うさぎの時間 前編
香芽子(かめこ)はうさぎを一羽飼っている。ネザーランドドワーフという種で、あまり大きくならないのがウリだった。生後二か月の頃は片手に乗っていたけれど、今は両腕で抱えている。今年で七歳になる茶色の雌だ。うさぎの寿命は八年から十年と聞いているが、まだまだ元気溌剌、食欲旺盛、排泄良好、フットワーク軽快、うさぎ小屋も同然の狭い部屋の中を縦横に走り回っている。
以前は畳やカーテンの裾、襖、コードなど、何でもかじり放題だったが、もういい加減飽きたのかあまりかじらなくなった。座椅子に座って腕に抱いていると、しきりに手や腕を舐めまくり、温泉につかっているような眼をしていつまでも抱かれている。柔らかい毛の感触、とりわけ耳の後ろのビロードのような艶のある毛並みの手触り、感度良好の長い耳、つぶらな黒い瞳、五本の骨に毛皮を張ったような華奢な前足、それに比べれば格段に大きく力強い後ろ足、余った毛糸を無造作にくっつけたような用途不明のしっぽ。そして、全体にこんもりとまろやかな癒し系の体形。
香芽子にとってうさぎは毛皮をまとった天使だった。だから、ミシェルと名づけた。元々はヘブライ語のミカエルに由来する。天使たちの総司令官、大天使ミカエル。英語ではマイケル、ロシア語ではミハイル、ドイツ語ではミヒャエル、フランス語ではミシェル。香芽子はミシェルという語感が一番気に入った。
なんせ、自分が香芽子だ。せめてペットには梅子や松子ではなく、もっとお洒落な欧米系の名前をつけたかった。子どもの頃は泣いて親をなじったものだ。なんで香芽子なんて鈍くさい名前をつけたのかと。お陰でほんとに不器用でのろまに育った。「もしもし香芽子、香芽子さん、世界のうちでお前ほど歩みののろい者はない どうしてそんなにのろいのか」と悪ガキどもに囃されて泣いて帰ったことは数知れず。ある時、父がこう言った。
「香芽ちゃん、お前の上にはお姉ちゃんとお兄ちゃんがいたんだよ。お姉ちゃんの朋子は三歳の時事故で、お兄ちゃんの潤はわずか一歳半で病気で亡くなってしまった。父さんも母さんも毎日泣き暮らしたよ。それで、お前を授かった時は、今度こそ何が何でも育ってほしいという一念で香芽子と名付けたんだ。母さんはせめて津瑠子(つるこ)にしたらと言ったけど、鶴は千年、亀は万年、長いに越したことはないと父さんが頑張った。亀のようにゆったり長く生きて大器晩成。香しい芽で香芽子、どうだ、いい名前じゃないか」
「やだよ。それでもいやだ。絶対名前、変えるんだあ」と泣きわめいているうちにあっという間に四十余年。二十代の頃には頭も手足も甲羅の中に引っ込めて、文字どおり亀になっていた時期もあったけれど、生き延びてめでたく華の中年と相成った。改名願望はとっくの昔に諦めて、今では「香芽ちゃん、香芽ちゃん」とみんなから親しまれている。
香芽子はミシェルに語りかける。
「ねえ、ミシェル、あんたの目は深い山奥にひっそりと水を湛えた湖みたいだねえ。あんたの目を見てるとしみじみ心が落ち着く。いいねえ」
うさぎにはこの世界はどんなふうに見えているのだろうか。たぶん人間とはずいぶん違う世界なのだろう。人間でも一人ひとり認識する世界は違う。たとえば散歩をしていても、植物に関心のある人は樹木や草花に注意を向けて、地面を這っているアリにはさしたる関心を払わない。アリを観察中の人にとって今上空を飛んでいる鳥の存在はないも同然だろう。落としたお金を探している人なら、ひたすらそれだけに全集中力を注ぐだろう。人も動物も日々それぞれが関心を持って知覚し認識するものだけを積み上げて自分の世界を構築している。
香芽子はミシェルの控えめな感情表現や「ブウブウ」と鼻から出す声、前足でそっと触れるエンジェルタッチ、人間の目には見えない訪問者がやって来た時は、立ち上がって一点を凝視し、後ろ足を激しく打ち鳴らす様子など、ミシェルの振る舞いのすべてを愛おしく感じていた。一緒に暮らすようになってから、一日の終わりには必ずミシェルと懇ろに睦会をした。
ある夜のこと、香芽子はひどく疲れて炬燵で寝入ってしまった。しばらくしてぺろぺろと耳元を舐められる感触で目を覚ました。起き上がってみると、そこにミシェルがちょこんと座っている。驚いた。どうやって篭脱けしたものか。
「ようこそ、うさぎの時間へ」
しゃべった?しゃべった!確かに!ついに、ミシェルがしゃべった。こいつはいつかしゃべるだろうとは思っていたが。
「驚かないよ。うさぎがしゃべっても。ところで、うさぎの時間て何?」
後編につづく
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