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「霊界物語」を真剣に拝読した者は、額から霊光を発する

皆さんは、出口王仁三郎が口述筆記した「霊界物語」を読んだことがあるでしょうか。

「霊界物語」は全81巻83冊の大長編ですので、始めから読む気を失せてしまった人もいるのではないでしょうか。

霊界物語は、「神との対話」「聖なる予言」「ザ・シークレット」などの現代のスピリチュアル本とは異なり、閻魔大王や狐憑きの話など、古事記や日本昔話のような感じで書かれてあります。

さらに、登場人物たちの会話も、特に意味があるとも思えないやりとりばかりが延々と繰り返されます。

いったいこれに何の意味があるのかと馬鹿らしくなり、それ以上読み進めるのをやめてしまう人がほとんどのようです。

私は毎日1回は、霊界物語を読んでいます。

ここだけの話ですが、霊界物語を読むと松果体が活性化し、額から霊光を発するようになるのです。

それだけでなく、読み進めているうちに、不思議な夢を見たり、身の回りに奇妙な偶然、シンクロニシティが立て続けに起ったり、神秘的な体験をして、ある種の手ごたえが感じられるようになります。

次のような逸話があります。

「霊界物語」を真剣に拝読した者は、額から霊光を発する

霊界物語の神秘について故成瀬言彦先生から昭和四十五年頃に、次のように伺いました。
先生が四国へ派遣されていた昭和初期の頃、霊界物語拝読のすすめを内容とした講演をされた時に、話終わって壇を降りると、分所長から、「徳島の人は、皆、熱心な方ばかりで、物語拝読も皆さんがなさっていると確信いたしております」と付け加えられました。
先生は、そうですかと言って再び昇壇して、皆に、
「今、分所長から、お聞きの通りのお言葉がありました。しかし、私の見るところ、皆さまの中で拝読なさっている方は三人しかいない。今から私がその三人を当てます」と言って指し示したそうです。
そのあと言をついで「今示した三人以外に読んだことのある人は、遠慮なく手を挙げてください」というと、皆下を向いて、答える人はなかったそうです。
先生はさらに、その三人が、それぞれ何巻まで読んだかを言い当て、皆を驚かせたそうです。
「真の神に祈り、心を込めて物語を拝読すれば、一巻を読み終えると額から蛍火のような霊光が、十五、六巻では懐中電灯のように、月の光を強くしたような霊光が出ている。さらに三十五巻以上ともなれば、さながらヘッドライトの如く強烈な霊光が発しているもので、自分はその顔を見ただけで、何巻の拝読をしているかがわかる」と話しておられました。

「人類愛善新聞」昭和63年1月号


霊界物語は神様が出せとおっしゃるのですから、何が何でも出版しなければなりません。
さきほど申しましたように私自身も理解できませんでしたが、しかし、これが本当の教えだとおっしゃるのですから、そう信じるよりありませんでした。
ある時、私はあまり皆が分らんというので、出口王仁三郎師に「もう少し分かりやすいのを出してください」と申し上げると、師は「あまり分かるものを出したら悪神に仕組みを取られる。五十年か六十年先になったら、こういう官憲の圧迫もなくなるし、時代がどんどん進んでものの考え方が広くなり、物語も必ず理解されるようになるから、それまで辛抱せい」とおっしゃいました。

「おほもと」昭和52年2月号

「霊界物語」を拝読するとき、神の言葉を今承(うけたまわ)っているのだという心構えであれば、魂の中に入るけれども、何か小説でも読んでいるような心構えであれば、得るものが少ないのである。

出口王仁三郎


神のエネルギーが内琉する

忘れてもかまへん。
読んでさえおけば、それが血となり肉となって、まさかの時にご内流(神のエネルギーが流れ込む)となってでてくるのだから、読んでさえおけばそれでよいのだ
声を出して読めば、自分の耳に神のお言葉が直接響いてくる。
神の御声を聞きつつあるという心で読めば内流となるのである。

神は現実の世界に住む者に対しては直接内流(神のエネルギー)はくださらぬ。
そこで聖言(言霊)によって内流するのである。
「霊界物語」は瑞霊の教であり、聖言なのである。
これによって生命の糧(エネルギー)は与えられるのであるから、物語を常に拝読するように心がけなくてはならぬ。
物語の中に神は坐しますことをさとらなくてはならぬ。

出口王仁三郎

霊界に行ったとき救われる

出口王仁三郎師は、霊界物語は意味が判らなくても読んでおりさえすればいつとなく判るようになる。
またいつとなく、御霊のふゆが、増してゆくようになると教示された。
霊界に行ったときにはじめて物語の糧に育まれていたことが実証される、すなわち救いの書であるゆえんである
物語は、拝読しておれば春雨が土に浸み込む如く、いつとなく知らず知らずの間に聖霊がその光に接して、智慧正覚を得るものであって、一挙に何もかも理解するということはむつかしい。

現界の小説などを読む場合は、そのまま、内容が判るのであるが、それは現界を写し出しているのであるから、簡単に理解されるのである。
物語は霊的想念の状態を、現実の言葉、形のある文字にはめこむのであるから、霊的意義の理解力がまず養われないと、判らぬのである。
したがって幾回となく、拝読して物語の物語る状況に想念が合致するようになれば、おぼろげながらも理解の力がついて次第に、面白く、次第にありがたく、ついには金言玉辞としてわれわれの救いの文となるのである。

「おほもと」昭和50年8月号

霊界物語は三百六十法の神法を示してあるのだ

出口王仁三郎

「霊界物語」の拝読で神力を授かる

子供でもケンカの時、軽蔑した声で「イー」とやる。わしは、言霊の活用ではないかと思っておった。そしたら出口王仁三郎師は、「子供ちゅうものは、純真なもので、神さまは、よう出来ておるなあ、イーちゅうのはどういうことか知っとるか、大国」
「知りまへん」
「あのなあ、この指を〇〇〇〇にしてイの言霊で切ってみい、ほんとに斬れるぞ。まあ、めったに使っちゃいかんが、どうにもならない時に、一ぺん体験のために切ってみい」
当時月宮殿の工事のとき、月宮殿をつぶすべく、霊があばれ、神がかりが多かった。夜は何組も組をつくって、警戒さしたんです。
ところが、なんぼやっても、むこうの逃げるのが早いんです。シマッタと思って、イェーッとやったところ、パタッと倒れた。「ああ、おれも出来るわい」
そうしたところが、死んじゃあいまいかと今度は心配になった。(笑)ただその後、その人の背中に数日間赤い印がスーと肩から腰についていましたね。聖師さまに言ったら、
「もうやるなよ。しかし、霊界物語に書いてあることはお前、出来んように思っているけれど、みな出来るんじゃで。物語を充分読んでおったら、イザというときの力がそなわるのじゃ」
神様は、力をやろう、やろうとしておられるのに我々はそれを拒否しとる。うんと拝読せなならんなあと思いましたね。
「それだけの力を霊界物語を読んでおる人には与えられる。読んでない人がなんぼいうても威力はでんぞ」
と言われた。”    

「愛善苑」昭和46年8月号

霊界物語を音読する者は御神業に参加しているのである

霊界物語を読まなければいけない。
これを読めば神風おのずから起こって、日本は発展するし、世界も清まってくる

霊界物語の霊界は時空を超えてミロクの世とつながっておる

霊界物語を音読する者は御神業に参加しているのである

霊界物語を読んだ人ほど霊界の位置が高いぞ

霊界物語は神より見ればみな金玉(きんぎょく)の文字である

霊界物語中の如何に平易な言葉通俗的な思想といへども主(す)の神の御意志によって一度天下に発表されたところに、無限の権威があり、したがって最大の神威、霊徳が発揮されるのだ
上品なところから下品なところまで一切を網羅してあるのが霊界物語だ。お前の心身にしてもそうだろう。非常に高貴な面もあれば下劣な面もあるが、すべてが寄りあってお前の人格となっているじゃろ。それと同じように考えて霊界物語を読めば、立派な神書だということが理解できるはずだ

出口王仁三郎

霊魂の薬

霊界物語を拝読いたしますと、心の奥底に何かしら温かい力強いものを頂くことが出来ます。
出口王仁三郎師が人生の幸福も不幸も智慧証覚の如何によると申されましたが、この人生にとって一番大切な神様の智慧と証覚を授けるために、神様が出口王仁三郎師の口を通して発表されたものが霊界物語でありますから、素直な心で拝読(音読)させていただきますと、魂の中に神さまの御神徳をうけることが出来ます。
又、物語は霊魂の薬です。
心の中から希望がわき出し、幸福と平和と歓喜を味わうことが出来る様になるものであります。
病気の折などは拝読しますと御神徳が現われて、全快する事は度々体験させて頂きました。
私の弟の入信は霊界物語を拝読しているうちに、電燈の光が二重にも三重にも見え、本の字も重なり合って見えないものが霊界物語は読めるのです。
又他の本をみると読めないので、物語だけを見ているうちに、遂に御神徳を頂きまして他の本も読める様になりました。
ただ読んで拝読していますと、心の中に嬉しさが湧いて参りまして夜はよく睡眠できる様になります。

惟神神の御旨を悟らむと 思へば元の赤子となれ
たらちねの母の乳を呑む様な素直な心で音読する人達は、神様から偉大なる御神徳が頂けるのであります。
御神徳を頂きたい方々は、大神様を奉斎して朝夕礼拝を励み毎日々々必ず霊界物語を拝読させて頂くことが最も大切なことであります。

この神書若しなかりせば地の上に みろくの神世は来たらざるべし
血と膏しぼるが如き思ひして 吾は霊界物語編みぬ

みろくの世の実現は、救世主瑞の魂大神様の心血をもって編み出して頂きました霊界物語の拝読から始まると申しましても過言ではありません。
拝読させていただいている裡には不知不識に、神様の至仁至愛の大御心も少しづつ体得させて頂くことが出来るのであります。
 神諭に「神の心と人民の心が一つになりたら神代と申すぞよ」と示されております様に、私達が神様の至仁至愛(みろく)の大精神を悟らして頂く毎に、一歩々々弥勒の世が、私達の中に即ち地上に実現することになると教えられています。

苦しみの深き谷間に落ちし時 救いの綱となるは此の神書

「愛善苑」昭和34年10月号

大峠の時はどうしたら良いのか

昭和五年の御巡教の折、信者の一人が「大峠とか最後の審判とか言いますが其の時には本部から通達が来ますか。」と尋ねました。
出口王仁三郎師は「そんなものが来るかい。又、そんな余裕も無いわい。」とおっしゃる。
「其の時はどうしたらよいのでしょうか。」とお尋ねすると出口王仁三郎師は、「時期やその時どうすればよいかは全て内流を受けて悟るのだ。御内流を受けられるだけ普段からみたまを磨いておく事だ。或いは夢で知らされる者も居る。各地にそれぞれ御内流を受けるみたまをまくばってあるのでみんなはその時はその人の所に集まればいい。又、その前には神様は新聞やラジオなどで知らされるから、主神の御教えに基づいて新聞をよく見、ラジオを聞き、神様の御意図に添って活動することだ。何と言っても神さまの御教えに従い、霊界物語を読みしっかりみたまを磨いておくことだ。」とお示しになりました。”

「愛善世界」№2

まず大過去(神代時代)、大現在(今の我々の時代)、大未来(ミロクの世)があり、それぞれの中に過去・現在・未来があるとされます。

そして大過去の過去(「天祥地瑞」(73巻~81巻)の世界)は大現在の過去、そして大未来の過去へ投影され、同じように大過去の現在は、大現在の現在、大未来の現在へ、そして大過去の未来は、大現在の未来、大未来の未来へと投影されます。

「霊界物語」(1巻~72巻)は大過去の現在と未来が述べられたものであって、それが大現在の現在・未来、大未来の現在・未来へと投影されることになっています。

霊界物語は通常の我々が使用している言語とは異なり、霊界の言語は、たとえ短いセンテンスであっても膨大な量の情報を含んでいます。

ふだん私たちが使用している頭脳による知性では、高次の知性の言語を理解できません。

禅の公案においても、通常の知性が混乱に陥り限界に達したときに、そこで初めて閃くものがあります。

この「霊界物語」は、そもそも頭で理解すべき本ではありません。

霊界物語を読む者は、必ず神界からの何らかの働きかけ、導きを受けるであろうことを確信しております。

さらに「霊界物語を音読する者は神業に参加しているのだ」と言われたように、音読によって発せられる言霊によって『霊界物語』の霊界を現界に作用させ、ミロクの世の到来を早めることができると思っています。

霊界物語は大本教の信者のために書かれた聖典ではなく、日月神示と同じように、すべての人々にたいして書かれた本であります。

ネットで無料で読める「霊界物語」は下記になります。


皆様に沢山の幸せが訪れますように。

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