大人の独善から、子供が自己防衛するための「性教育」
性教育
言葉が理解できる幼児期から、性教育を受けることができていたら、私の人生の苦しみも少しは軽減されただろう。
私のいう「性教育」は、「性行為の仕方」とか「体の仕組み」という応用編じゃなくて、それ以前の基礎的なこと:
自分だけの大切な体は、親などの大人で誰であっても勝手に見られたり触られていいものではなく、イヤだと感じたら「やめて」と言っていいし、逃げてもいいし、助けを求めてもいい、という害を軽減するための知恵。「ハーム・リダクション」ということもできる。
要するに、人間関係に置いて基本となる、人の間にある「見えない境界線」を認識して尊重する方法を知ること。
『安全、同意、多様性、年齢別で伝えやすい! ユネスコから学ぶ包括的性教育 親子で考えるから楽しい! 世界で学ばれている性教育 1時間で一生分の「生きる力」』という本には下記のように説明されている。
私の両親は、性教育は愚か「他人を尊重すること」を知らぬまま、大人になり、子育てをしてしまったらしい。
たとえば、私は保育園に入る前から、寝ている隙に、父親から性器を触られていた。私は当時はまだ父のことを好きだったが、気持ち悪かった。怖かった。だから、父がそんな気持ち悪いことをするなんて信じられなかった。信じたくなかった。
私はとっさに、父親の犯行現場から逃げたが、翌日、母親の不可解な言葉を聞いて、もう何もかもわからなくなった。感覚が麻痺し始め、頭の中にいる別の人格の人生を歩み始めた。
でも悪夢だと思い込んだ記憶は、度々フラッシュバックし、どうしても消すことができなかった。
心だけでなく、体も自由が効かなくなり、臨死状態になり、あらゆる治療を試みる中で、私の記憶は悪夢ではなく、「性的虐待」だということが少しづつ実感できてきた。
そんなこと、考えればもっと早く分かるようなもんかもしれないれど、子どもの私にはそれは「死」を意味するほど不安なことだった。
両親の虐待を認めてしまったら、「幸せな家族」像を否定しなくてはならず、物理的な居場所が脅かされる。だから、お父さん子を装い、母親に相談しなかったようだ。母親は「躾」と称して体罰や精神的な苦痛など、あからさまな暴力を振るう人だったから、確執を深め易かった。
とんでもない両親だと思うかもしれないけど、表向きにはとてもできだ親だったのではないだろうか。毎日美味しいご飯を3回食べさせてくれたし、教育(一般教育に限る)熱心だったし、庭付きの十分広い一軒家で育ててくれたし、国内外の旅行にも連れて行ってくれた。
でも「恵まれた環境で育ったはず」と考えれば考えるほど、何故か私の気持ちは暗くなり、常に虚無感を覚えていた。そんな家庭で心が休まることなど一度もなく、一刻も早く家を出るために、勉強以外の時間はバイトして貯金を貯めていた。
小学生からワーカホリックで、この資本主義社会で自立して自由を得るためにはお金があれば安心と思っていた。でも、仕事のために人間関係をとことん壊してから、働き盛りの頃には仕事への意欲が無くなってしまった。
「Toxic parents(毒親)」という概念の生みの親であるスーザン・フォワード氏の著書に、親と対面して被害に遭った事実を問いただすことが薦められている。
一時は墓場まで持っていくと決めていた父親の犯行を、本人に問いただし、母親にも告白することは、人生で一番恐れていた行動を実行すること。
そんなことができるなんて思ってもいなかった。でも、「人生どんなに踏ん張っても、全てが裏目に出る」という限界を何度も経験し、それが、親から背負わされた重い荷物に原因があると痛感。
自分一人で背負っていた親の荷物(ゴミ)を所有者の元に戻すことでしか、自分の人生を取り戻すことはできないと確信したので、両親と対面した。
両親の反応は、気持ちの悪いものだった。そして私が確信したことは、彼らがやはり偽善者だったということ。
父は物心つくことらか私を溺愛し、「目に入れても痛くないほど可愛い」と言ったりしていたが、いざ自分が親として失格なことをしたということを突きつけられると、手の平を返すような態度をとった。
母親も、私の話を最後までちゃんと聞いてくれなかった。時には共感するようなこと言ったり、信じられないと言ったり。でも結局「幼児の娘に手を出した疑惑が少なくともある男」と今も一緒に暮らしている。夫のことを「金ズル」とも言っていて、悲しくなった。
以前は私の音信不通を過度に心配していた両親は、それから私に連絡をよこさなくなった。意地を張ることで自尊心を保とうとしているのか、今まで偉そうにしていた面ができなくなって何を言っていいのわからないのか、そんなところだろう。
私が思春期の時、男友達と遊ぼうとする度、門限を破る度に、体罰と説教をしてきた母親。4歳の娘に手を出す夫のことは多めに見れるのかと思うと、子どもの人権より「金」を大事にしていることが分かる。そんな親から自分が生まれたんだと思うと、自分のことも嫌になる。
結局、人間なんて大概、親であろうが、信用に値しない。そんな奴らと暮らすために自分の人生を犠牲にしたきたと気づくと虚しい。
4歳からずっと辛かったし、40歳手前になった今も辛い。多分、死ぬまで辛さは続くだろう。でも辛くて当たり前なんだと思う。
「自分の心、体、命を大切にしていいんだよ」という人間にとって本来はきっと自然な感覚を、押し殺してきた教育を当然のように、先祖代々続けてきた伝統の中で成長したのだから。
自殺率が高いことが問題視されているが、性教育または命の教育が無視されてきたことが問題なのだと思う。
自殺は、この生き地獄で、親の勝手で命を受けてしまった者にとって、この世にNOを突きつけるという本心からの意思表示であり、最後に残った勇気を振り絞った結果であり、麻痺し切った世の中への注告なのだと思う。
自殺が問題だと思うなら、大人の独善的な言動から子供が守られる知恵と習慣を広めるしかないのだと思う。
自分達の知る限りの方法で愛情を注いできたつもりながら、子どもからは心底憎まれている私の両親。私は彼らみたいになりたくないから、子供は産まないと決めている。
でも自分が子どもの時、父親の猥褻と母親の体罰の代わりに、どんな教育を学べたらよかったかと考えた末に、命の性教育がある。
命の性教育を学ぶことができれば、両親が私にしてきたことが人権侵害であるということは一目瞭然であり、子どもの私が自分の感覚を疑い、麻痺させることはなく、自分らしい人生を歩めたと思うからだ。
参考文献
上村彰子. 安全、同意、多様性、年齢別で伝えやすい! ユネスコから学ぶ包括的性教育 親子で考えるから楽しい! 世界で学ばれている性教育 1時間で一生分の「生きる力」KODANSHA, 2022年3月
国際セクシャリティ教育ガイダンス(ユネスコ)
International Technical Guidance on Sexuality Education, revised edition (UNESCO)
https://www.unfpa.org/sites/default/files/pub-pdf/ITGSE.pdf
ありがとうございます✧