人間関係はウェットに、おせっかいなくらいがちょうどいい


こんにちわ、こんばんわ、
玲です。

近年、コロナ禍という言葉が流行って
密を回避、飲み会禁止、マスク必須、
などいろんな単語がとびかっていた。
最近はオミクロン株という新種の変異株なんてものも出てき始めた。

元来、人は人とコミュニケーションをとって
新発見、成長、ストレス発散、といった
自分の心の空気の入れ替えをしてきたものが
なかなかうまくできない、息のしづらい
そんな世の中になってしまった。

「飲み会に誘うと失礼かもしれない」
「密になりそうな場所は行ってはだめだ」

無意識下にそんな事を考えてる人がほとんどだろう。
私もそのうちの一人だ。
飲み会、女子会、と言ったものは好きというより、
ストレス発散方法の一つとして大事な事だった。

こんな世の中になってしまうと、
その誘いさえも悪なのではないか、と
極論的な考えになってしまう。

2年ほど飲み会というものに参加しなくなって、
仕事と家の行き来しかしなくなった。
家で一人、テレビやYouTubeを見ながら
黙々と食べて、食器を片付けて、というルーティーン。

誰に話しかけるわけでもなく、
独り言のようにこぼす愚痴やストレス。
宙に浮いて、そのまま消えていく。
もちろん虚しいだけ。

コロナ禍になる前は、仕事終わりに会社の近くで軽くご飯食べながらその日あった事を話したり、
月に一回、半年に一回、会う友人と思い出話や恋の悩み、色々話してたものだ。
その時その時で心の中の空気の入れ替えをして、
リフレッシュしていたのにな。

今は交流と少なくなってしまった。
大切な人をコロナでなくしたくない、
コロナになって周りの人や会社に迷惑をかけられない、
そんな配慮から、私たち人間は心を壊されていっているのではないか。

もちろん、新しい生活様式で、
リモートワークが積極的に取り入れられていく事には大賛成だし、休み無く働いている医療従事者には頭も上がらないのも事実。

だけど、その傍らで、
孤独に埋もれ、自らの命を絶ってしまったり、
犯罪に手を染めてしまったり、する人も増えているのも事実。

人の心の崩壊は、
他人の目には見えない。
ご飯を囲んで、気の許せる雰囲気で、
初めて口からこぼれ出るものだ。

簡単に見えないからこそ、
無碍にしてはいけない。
心が苦しくて、どうしようもなくて、
本人は醜くて仕方ないその感情を勇気をだして
言葉にしたものを、受け止めてもらえないのは
絶望に等しいものだ。

大げさに心配してほしいとは思わないけど、
リアクションが冷静なものだと
話さないほうが良かった、と心を閉してしまう。

田舎のおっちゃんおばちゃん、
とまでは行かないけど、
あれやこれや提案してくれたほうが心が楽になったりする。
複雑な社会になってきたからこそ、
人は原点にもどって、隣近所の人におせっかいやけるくらい、身近なところへ視線を向けてもいいのではないか、と思う。

人は一人では生きていけないし、
人は人といることで心の中の空気の入れ替えになるし、


耳に入る悲しいニュースの根本は
心の中の空気の入れ替えができなかったのかな、と。

手の届く範囲、って言うと表現的には違うのかもしれないけど、
ウェットな人間関係、ときにはおせっかいなくらいの交流を取り戻していく事が必要になるんじゃないか。


と、私は思う。

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