妖精事件は夜霧の中で ~【5話】【serendipity】セレンディピティ
【serendipity】セレンディピティ
素敵な偶然に出会うこと。また、何かを探しているときに、探しているモノとは別の価値があるものを偶然見つけること。
希望は、いつだって絶望と隣り合わせ。それを決して忘れないで。
「おらぁっ!」
瞬。光。
耳が痛くなるような、重く響く音。
エルネストとジョシュアが同時に相手へ斬り掛かってもすぐに跳ね除けられる。
宝石に覆われた腕。なんとか壊してもすぐに修復されてキリが無い。
「エル!」
「わかってる。いつも通りだ。お前が気を引いている隙に俺は胸を狙う」
犠牲者達は胸に核がある。
生きている人間と同じく、頭、首を狙えば一撃で倒せるが、彼らの体をできる限り傷付けずに済ませるのならば核を狙うしか無い。
核。つまりは心臓。そして、心は胸に宿ると言うものならば核は心のこと。
不殺の死神と呼ばれた彼は欲で固められた心を壊し、やり直せる最大の機会を与える。
「今楽にしてやるからな」
エルネストが小さく呟いた言葉が相手に届くことは無い。
「早くクリソベリル区へ行け!邪魔なんだよ!」
後ろで座り込むシャロンへ吐いた言葉。乱暴な言い草だったが、腰が抜けて呆然とするシャロンを引き戻すには十分だった。
ハッとしたシャロンは胸を押さえながら立ち上がる。
しかし、今の彼女には思い当たることがあった。
「クリソベリル区……は、だめ。関係無い人まで巻き込んじゃう……!」
「あ!キミ、そっちは!」
「はぁ!?あいつバカか!」
シャロンが人気の多いクリソベリル区とは違う方向へ走り出す。オパルス区。人気が無く、影が多い場所。
走り出したその姿を見た犠牲者も、エルネスト達を相手していたにも関わらず身体の向きを変えて走り出した。
「おい!!……あの子を追いかけている……!?」
「チッ、あいつソレをわかっててわざと人気がねぇ方に行ったって訳か」
シャロンの意図がわかった2人はお互いに顔を合わせて頷く。
「追うぞ」
ジョシュアも強く頷き、2人は異端者の灰を消して走り出す。宝石を砕いて砂にしたように、妖精の影は空気に溶けてゆく。
キラキラと舞うそれは、名残惜しそうに消えた。彼らの後ろ姿を見送りながら。
「あの子足速!!」
「まさかとは思うけどよ……犠牲者に追い掛けられるってのも初めてじゃないんじゃないか?」
「運が悪いお嬢さんだなー」
「……」
異様に慣れたシャロンの走り。犠牲者にも追い付かれないほどの速さ。
しかし、観察して見れば見えてくるものがあった。
「変だな」
通ったであろう道に散らばる木箱の破片、割れた花瓶、不自然に伸びた蔦や抉れて穴の空いた石畳。
本来ならば道はちゃんと綺麗に整備されているはず。それどころか、シャロンが通ったであろうその道だけが変に荒れていた。
「犠牲者が暴れたんじゃないか?」
「それにしたって、この障害物の多さはおかしいだろ」
これがあの女の異端者の瞳か……?
頭に過るその言葉。
だとしたら、だとするのならば。彼女も自分達と同じ異端者だ。
エルネストにとって、異端者とは人事では無い。それが犯罪者でも、被害者でも。
仲間意識やそんなもので無く、いわば彼自身の自己満足の他ならないが、異端者を迫害する人間が多いこの世界で、自然と手を差し伸べようとしてしまう存在。
「……押し付けがましいよな。ホント」
「え?なに?」
「前向いて走れ」
2人が走るその間から1匹のカラスが疾風の如く駆け抜ける。
「うわ!?」
「これもあいつの……?」
そのカラスは1度鳴くと2人を導くようにして空へ飛び続けていった。
2人はカラスの後を追い、異端者の瞳を駆使しながらシャロンが逃げ込んだ先へ辿り着く。
その場所は廃墟になった屋敷。
エーデルシュタインで高い建物は珍しく無いが、この屋敷は8階くらいまであった。
風化した壁、割れた窓ガラス、荒れ狂った庭と蔦。悍ましい形で取り残されたその世界。
導いていたカラスが漆黒の羽を広げて壊れた門に止まる。キィ……とゆっくり門が開くとカラスはまた屋敷の玄関へと飛んでいった。
「うわ……お化け屋敷かよ」
「バケモンには慣れた方だろうが」
「そりゃまぁ……そうだけど……」
エルネストが門を握り締めると静かに異端者の瞳を発動させる。
「……。屋敷の中に入ったか」
「でもこんな広いぞ?もしかしたら庭にだって後から逃げたとかありそうだし……」
「それもそうだな。ジョシュア、お前は庭の方を頼む。俺は屋敷の中を探すから」
そう決まると2人は別れた。ジョシュアは庭へ、エルネストは屋敷の中へ。
玄関にいたカラスはエルネストのことを凝視する。思わず目が合った。どれもカラスなんて見た目は同じはずなのに、何か覚えがある。
「……。お前……図書室を覗いていたカラスか……?」
「カァッ!カァー!」
「……」
さすがに異端者でも動物の声はわからない。もしかしたら中には動物の声がわかる異端者もいそうだが、自分には無くてよかったと、エルネストは内心思っていた。
昔から、動物は苦手な方。
カラスはエルネストに鳴くとまた羽を広げて空を目指して飛び出す。
「なんだ……あれ」
思わず意味がありそうなカラスに構ってしまったが、今はそれどころではなかった。本来の目的を思い出して静かに異端者の灰を召喚する。
「プロバティオ・ディアボリカ」
静かに。悪魔の証明を意味するその名を呟いて。
「それにしても……」
先程、走って追いかけていたときはまだ昼間だったはずが、もう辺りは赤く染まり始めていた。
夕暮れ。
赤い空が、赤い陽が、全てを赤に染め上げる。割れた鏡が、夕陽を反射して辺りに光を散らばせた。
パリ。
割れた窓ガラスを踏む音が響く。
「やけに静かだな」
今は6階。気味の悪いほどの静けさ。
シャロンと犠牲者が本当に逃げ込んだのか疑いたくなるほどの空気。
もしかしたら自分しかいないのかもしれないと錯覚するような異質さ。
「異端者の瞳を使うか」
黒手袋の位置を正し、砂埃を纏った絨毯に触れようとした途端、ミシミシと音を立てて揺れた。
埃や塵が舞う。
「上!?」
急いで音のした方へ、階段を駆け上がる。
しかし、8階へ上がる階段の途中で大きな穴が空いていた。
異端者は一般人より身体能力が非常に高いが、それにしたって失敗すれば怪我をするくらいの大きさ。
「チッ……飛び越えられるか!?」
エルネストが助走をつけて跳ぼうとすると、蝶の形をした光がキラキラと輝いてエルネストの前を羽ばたく。
その光は壊れた階段へ……と、思いきや天井が音を立てて崩れてきた。
「うわ!……げほげほ……って、う、嘘だろ!?」
落ちてきた天井の一部が、大きな木板が壊れた階段への橋になっていた。
こんなタイミングで。偶然ではあるが、もはや奇跡だった。
まさかの展開に驚きが隠せないエルネストだったが、運が良いのだと思うようにして木板の上を駆けた。
すると、隅の部屋からバケモノのような叫びが聞こえてくる。
「死ぬんじゃねーぞ!」
彼女の無事を祈りながら走り出す。
叫び声が聞こえたドアを突き破ると、経年劣化した木製のドアはパラパラと音を立てて崩れ、砂埃と粉塵を上げた。
「こっちだバケモン!!」
粉塵から飛び出し、大鎌を振り上げては犠牲者に飛び掛かる。
不意をつかれた犠牲者は、背中を斬り付けられると宝石の欠片を散らした。その光景は血飛沫にも似ている。
「グァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
犠牲者が叫び、エルネストへ振り返った。かつて人であったとは思えない眼光。目が合うと同時にエルネストは腕を掴まれてはそのまま壁へと投げ出された。
「ぐあっ……いっ……なんだよあの力……」
今まで自分たちが相手にしてきた犠牲者とは力量が違う気がした。見た目は同じなのに、違う。
「グゥウウウ……ウウウウ」
「言葉を忘れたか……?」
犠牲者であっても元は人。まともに会話はできないが、唸り声や吼えること以外に何か言葉を発することはできた。しかし、目の前にいる犠牲者は最初は言葉を発していたものの、今は唸り声しか上げない。
おかしい。
「強制犠牲者……?」
「グォァアアア゛ア゛ア゛ア゛!!」
傷を付けられたためか、唸り声を上げながらエルネストへ襲い掛かる。
エルネストもすぐに異端者の灰を構え直して受身の態勢になった。首の横を大鎌の持ち手で庇う。咄嗟の判断だったが、もしも遅れていたとしたら一撃で殺されていた。
「邪魔だ!!」
押し上げるようにして蹴り上げると、犠牲者は避けるようにして下がる。
瓦礫が多い部屋の中。脚を踏み外したのか、ゆらりと微かに体勢が崩れた。エルネストはそれを見逃さない。
「もらっ……た!」
鼓膜を震わせる金属音。ぶつかり合う度に妖精の影が踊り、宝石の破片が舞う。
またも腕で庇われ、鍔迫り合いが続くとエルネストの頭上に影が現れた。
「っは」
犠牲者の背中から生えた蜘蛛のような脚が振り下ろされようとする。
咄嗟に異端者の灰から手を離して回避行動を取った。振り下ろされた6本の脚は、重い音を立てながらミシミシと床に大きな穴を開ける。
残された異端者の灰を犠牲者は宝石に覆われた自らの手で押し潰した。大きなヒビが入ると、まるでガラスの花瓶を落として割ったときのように不揃いに割れる。
散る破片、舞う妖精の影。ゆっくりと空気に溶けては異端者の灰も砂のように砕けて溶けていった。
「くそ!」
異端者の灰が所有者と距離が遠くなればなるほど、耐久度は低くなり脆くなる。
完全に消えた後、再び異端者の灰の名を呼べば現れるが、すぐに呼び出すにはそれなりの精神と集中力、そしてもう一つ。それが今は足りなかった。
「グゥウウ゛ウ゛ウ゛……グァア゛ア゛ア゛ア゛!」
犠牲者が腕を振り上げて、無防備なエルネストを攻撃しようとした瞬間、何か金属が弾けるような音が天井からした。
「シャンデリア!!」
突如として横から現れたシャロンが声を上げたかと思えば、雪崩れ込むようにエルネストを抱きしめて、庇うように押し倒す。
それとほぼ同時に、ブチン。天井に吊るされていた豪奢なシャンデリアが犠牲者に目掛けて落下した。叫び声を上げる間も無く、そのまま押し潰されてシャンデリアと共に床を抜けて行く。
ズゥン……と、床の奥から重い音が響いた。
「う……いたた……」
シャロンが起き上がる。彼を押し倒したまま、目が合うと泣きそうな顔をした。
「大丈夫?エルネストくん」
夕暮れ。割れた窓から差し込む光が、シャロンの胸にある宝石に反射する。
「わりぃ……助かった……」
「よかった……。あ、ごめん。すぐ、退くから……」
安堵し、シャロンは深いため息を吐くとゆっくりエルネストから離れようとした。しかし、その途中で自分の胸の宝石が露出していることに気がつく。
彼女にとってそれは胸を見られたや恥ずかしさなどでは無く、恐れだった。
安堵の表情が一瞬にして青ざめる。
「ご、ごめん!わたし、その、変だから……気持ち悪いもの見せちゃってごめんね……」
慌てて手で覆い隠す。光を散らしていた反射の元に影ができ、辺りは少しだけ暗くなった。
彼女は顔を合わせない。焦り、又は怯えている表情でエルネストから離れた。
「何も見てねぇよ」
エルネストはシャロンの方を見ずに立ち上がる。
誰にでも事情はある。そう思うエルネストにとっては何もおかしいと思うことではなかった。
自分も同じように隠しているものはあるから。
「……」
自分の黒手袋を正す。
「間一髪だったぜ。ありがとな」
「……」
何も見ていないと主張はしたが、それでもシャロンには飲み込めないものがあるらしい。
肩を震わせ、パニックにもなっているのか呼吸も荒かった。
「おい、大丈夫かよ?」
「来ないで!」
明らかに様子がおかしい。エルネストは心配になり、近付いて声をかけたが、あと一歩、シャロンの近くへ踏み込もうとしたところで彼女は声を荒げて彼を止めた。
「ごめん、ごめんなさい。そうじゃなくて……」
シャロンは胸を押さえる手に力を込める。
爪を立て、今にも抉り出そうとしているのがわかった。
そうか。俺と同じか。
「やめとけよ。取り返しのつかねぇことになる」
「え?」
そう言うと、エルネストは制服の上着を脱いでシャロンへ渡した。
「ほら。これでも着ておけ」
「……」
「その、女はあまり他人に肌を見せない方が良いんだろ?よくわかんねぇけど」
「……ありがとう」
ジョシュアから言われた言葉を思い出して、適当にそれっぽい理由を後から付け足す。
恐る恐る受け取ってくれたシャロンだったが、少し大きめの上着に袖を通すとボタンを全て止めた。それでもまだ、宝石が少し覗いていたためエルネストはわざと襟も立たせる。
「これならマシだろ。少し不恰好だけどよ」
「……うん」
宝石は隠れたものの、彼女は暗い顔のまま胸元を押さえる。
その様子を見てエルネストは大きなため息を吐いた。
「なんかフェアじゃねぇし、……俺も見せてやるよ」
左腕を腕捲りすると、肘まで覆われた黒手袋を見せる。ゆっくり、スルスルと外した。
「気味の悪いもんだから、あまり見せたくはねぇけどよ……」
晒された腕。手のひら。
無数の傷跡と赤く晴れた痕、そして注射器の痕。大きく広がる火傷痕もあった。
「ひどい……どうして」
「自分でやった」
「え?」
その姿は痛々しく、酷く醜いものだった。普段の彼からは想像ができないほどの陰鬱な痕。
シャロンはエルネストの腕に視線が離せなかった。
「ガキの頃にやったんだ。なりたくもなかった異端者と呼ばれて、扱われて……。俺の異端者の瞳は手で触れたものの記憶を読み取ること。他人の記憶を勝手に漁ることだってできる」
静かな時間が、そこにはあった。夕暮れとはなぜか、心が寂しく感じるときがある。
「憎かったんだ。この両手が」
憎しみを語るにしては穏やかな顔だった。
黒手袋をしたままの右手で左腕を、指の間を、手の甲を撫でる。
「ジョシュアって奴がいただろ?あいつの異端者の瞳は治癒だ。傷や病気を治すんだが……俺のこれは治らなかった」
「どうして?」
「知らねーよ。原因も、思いあたることも無い」
治らなくても本当はよかった。傷痕として残ってしまえばこの想いと決意を忘れることはないから。
「あいつも世話焼きでよ、構うなって言うのに毎日毎日いろんな方法で治そうとしてくれたんだ。結局は治らなかったけど、あいつのその姿を見て決めたんだ」
まだ学園に通う前の話。
ジョシュアと出会ってそんなに時間が経った訳でも無い或る日。
その時も同じような夕暮れ時で、エルネストは部屋で酷く苦しんでいた。咳き込みと嘔吐を繰り返し、痙攣が止まらずにいる。
ひくつく手の側には注射器が落ちていた。
『エル!』
彼が注射器に手を伸ばそうとしていたところをジョシュアが注射器を蹴り飛ばす。
その後、すぐさまエルネストを抱きしめた。
『エル!頼むから!お願いだから生きて!もういっそ、自分の為じゃなくても良い。おれの為に、お前のことが大好きな奴のために……生きて……!!』
ぐちゃぐちゃに泣きじゃくるジョシュアの言葉が、今でも忘れられない。忘れてはいけない。忘れられるはずがなかった。
それが、ジョシュアと交わした約束だったから。
「自分を憎まないって」
「自分を……」
シャロンが自然と、静かに口にした。
「お前だって、親とか友達だっているだろ?そいつらのためにも生きようと思えば少しは楽に――」
なる。なれるはずだと自分は思っている。
しかし、エルネストのことを真っ直ぐ見ているシャロンは答えた。
「いないよ」
シャロンの答えはとても早く、短い。
「わたしに親も、友達もいない。いるのは迷惑ばかりかけちゃっているお姉ちゃんとお兄ちゃんだけ」
「だったらその姉と兄が……」
へらり。と、シャロンは困ったように笑う。
その声は弱々しく、寂しそうで、エルネストの心を縛り付けた。
「無理だよ。小さい頃からずっと迷惑かけているの。子どもの悪戯や過ちなんかじゃない、わたしの所為で……」
放たれた言葉のひとつひとつが重々しく、切ない。
「たくさんの人が死んでいるの。今も。昔も。……今日だって」
その話には説得力を感じた。彼女のことをたくさん知っているわけでは無い。むしろ、今日初めて出会い、会話をしている。
それなのに、今日起こった出来事により信憑性が増す。
「その度に怒られるのはわたしじゃなくて、お姉ちゃんとお兄ちゃん。2人が頭を下げているところを何度も見た」
頭の中でいつもそのことばかり考えているのか、やけに慣れた口調で話し始めた。
「わたしね、あまり外のことを知らないの。しかも5歳よりも前の記憶はどうしてか無いし……。小さい頃から隔離されていてね、本とか写真でしか外を見たことがなかったから、好奇心だけは一人前でさ。……それが……大変なことになっちゃったんだけど」
シャロンがわざとらしく目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。いや、ため息だったのかもしれない。
「2人ともそれを気にしてね、少し自由にさせてはくれたのだけど……あまり良い事はなかったかな。学園も通わせてくれるようになったけど、それも……こんなことに……なっちゃって、さ。……あはは、嫌だなぁ!ほんとに!」
わざとらしく笑う。笑顔のようで、酷く傷ついた表情だった。
「それでね、いつも思うんだ。わたしだけが生きているって。妖精さんのご加護なのかもしれないって思うんだけど……なんか……ね」
「生き残る?」
「そう。みんな死んで、わたしだけが生きる」
なぜそんな言葉をわざとらしい笑顔で言えるのか、エルネストには理解ができない。
「わたし、妖精さんとお話ができるの。変な子って周りには思われているけど、本当だよ」
シャロンは変わらない不穏な雰囲気を纏いながら優しく微笑む。
しかし、それでもその顔には寂しさがあった。
「妖精さんたちはね、いつもわたしのことを助けてくれるんだ……。話し相手にもなってくれるし、迷っていることがあれば相談にも乗ってくれる。さっきのシャンデリアも……エルネストくんを助けて欲しいって言ったらやってくれたんだよ」
「妖精が……?」
妖精を信仰するこの国。それがもっとも色濃く現れたこの宝石都市エーデルシュタインでエルネストが後ろ指を刺される理由がもう1つあった。
それは妖精を信じていないこと。
それは非常識なことであり、理解されないことだった。
妖精から見放された者と言われる異端者であっても、妖精を信じない者はいない。妖精が自分のことを見放したと思うのが常識であり、当たり前。
信仰する、その常識的な意識はやや病的だった。
シャロンはどうやらエルネストとは反対に信仰心が篤い。
妖精と会話ができると言っている時点で狂信者だとエルネストは思ったが、落ちてきたシャンデリア、廃墟に行くまでの道のりの出来事を思い返せば本当に妖精と会話ができるのだと信じることができた。
「でも気まぐれだから今はいなくなっちゃったみたい。妖精さんって自由なんだよね。いないときもあるし、お願いできないときだってあるもん」
何かを諦めている目。
「良いなぁ……妖精さんは自由で……」
そっと、呟く。その言葉はエルネストにも届いており、どうしてかはわからないが、何をすれば良いのかわからないが、彼女のその言葉を否定したくて堪らなかった。
否定しても、肯定しても彼女を傷つけるだけだとそれは自分でも痛いほどわかっている。
「そうか……」
エルネストは黒手袋をはめ直し、自然とシャロンから目を逸らした。
「……ごめんね、エルネストくん。でも、キミがわたしに話してくれたこと、伝えようとしてくれたこと……全部嬉しかったよ」
やめてくれと思った。少しでも同じ境遇だと思った自分が浅はかだと思う。
でも、だからこそ。彼女に手を伸ばしたいと思えてしまった。救いたいと思えてしまった。
まだ出会って間も無いはずなのに、彼女のことを知らないはずなのに。自分は、彼女に惹かれてしまう。
勝手な英雄気取りか。
勝手な救世主気取りか。
勝手な王子様気取りか。
全て、勝手に言っていろとさえ思えた。
「シャロン」
勝手に体が動く。彼女の手を、繋ぐ。
「エルネストくん……?」
「俺は―――」
お前を救いたいと。言いかけた、その時。
「うぉーーーい!!」
ジョシュアの大声。その声にハッとなり、エルネストはシャロンの手を離すと声が聞こえた窓の方へ身を乗り出すようにして覗き込んだ。
「エルぅ!!庭ぁ!庭にいたぁああーー!!」
叫び声にも似た大声。かと思えば否、それは叫び声だった。
床を抜けて落ちていった犠牲者が、今度はジョシュアへ馬乗りになって今にも首を掻っ切ろうとしている。それをギリギリのところで剣で庇っている状態。
ジョシュアが殺されるのは時間の問題だった。
「くっ……そ。いつもこういうとき、エルがいたから耐えられたけど。今回ばかり、は……」
ガチガチと宝石同士が擦り合い、耳障りな金属音に似た音が出る。
「ジョシュア!!待ってろ、すぐ行く!」
幸いにもエルネストたちがいる部屋の真下にジョシュアはいた。犠牲者に押し潰されそうになっているためか、ジョシュアの姿は確認できないが、声はすぐそこから聞こえる。
飛び降りればすぐに辿り着くことができるはずだが、ここは8階。とてつも無い高さだった。
「ここから直接飛び降りた方が早いし犠牲者の背後を突ける。けど、まずいな。この高さだろ?いくら俺が異端者だからって死ぬだろ……」
「どうしよう……ダメだよ!このままじゃ!」
シャロンも窓からジョシュアがいるであろう場所を見る。くらりと来るような高さであり、身体能力が一般人よりも高いと言われる異端者でさえも、よほど受け身が上手くなければ確実に死ぬ高さだった。
「……。そうだ!」
窓から覗くばかりだったエルネストが思いつく。
シャロンへ顔を向け、提案。では無く、頼み事をした。
「シャロン。お前、妖精と会話ができるって言っていたよな!?」
「え?あ、あの、そう……だけど……」
「だったら妖精に伝えてくれ」
エルネストは窓の外にいるへ指を刺した。
その表情は真剣で、決して揺るがない意志。
「今からここを飛び降りる。だから、着地する直前で風を操るなりして助けてほしいって」
「ええ!?そんなのできないよ!だって、さっきも話したでしょ!?今ここに妖精さんがいないの!さっきまではいたのに……それに話しかけても何も反応が無い時だってあるのだから!もし……もし飛んだ後に何も反応がなかったら……!」
まさかの依頼に声を荒げるシャロン。非現実的すぎると思い、彼を落ち着かせようとしたのか、シャロンは思わずエルネストの両肩を掴んでしまった。
しかし、彼の表情は変わらない。
「大丈夫だ。できる」
「失敗したらエルネストくんが死んじゃう!」
両肩への力が強くなる。
「シャロン、頼む。俺の1番の……親友の命が掛かっているんだ」
その声はやけに落ち着いていたが、内心はそれどころでは無い。早く親友を、ただ1人の友人を救いたいと願う。
「だから」
「でも!!」
「ああああ゛あ゛ーーーー!?!?」
断末魔。その声に釣られて窓の外を覗くと、犠牲者の背中から生える6本の内の1本がジョシュアの肩を抉る。
「え、ええ、え、エル!?!?やばい!!おれ、ダ、ダダダメかもしれない!!」
「おい嘘だろ……ジョシュア!!耐えろ!!すぐそっちに行く!!」
心臓を掴まれる感覚。親友のそんな姿は見たくは無い。
「シャロン!お願いだ!お前の力が……!」
シャロンへ振り返り呼びかけたが、シャロンは先ほどよりも酷く怯えていた。
「やだ。やだ、やだ……!」
様子がおかしかった。頭を押さえ、エメラルドの瞳は見開く。ガクガクと震えて、今にも気絶してしまいそうだった。
「やってみなきゃわからねーだろ!?」
焦りのあまり、思わず強く言葉を投げ掛けてしまう。でも、正直彼女には苛ついてしまっている自分がいた。
そんな自分が、許せない。
「また……死んじゃう……。人が、死んじゃう……わたしの、所為で……」
「シャロン……」
ああ、そうだ。彼女も、やっぱり自分と同じなのだと思った。境遇、重さなんて関係無い。自分たちは同じ理由で傷付いたんだと。
己の持つ異端者の瞳の所為で。
「そうか……。やっぱ同じだな、俺たち」
「え?」
エルネストは何かスッキリとした表情で、いつもの意地の悪そうな顔で笑う。
手には異端者の灰を呼び出して高らかに、決して迷いの無い声でその名を呼んだ。
「プロバティオ・ディアボリカ!」
絶対に無いは、無いのだと。悪魔の名を持つ大鎌と、所有者である死神が証明する。
溢れる眩い青。大鎌が姿を現し、宝石の破片が、妖精の影が舞った。
「妖精?運命?そんなもん知ったこっちゃねぇ!俺ぁただ、このクソみてぇな世の中に飽き飽きしてんだよッ!」
大鎌を肩に寄せ、シャロンへニヤリと笑う。
「エルネスト……くん……」
「シャロン!もう無理やり自分自身を、誰かを信じようとするんじゃねぇ!」
そう言って、自分に親指を向けた。
「俺だけを信じろ!」
その顔は自信がある者だけがすることを許される表情。悪く言えば傲慢。馬鹿にするならばドヤ顔とも言われるその表情。
しかし、今の彼を馬鹿にする者はここには誰もいない。
「俺は、お前を信じているから」
「え……」
彼の真剣な言葉。それには不思議な力があった。
妖精、運命、異端者、信仰。全ての意味が無さない。何も感じなかった。
ただ、彼を信じるということは信仰以上の力を得るということ。
彼から差し伸べられた手。シャロンは、強く、握り締める。
「わたし!エルネストくんを……エルネストくんだけを信じる!」
どこからか、室内で優しい風が彼らの背中を押す。
「だから!ジョシュアくんを助けよう!」
「よし!そうと決まればっ!」
エルネストはシャロンを片手で抱き寄せると、2人して窓に立つ。片手で大鎌を構え、シャロンへ合図をした。
「飛び降りるぞ!」
「うん!」
8階。とんでもない高さから2人は飛び降りる。それは無謀でも、命知らずでも無い。
「妖精さん!お願い!」
勢いよく、風が巻き上がる。優しく柔らかな風は2人を包み込んだ。
「エルネストくん!」
「おう!」
シャロンがエルネストから離れると、エルネストはそのまま犠牲者へ飛び掛かる。その勢いは風に乗り、加速する。
エルネストに気が付いた犠牲者は顔を上げたが、回避しようとするには遅かった。
「生きて地獄をっ……味わいやがれぇえええッ!!」
身体を捻り、振りかぶる。大鎌が犠牲者の胸を貫くと、窓ガラスが割れたときのように崩壊の音が辺りを支配した。
割れた宝石の破片が散らばり、妖精の影も舞う。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーッッッ!!」
禍々しい赤の宝石は、無垢な白へと変わり、跡形も無く砕け散る。侵食されていた手や頭からも宝石は砕け散り、1人の人間へと姿が戻っていく。
「これが……不殺の死神……」
ふわり。優しい風に包まれて着地したシャロンはそのまま地べたに座り込む。
初めて見た光景だった。自分の所為で何人もの人間が犠牲者へ変貌をし、犠牲者の姿のまま砕け散って死ぬ。
いや、犠牲者になってしまった時点で彼らは死んでいる。
それなのに、彼は。
「死んで楽になるなんて思わねぇことだな。生きて地獄を味わい、抗うことこそが、生きることへの道標だ」
異端者の灰がゆっくりと消える。破片が風に乗り、妖精の影は柔らかな風と共にシャロンの頬を掠めて消えていった。まるでそれは、妖精からの口付けのように優しいもの。
「待たせたな。ジョシュア」
ジョシュアが寝そべる側へエルネストが座る。
「うわ゛ーーー!!エル゛ぅー!!」
肩を負傷しているとは思えないほどの俊敏な動きですぐさま起き上がり、エルネストが後ろへ尻餅つくぐらいに抱きしめた。
「なに泣いてんだよ。スリルあったろ?」
「いらな゛あぁい゛!もう、おれ、おれ……ヒヤヒヤした!」
「ほんとに……よく耐えてくれたぜ。ジョシュア」
「当ったり前だろーが!おれだってエルを信じてたから……!」
エルネストもまた、安心してジョシュアの背中を摩る。
「礼はシャロンに……あいつに言いな。俺はいつも通りやっただけだ」
エルネストが後ろを振り返り、親指でさす。
ジョシュアは立ち上がると腕で涙を拭いながらシャロンがいる方へ駆けて行った。
「シャロンちゃん!ありがとう!君のおかげでおれもエルも助かったよ!」
「……」
「……えーっと?」
座り込むシャロンは放心状態だった。
ジョシュアの後から歩いてきたエルネストに声をかけられて我に還る。
「おーい聞いてるかぁ?」
「はっ!わ、わたし!えと、えと」
慌てて自分の身体をベタベタと触り、目の前にいたエルネストの顔を揉みくちゃにした。
「生きてる……!」
「あひゃりまへはろーは」
「よかった……よかった……!!」
シャロンの手を顔から離し、エルネストは引っ張られた自分の顔を撫でる。
シャロンは顔をくしゃりとすると、涙をこぼしてエルネストへ抱きついた。
「うわぁああああん!」
「お前もかよ!ったく、シャロンは泣いてばっかりじゃねーか」
「だって、だって……エルネストくんとジョシュアくんが生きていたから……嬉しくって……」
泣きじゃくりながら話すシャロンの頭を、エルネストは優しく撫でる。
「ああ、生きてる。ありがとうな、シャロン」
その声は優しくて、喜びに満ち溢れたものだった。
「へぇ〜」
「んだよ」
「いやぁー。べつに?珍しいなーって」
「うるせーな!さっさと肩のそれ治せよ!!」
「はーいはい。あの時は焦って大袈裟になってたけど、意外と浅かったんだよなー」
ジョシュアが自分の肩へ手を当てる。ポウ……と手が光ると肩の傷が塞がれていった。
「エルとシャロンちゃんは怪我してない?大丈夫?」
「俺は大丈夫だ」
「わ、わたしも……大丈夫」
頬を摩るシャロン。その仕草を見逃さなかったジョシュアはまじまじと彼女の顔を観察する。
「んー?……あ、頬っぺた、ちょっと腫れてる?」
「あ……」
ジョシュアがシャロンの頬に手を添えて異端者の瞳を使用する。
光が消えると、赤みがすっかりと消えていた。
「すごい……!」
「よし。可愛い顔に傷があったら大変だもんな。大丈夫?エルに何かされなかった?」
「えっ?」
「するわけねーだろうが!!」
「痛い痛い!怪我人!おれさっきまで怪我人だったから!!」
ジョシュアの横腹を殴る。ジョシュアは痛がるフリをして笑っていたが、そんな2人のやり取りを見てシャロンもつい笑ってしまう。
「ふ、ふふふ。あははは!」
2人もシャロンが笑った顔を見るとお互いに目配せをしてお互いの拳を突き合わせて笑った。
すると、廃墟の玄関先から騒がしい足音と声が聞こえてくる。
笛の音。ディアマントロードたちが現れた。
「犠牲者が暴れているという通報を受けました。ご無事でしたか……」
「相変わらずおっせぇーな」
「あ、大丈夫でーす!とりあえずこの倒れている人を病院に運んでください!」
エルネストが何か余計なことを言おうとしたことを察し、ジョシュアが割って入る。
ディアマントロードたちはそれぞれ屋敷の中を、庭の中を調査するために散り散りになっていった。
数人が犠牲者となっていた男子生徒を運び出し、馬車へ乗せると馬を走らせる。
「あとは、本人の心次第だな」
「わたし、あんなの初めて見た……犠牲者が人に戻るなんて」
普通はありえないことだった。シャロンが見た光景はまるで奇跡に近い出来事。
「俺のモットーは仲間も敵も、他人でさえ救ってやることだ。伊達に、不殺の死神を名乗っているわけじゃねーよ」
さぞ、当たり前に。彼はそう言う。彼にとってがそれが当たり前の出来事。
「不殺の死神……はー!かっけぇよな……さっすがはおれの自慢の死神さまだぜー!」
「だぁああああ離れろ!!」
ジョシュアがふざけて抱き締める。剥がそうとするエルネストのその様を見て再びシャロンは笑う。
その後、彼女は改まって2人にお辞儀をした。
「あのっ、もし……2人が良かったら、お友達になってほしい……な」
シャロンのその願いは、2人には容易くて。
「あれ?もう友達だとおれは思ってたけどなー。な?エル」
「あー、はいはい。わかった。……ま、俺もお前にあんなことを言わせて他人だとしてもなぁ」
「え?シャロンちゃんに何言わせたの!?」
「ぜってぇ言わねぇ」
ジョシュアから顔を背けるエルネストだったが、シャロンが悪戯っぽく笑うと、嬉しそうに答えた。
「うん。わたしは、エルネストくんだけを信じているよ」
「なっ!?お、お前!」
「ははーん」
ニヤニヤしながら何かを言おうとしたジョシュアだったが、口に出す前にエルネストに口を塞がれていた。
「っぷは。いや〜?まぁでも珍しいな、普段のお前なら舌打ちして無視して帰るだろ?今日は優しいな〜って」
「それは──」
ニヤリと悪い顔でシャロンの華奢な肩を力強く掴む。逃さないように。
「へ?」
「俺らとお友達になった以上、いつも通りのつまらねぇ日常に戻れると思うなよ?協力すれば如雨露のことは許してやるよ」
「きょ、協力?」
話が飲み込めないシャロンは首を傾げる。先程まであんなにも命懸けだったにも関わらず、エルネストから言い渡されたものは酷いものであった。
「お前、犯罪者共の餌になれ」
「え?」
「うわぁ」
しかし、彼女はその小さな体で胸を張った。
「や、やるよ!やるんだから!」
「え!?やるの!?断ったって良いんだよ!?」
シャロンの目は力強く、エルネストを見る。
エルネストには考えがあった。
なにやら事件を呼び寄せる体質であるシャロンを使えば犯罪者を捕まえることができる。そしてエーデルシュタインに溢れる犠牲者も減るだろうと。
そしてなにより、エルネストはシャロンと共に抗いたかった。
自分たちから自由と希望を奪った、この運命に。
「んじゃあ、俺からもシャロンちゃんに提案!エルのことはエルネスト、じゃなくてエルって呼びな!」
「はあ゛!?」
まさかの展開に思わず素っ頓狂な声を上げる。
そんなエルネストなど気にせずに、シャロンは頷いた。
「エル……うん、改めてよろしくねっ!エル!」
「おっっまえなんで!」
ジョシュアの胸ぐらを掴んで前後に揺らす。
「お前あんまり女の子と接したことないだろー?なんてな!これから付き合いも多くなるんだし、だから愛称で呼んで仲良くなった方が良いだろ?おれもエルって呼んでるんだから、その方がお前も反応しやすいんじゃないかって」
「自分の名前ぐらい呼ばれたらわかるわアホ」
「でもこの前、クラスの女の子に呼ばれたとき聞いてなかっただろー?」
「アレは意図的に無視しただけだ」
「やっぱサイテーだなお前」
2人の会話をニコニコと聞くシャロンは、今までに無いくらいに嬉しい思いをしていた。
すっかりと夜になった空は、3人を安息へと導く。
別の形で自由への手掛かりを見つけたシャロンのその足取りは軽く、まだ絶望するには早いのだと、初めて考え直せた日であった。
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