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日記 2023/4/5

寝落ちた。
気圧のせいなのか後頭部から首の後ろにかけて何か取り憑いてるみたいに痛重い。マジで4月1週目に許されていい天気じゃないって。

アイドルとジェンダーアイデンティティに関するマシュマロが立て続けに届いていたので返した。1件はわたしが詳しくないアイドルのセクシュアリティを無神経に詮索するような内容になってしまったため既に削除した。
もちろん他人のセクシュアリティを勝手に決めつけたり、無理に聞き出そうとすることはあってはならない。当たり前である。しかし、日々みるみる多様になるセクシュアリティを定義する言葉の存在意義は、(それを使用する本人が自分を定義できる言葉を、居場所を見つけて安心できるようになるところも大きいだろうが、)他人に自分の性自認や対人関係のありようを説明・共有できるようになることにもあると思う。
セクシュアリティに関係なく、すべての人が恋愛感情に限定されない広義の「好意」を抱く相手と、互いにとって理想的な関係性を構築することができる社会であればいいのだが、現状はきっとそうではない。自分や、自分と他者の関係を理解してもらうためには、まだある程度世間で共通認識のある名前や定義が必要だ。そういう枠組みがない状態で、人間は自分の世界の外にある物事を理解するのは難しい。「自分はこういう人間だ」ということを理解してもらうために、セクシュアリティの開示は有用だ。
とはいえ先に宣言した通り、人のセクシュアリティを無理に暴こうとしたり、自分の理解の範疇で決めつけることはあってはいけない。セクシュアリティ(に限らず自分にまつわるプライベートな情報すべて)を誰に、どこまで開示するか否かは本人が決定権を持つべきだ。
その条件下で、お互いに傷つけることも傷つけられることもできるだけしないで、人と人とは果たしてどこまで深く理解しあって、深く関係を築いていけるだろう。たとえばそれが「アイドルとファン」の関係であるならばどうだろう。
「アイドルとファン」はただのコンテンツの提供者と消費者というビジネスライクな関係にすぎず、そこに人間的な気持ちの結びつきはないと言われればそれまでかもしれない。しかし現状「推し」をただのコンテンツの提供者と完全に割り切って「推し活」をできているファンが果たして何人いるだろう。アイドルから発せられる「ファンの皆さんが大好きです」の言葉は、本当にいかなる時でも真っ赤な嘘なのだろうか。
ファンの立場で何を言っても暴力的になる気がして気が引けるけど、アイドルからファンに向けられる感情が必ずしも「好き」じゃなくても、ファンからアイドルに「好き」以外の感情が向いてしまう瞬間があっても、アイドルがファンの顔や名前を誰ひとり覚えていなくても、ファンがアイドルのプライベートや本心を知ることがなくても、これを新たな人間関係のひとつとして、豊かにしていくことはできないかな。アイドル側は誰もそんなこと望んでないのかもしれないけど。
矢花くんも、今はもうそんなこと思ってないのかもしれないけど、いつか「ファンの皆さんとは友達にはなれないかもしれないけど、友達になりたいという気持ちは人一倍ある」って言ってたの、わたしは信じてたいなって思ってるよ。勝手かもしれないけど。


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