは食えないもんなお前。ジャムが挟んであるやつとかもダメだっけ」
「食えねぇじゃねぇ。食う気が無いだけだ」
「同じでは?」
チョコレートと言っても甘いミルクが好き。カカオの含有量が高いものは好まない。
チョコレートの中でもチョコレートのケーキ、つまりデビルズケーキが好きで、彼の意外な一面を知ったシャロンはよく覚えておこうと何度も心の中で呟いた。
「そっか……デビルズケーキ、デビルズケーキ……うん、覚えておくね」
2人のお菓子の好みを知ることができたため、新しくエーデルシュタインで過ごすことになる彼女にとって、これからの楽しみはさらに増えていく。
「あ、でも今までは施設の調理室を使わせてもらっていたから調理器具がないんだよね。お姉ちゃんはお菓子作りやらないし」
「ならまた今度、3人で市場へ買い物に行こうよ。材料とか器具も買っておれたちに振る舞ってくれって!」
「いいの……!?じゃあその時は2人ともついて来てほしいなぁ」
また新しい約束。
今度は荷物持ちでは無く、ただ3人でどこか遊びに行きたいと強く思った。
「荷物持ちなら任せろ!」
「お前1人で歩かせたら変なやつ引っかけそうだしな」
「荷物持ちだなんて!もう、エルも変なこと言わないでよっ!……あ、でも……わたし方向音痴だからそこは助けてほしい、かな」
自分の嫌なところを思い出した途端、肩を落とす。
ただでさえ来たばかりの宝石都市エーデルシュタイン。そこは観光客や子供はもちろん、地元の人でさえなかなか難しい地形をしている。
報告がこの宝石都市で暮らして行くにはとても難しいものがあった。
「それにしては、クリソベリル区とかオパルス区はわかってたみてぇじゃねぇか」
「あ、あれはね、妖精さんがこっちだよ〜って教えてくれたから」
「便利だな」
昨日の散らかった路地裏についてはやはり妖精の仕業だったらしい。
道についても初めて通った道とのこと。
「うーん……やっぱり、変な人に会いやすいのかなぁ」
心当たりがあり、また肩を落とす。わざとらしい溜息だったが、周りが感じ取れるくらいに重いものだった。
「箱入り女は大変だな。ま、なにかあったときには俺たちが駆けつけっから」
「大丈夫だよっ!1人でできる!わたし、エルに勇気もらったもん!」
ふんす。自信満々で強気になっているが、あまり説得力は無い。
彼女がなぜこうも怪しい人間を惹きつけやすいのかは謎。体質なのか、それとも他に何かあるのか。
妖精がついているとはいうが、それもどこまで通用するのかわからない。
シャロンはよっぽどエルネストの言葉が心に響いたらしい。その勇気の使い方を間違わなければ良いが……と、言ってしまった本人のエルネストは少し心配になった。
それはシャロンの行動も指すが、自分への心配でもある。
「いや、心配だな」
エルネストはドーナツを食べ終わるとワックスペーパーをポケットに入れる。
襟首に指を入れると、ワイシャツの下からスルスルと青い宝石が付いたネックレスを取り出す。
そして首の後ろに両手を出して、ネックレスのチェーンを外した。
「わ、綺麗……ネックレス?」
「これをお前に預ける。絶対に無くすなよ」
「え?これ?」
自分が付けていたネックレスを彼女の手の中へ。
青く輝く宝石はエルネストの瞳と同じ色をしていた。
「え!?良いのかよエルそれ!」
ドーナツを飲み込みながら、驚いた様子のジョシュアが指を刺す。
それはエルネストにとって大切な物。母親の形見の耳飾りだったからだ。
「良いんだよ。俺の大切な物、だからこそだ」
シャロンの手の中に収められた青い宝石。まじまじと見つめては太陽に翳して、キラキラと光る様を眺める。
「これがお前の手元にある限り、俺はお前を忘れない。必ず側にいることを約束する」
「でも大丈夫かぁ?妖精石だろ?」
妖精石。人が狂うとは言われているが、それを普通に装飾品として身に付けたり、飾られたり……危険と言われている割には人目につきやすい場所に置かれていることもまた事実である。
「前にロマンがあるとかどうこう言っていたやつが何言ってんだよ。高価で希少価値があるからとか、願いが叶うだとか、そういう話だろ。それに、宝石と妖精石の見分けのつき方ってまだ解明されていないんだってな」
「い、言ったけど……。たしかにお守りとして身に付けるやつはたくさんいる。でも、ただでさえ変なの引き付けやすいシャロンだしさぁ」
もっとさらに変なのが寄り付くのではと心配するジョシュアだったが、それを聞いてエルネストはいつもの悪い顔で笑う。
「それは好都合。犯罪者を一網打尽できるチャンスって訳だ」
「うわーサイテー」
他人の不幸は蜜の味……ではないが、エルネストにとっては犯罪者を誘き寄せるための甘い策でもあった。
「うん!わたし、囮役を頑張って全うするんだから!」
「ほら、こいつもそう言っているし」
「うーん、なんだかなぁ」
なにか違う気がする。
シャロンがやけに自信満々なのはきっと例の約束のせいだろう。
ジョシュアもエルネストからその話を聞いたが、「まるでプロポーズだな」と笑うと尻を蹴られていた。
「2人がそう言うなら……。じゃ、おれも全力でエルをサポートするからさ。お前はしっかり責任取れよー?」
「命の恩人だろうが。お前も責任を取れよ」
「わ、わかってるって!」
ジョシュアはふと、首飾りを持ったまま笑うシャロンに目を向けて思いつく。
「どうせなら着けてみなよ?」
「え!?でも、お母さんのなんでしょ?預かるけども……わたしは付けない方が」
「……。前向け。俺が着けてやるから」
エルネストはシャロンの手からネックレスを拾い上げると前を向くように顎で指図する。
シャロンは首元をエルネストへ向けると首に掛かるチェーンの感覚に思わず肩を上げてしまった。
「んなことで緊張すんじゃねぇよ。手で持ってる方が失くすだろうが」
慣れた手つきでチェーンの留め具を留める。終わると、エルネストはシャロンの背中を軽く叩いた。
「ん、できた」
彼らの方へ体を向けるシャロン。太陽の光を反射する青い宝石が眩い。
エルネストは今まで服の下に着けていたため、太陽の下でならこんなにも綺麗に、美しく輝くのかと思い知らされた。
それと同時に、その輝きが懐かしく思う。
「えへへ、どう……かな?」
彼女は照れた表情で、首を傾げた。
金の髪が揺れ、緑の瞳は優しく微笑む。
「おー!似合う!やっぱ女の子が着けると映えるよなー!」
「……」
その刹那。
『エルネスト。あなたのことを信じている人を、信じるのよ。あなたは優しいから、お母さん少しだけ心配』
どこからか、母親の声が聞こえたような気がした。
エルネストが自分で思い出しわけではなく、自然に。まるで母親がすぐ傍で話しかけてくれたような。
呟きそうになった。声が出そうになった。
喉から出て来そうになった「お母さん」という言葉を、飲み込む。
「エル?なぁーに見惚れてんだよ」
ニヤニヤと笑いながら、エルネストの肩を掴むジョシュアによって意識が戻った。
「あ、あげたわけじゃねーからな!!」
エルネストは自分がじっと彼女を見ていたことを理解すると、思わず声を荒げる。
「わかってるよ!うん、絶対に失くさない。わたしも、これがある限りエルの側を離れないから」
シャロンは嬉しそうに笑う。胸元に輝く素敵なお守りを指で撫でると、角度を変えて再び輝いた。
すると、紙袋を持ったヴァレリアが現れる。
「待たせたな」
「おかえり、お姉ちゃん」
「良い砥石買えましたか?」
ジョシュアは紙袋を受け取った。
ズシリとした重みから買ったのは1個だけでは無いのだと察する。
「良い買い物をさせてもらった。お前達もアルミスティスは済んだようだな。では、帰るか」
荷物持ち係の3人が、配分を考えつつ荷物を持とうとしたとき、ヴァレリアの手が止まる。
「……買い忘れがあるな。」
書い忘れをすることはヴァレリアにとってとても珍しいことだった。それを知っているエルネストとジョシュアも一緒に驚く。
「悪い。買ってくる。お前達はここで待ってて――」
「お姉ちゃん、わたしが代わりに行ってくるよ。だからお姉ちゃんはベンチで休んでて?」
シャロンが率先して提案をする。
いつもなんでもこなしてくれる姉に対して、少しでもどこかで息抜きをしてほしいとシャロンは思ったのだろう。
ヴァレリアは彼女に優しく笑うと、財布を預けた。
「悪いな、シャロン。これをこの店で買ってきてくれないか?私の妹だと伝えればわかってくれるだろう」
メモに書いたリストの1番下を指差す。
シャロンはメモと財布を受け取ると張り切って答えた。
「うん!わかった!わたし、行ってくるね!」
「ジョシュア、ついて行ってやってくれ」
「はーい。よし、行こうか、シャロン」
「うん!」
シャロンとジョシュアが2人で市場へ消えて行く。ヴァレリアは2人を見送ると、ベンチへ座る。
2人きりになったエルネストは、彼女の行動に違和感があることをわかっていた。
「珍しいな。ヴァレリアさんが買い忘れなんて」
「……」
腕を組み、座っても尚、威圧感があるヴァレリアはエルネストに目を合わせない。
「俺に、何か話があるんだろ?」
「それぐらい勘が良いのなら安心だな」
エルネストに伝えようとしたこと。
ヴァレリアの顔は相変わらず無表情で、無機質。
「まず、私達に血の繋がりはない」
自分達の血の話。
「だろうな。髪色も目の色も、性格だって擦りもしねぇし。あいつはわかってんのか?」
「話したことは無い。もう子どもではないからわかっているとは思うが……どうだろうな」
あの性格だからな。と、シャロンについて付け加えた。
エルネストも、そこまであいつは馬鹿じゃ無いだろうと思ったが、異常なまでの過保護な生活を送って、他の兄弟や姉妹を見たこと無かったとしたら?
「いつかは言わないといけない。そう思っている……近い将来に……な」
「?」
何か意味を含めた話し方。
長年、世話になっていて会話も多いエルネストとジョシュアでも彼女についてわからないことはたくさんあった。
危険、という訳でも無い。
あの人の家庭については深掘りをしてはいけないのだと、自然と昔から思っていた。
「エルネスト。お前は昨日、シャロンの胸を見たか?」
「え!?」
「見たのか」
この姉はどういう意味の質問を野郎にするのか。
確認か、あるいは試されているのか。エルネストの頭の中で1人心理戦が繰り広げられる。
「み、みみみ見てないです!」
「見たんだな」
「見てねぇって!!」
心理戦も無駄であった。
たしかにエルネストはシャロンの胸を見たが、興味があって見たわけでは無い。
そこに胸があったから。目の前にあったから。
「今朝、シャロンを起こすために部屋へ入ったんだがな、ゴミ箱を見たら破れたブラウスがあった。犠牲者に襲われたときだろう」
頭の中で言い訳を繰り返すエルネストのことは気にも止めずに話を続ける。
「私が言いたいのはシャロンのココだ」
「……」
胸元を指差す。
シャロンには胸元にダイヤモンドのような石があった。あれが何なのかは見当も付かない。
詮索しても良いものなのかと、エルネストの中で葛藤があった。
しかし、答えはすぐにわかる。
「シャロンのあれは妖精石だ」
「は!?」
なぜ人の身体にそんなものがあるのか。
「幼い頃、良からぬ奴らに実験台にされてあの様だ。どういった実験だったかは……わからないが」
実験。たしかに彼女は研究所がどうのと話していたが、それが関係するのかわからわからない。
「シャロンを狙う奴はたくさんいる。エーデルシュタインは犯罪都市とも言われているくらいだ。襲われる確率は高いだろう」
「じゃあなんでそんな奴をこんなところに連れて来たんだよ」
彼女が不審者を惹きつける理由がわかってしまう。
偶然で、巻き込まれ体質かと思っていたが、そんな生温い理由ではなかったのだと理解する。
ヴァレリアは諦めた声色で、答えた。
「もう、どこに行ったって同じだ。それに、あの子を閉じ込めたくは無かったんだ」
淡々と語られる。
「危険だから、襲われるから、外の世界は知らなくて良いと私たちは言って隔離してきた」
昨日、シャロンが話していた内容と一致した。
「けれども、それがもっとあの子を壊すことになりそうで……。私はどこで間違えたのかわからない。ただただ、シャロンを守りたかった。それなのに、私達はあの子の悲痛な声など聞かずに……檻に閉じ込めて、心を縛って……」
初めてヴァレリアの心の中を見たような気がした。
嫌いでは無い。むしろエルネストにとって大切な人の1人。それなのに、自分は"ヴァレリアさんはそういう人だから"と勝手に決めつけて接していた気がした。
嫌な性格だと、エルネスト自身もわかっているが、人の弱いところを見るとどうしても安心してしまう。
道連れとか、そういう話では無い。
最初から強い人間なんていないのだと。一粒ほどの弱さも持たない人間なんていないのだと。
「……まぁ、心配だからだろ?やり方は過激だったかもしれねぇけど」
血が繋がっていない家族で、心から心配をし合える仲。少しだけ羨ましく思えた。
「シャロンには良い家族がいんだな」
「?最初に言っただろう、私達に血の繋がりは――」
「そんなの関係ねぇって。シャロンはヴァレリアさんと兄貴のことを心配してたぞ。迷惑ばかりかけているって」
「っ!迷惑なんて、そんな……」
組んでいた腕の中で、力強く握りしめる。
心配をさせまいと、気を遣わせまいと、気高く頼れる者であろうとしたはずが、逆に無理をしていないかと妹に心配をされる結果になった。
「なら、シャロンのことを信じてやれよ。心配も結構だけど、それ以上に信頼することも大切だと思うぜ」
「……そうか。そうだな」
ヴァレリアは考えた素振りをしないものの、エルネストの言葉を聞いて動きが止まる。
そして、決心をした。
「なら、信じてみよう」
「ん?」
「エルネスト、シャロンのことを預かってもらえるか?」
「は?」
「私はずっとあの子の傍にはいられない。むしろ、短くなっていくだろう。だから」
無表情だった彼女の顔が、今までに無いくらいに感情のこもった表情になる。
エルネストの顔を真っ直ぐ見て、肩を強く掴む。
焦り、緊迫、怯え。何かに追われている、あるいはそれほどまでに心が追い詰められていたのか。
「シャロンが、私達姉弟がいなくなっても大丈夫なように。お前に任せたい」
「いなくなる……って」
「……もしもの話だ」
何かハッとして、ゆっくりと肩から手を離す。視線も次第に外れて、何事もなかったように再び腕を組んで座り直した。
いつもと変わらぬ、表情で。
「タダでは言わん。金ぐらいは出させて――」
「いらねーよ」
エルネストは彼女が言い終わる前に言葉を断つ。
「俺だってシャロンと約束したんだ。だから、俺がシャロンのことを借りていくぜ?」
自分も、いつも通りの変わらぬ悪い顔で。
正直、ここまで大事になりそうな予感はしていなかった。
その先の未来を、その訳を自分の目で確かめたいと強く思う。
「……そうか。感謝する」
ヴァレリアは目を伏せて笑う。
その表情はあまり変わらなかったが、爽やかで、晴れ晴れとしていた。
そしてヴァレリアは安心した表情をすると、もう1つ願いを提示する。
「あと1つだけ良いか?」
「なんだよ」
「私達の教育方針の所為か、シャロンは人に甘えるのが下手だ。頼み事も、ワガママも。願いを叶えさせろや甘やかせ、とは言わない。ただ、話だけでも聞いてやってくれ」
その願いは教育の失敗を押し付けられているものだった。面倒臭いことは嫌いだが,不思議と嫌な気はしない。
宝石都市なんて、大層な名を冠したこの犯罪都市のなかで。犠牲者を退治して、異端者の瞳で事件を解決する毎日。
どんなにくだらない、小さい願いも少しは刺激になるだろうと思えた。
「ずっと我慢をさせてきたからな……」
「ああ、大丈夫だ。もう既に、お菓子作りの材料を買いに行く約束もしたしな」
「そうか。それなら私が願わなくても、大丈夫そうだ」
話も上手く纏まったところでシャロンが大きく手を振りながら駆けてくる。
「おねーちゃーん!」
息を切らしながら、ジョシュアと共に紙袋の中を見せた。
数々の魚介類。魚はもちろん、貝やイカまでも入っている。
「すごい!たくさんおまけもらっちゃったんだけどなんで!?」
「ああ、前に主人の飼い猫を助けたことがあってな。その好だと思う」
「これは相当、魚には困らないねぇ」
ジョシュアはベンチに置いていた他の荷物も持ち始めた。エルネストも帰宅する準備をしていると、ジョシュアがこっそり耳打ちしてきた。
「ヴァレリアさんと話してた内容、言える範囲で良いから教えてくれよ?」
「ああ、そのつもりだ」
ジョシュアも、ヴァレリアが買い忘れをすることなんて信じられず、何かエルネストに話しがあるのでは無いかと察していた。
さすがは俺の大親友。そう思うと自然に笑みが溢れそうになる。
「シャロン、ジョシュア、感謝する。エルネスト」
「あー?」
「お前もありがとうな」
「……どーってこともねーよ」
4人は大荷物を抱えて、空が夕焼けに変わる前に帰宅をしたのだった。
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