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#ミレニアル政策ペーパー 「家族イノベーション」全文公開

一般社団法人Public Meets Innovation(パブリックミーツイノベーション、以下PMI)(東京都 千代田区)は、2021年4月にミレニアル世代による政策ペーパー第一弾「昭和平成の家族モデルを超えた、多様な幸せを支える社会のかたち」を公表しました。

今回、改めて多くの方にミレニアル政策ペーパーをご覧いただきたいとの思いから、全文公開いたします。

第 1 章 「ミレニアルの違和感-昭和と令和の家族ギャップを紐解く〜」

戦後の日本が幸せの象徴として描いてきた「家族モデル」。 結婚し、マイホームを持ち、子供を生み、そして夫婦で育てる。本当にそれだけが唯一の正解なのだろ うか。第一章では、令和以降を生きるミレ二アル世代の家族への違和感に迫る。

ミレニアル世代と家族を取り巻くさまざまな変化
まずは、ミレニアル世代が現在の「家族」に対して抱いている違和感の一部を、ありのまま紹介したい。

✓結婚しても苗字を変えたくない
✓ 「みんな結婚するのが当たり前」「いい年して独身だと信用できない」という考 え方はおかしい
✓ 同性の恋人と結婚したい ✓ 女性活躍推進と言いながら、出産、育児の負担が女性に偏りすぎ ✓ ひとり親が子育てしづらい
✓ 核家族・共働きで家庭での子育ては無理ゲー
✓ 離れて暮らす親が心配だけど、仕事を辞めたくはない
✓ 結婚はしたくないけど子どもは欲しい
✓ 離婚のハードルが高過ぎて、意味のない婚姻生活がだらだら続いている

サザエさんやちびまる子ちゃん、ドラえもんといった長寿アニメで描かれる家族はどれも、サラリーマンの夫、 専業主婦の妻、子どもで構成されている。「外で働き稼ぐ夫と、家事や育児を引き受け夫を支える妻」と いう家族のかたちは、経済的に大成功を収めた高度成長期の労働形態と適合し、「幸せの象徴としての 家族」の理想のかたちとして、とくに都市部で定着した。

しかし、専業主婦世帯と共働き世帯の数の差は昭和 55 年頃からじわじわと縮まりはじめ、昭和 60 年の男女雇用機会均等法の施行などを経て平成 4 年に逆転すると、平成 30 年には専業主婦世帯 600 万に対し共働き世帯は 1,219 万と、もはや共働き世帯は圧倒的多数となった1。

※1 男女共同参画局, I-2-9 図 共働き等世帯数の推移

単独世帯は数、割合ともに増え続け、4 世帯に 1 世帯は「生活を共にするメンバー」としての家族がい ない一人暮らしである。三世代で同居する世帯は数、割合ともに減少し、65 歳以上の高齢者の単独 世帯や夫婦のみの世帯が増加している2。

ところが、すでに進行しているこうしたライフスタイルの変化に対し、家族になる、あるいは家族でいるため の価値観や制度が追い付いていないのではないだろうか。そのギャップの一部が表れたのが、上記の「ミレ ニアル世代の違和感」である。

たとえば、生まれ育ったまちを離れて暮らす人々が増えており3、共同体や祖父母のサポートを受けにくく なっていることが、子育てにかかる両親の負担を重くしている。専業主婦が主流だった時代には、母親のリ ソースをすべてつぎ込むことで対応してきたが、共働き世帯の一般化によりその難易度はさらに高くなった。

女性活躍推進が掲げられ、女性の年齢階級別労働力率が結婚・出産期にあたる年代に一旦低下 するいわゆる M 字カーブも解消されつつある一方で、家事に費やす時間や育児休業の取得率の男女差 は大きく、家事や育児の負担が依然として女性に偏っている4。婚姻時に 96%の夫婦が夫の姓を選択し ているが、改姓によるキャリアの分断を避けるため、職場では旧姓を使用し続ける女性も多い。

2 厚生労働省, 平成 31 年国民生活基礎調査の概況結果の概要 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa19/dl/02.pdf
3 国立社会保障・人口問題研究所, 2016 年社会保障・人口問題基本調査, 第 8 回人口移動調査 結果の概要
http://www.ipss.go.jp/ps-idou/j/migration/m08/ido8gaiyou.pdf
4 内閣府男女共同参画局, 令和 2 年度版男女共同参画白書(概要) https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r02/gaiyou/pdf/r02_gaiyou.pdf

祖父母側の視点に立ってみても、子どもの援助を得られない高齢者の単独世帯の貧困率は高い 5 。ひとり親世帯も数、割合共に増えており、児童のいる世帯のうち 6.5%がひとり親世帯であるが、ひとり親 世帯における貧困率は 48.1%となっている6。児童養護施設で養育されている子どもたちの大半は両親 との死別ではなく、家庭での養育が不適切として保護された子どもたちだ。

さらに、相続放棄による空き家問題や、後継者不在による廃業問題なども深刻化している。 これらは、育児や介護、代替わりといったライフステージの各段階における機能や役割を、「血のつな がった家族」という枠の中だけで担おうとすることの限界を示しているのではないだろうか。

また、LGBT の認知が広がり、多様な性のあり方を受け入れる人が増えてきたが、同性カップルが法的 に婚姻関係を結ぶことはいまの日本ではできず、同性婚を求める声も高まっている。同性カップルは、事 実上家族として生活をともにしていても、配偶者控除を受けられないなど、法律婚している夫婦と比べて 不利な扱いを受ける。改姓を避けるために籍を入れないことを選択した事実婚カップルも同様だ。

このように、家族のあり方はすでに変化してきたにも関わらず、制度や価値観が昭和の時代に多数派 だった家族像を前提にしたもののままになっていることが、さまざまな課題を産んでいる。一定の年齢になれ ば結婚して子どもを産み育てるのが当たり前で、そうしないのは異端なのか。子どもを育てる全責任は両 親にかかっているのか。高齢者や障碍者のケアは家族の中で完結させなければならないのか。「しあわせの 象徴としての家族」に縛られて、かえって苦しむ人を生んではいないか。あるべき家族のかたちを決めつけ ることなく、それぞれが選択する家族のかたちを、優劣なくフラットに認め合う社会にしていくべきではな いだろうか。

そんな中で起こった新型コロナウイルス感染症の流行は、家族について様々な思いを巡らす機会をもた らした。緊急事態宣言下では外出を抑制される日々が続き、家で過ごす時間が増えたことにより、家族 の大切さやありがたみを改めて実感した人もいれば、もともと他人であった夫婦が逃げ場もなく同じ空間で 過ごす難しさを感じた人もいたことだろう。県をまたぐ移動の自粛が要請されたことで、遠く離れて暮らす家 族に会うことができず、お盆の帰省についても様々な議論が交わされ、「オンライン帰省」という新たな概念 も誕生した。暮らしや働き方について「新しい生活様式」「ニュー・ノーマル」が一気に浸透したように、新型 コロナウイルス感染症は、家族についても大きなパラダイムシフトをもたらすきっかけとなるかもしれない。

5 内閣府男女共同参画局, 平成 24 年版男女共同参画白書 https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h24/zentai/html/honpen/b1_s05_01.html
6 厚生労働省, 2019 年国民生活基礎調査の概況

第2章 しあわせのかたちと家族の変化

100 人いれば 100 通りの家族の形があるはず。本章では、多様な家族のあり方を考えるにあたり、社 会や個人にとって「家族」とはどんな存在であったのか、近代の家族が担ってきた機能を 9 つに分解して考える。

私たちは、一人ひとりが自分の価値観に沿った家族のかたちを選べることが望ましいと考えている。 前述のように、30年ほどの間にすでに家族のあり方は変化し、世帯構成員の平均人数は減少してきた。 一方で「家族」が担うことを期待されてきた役割への意識や責任感はそれほど変化しておらず、実際にはすでに担い手の外部化が進んでいる役割も含めて、負担あるいは負担「感」、もっと言えば「家族としての 役割を果たせていないという罪悪感」が相対的に増している。

「しあわせの象徴としての家族」のかたちを維持するために、その構成員がほかにやりたいことを諦め なければならないとしたら本末転倒といえる。家族が幸せな居場所であるためには、個人の幸福と重 なり合う家族のかたちを選べることが重要だ。

しかし、そんな「個人のわがまま」を認めてしまうと、社会秩序が保たれなくなるのではないか、子どもや高 齢者といった弱者の権利が守られなくなるのではないか、といった懸念を抱く人々もいるのではないだろうか。 では、そもそも、これまでの家族は社会や個人にして、どのような役割を期待され、担ってきたのだろうか。 その役割は、家族でなければ担えないものなのだろうか。これまで家族が担ってきた役割を、コミュニティや 公的サービスと分担することができれば、現在の家族が抱えている課題を解決するとともに、より多様な家 族のありかたの選択が可能になると考えられる。

本章では、近代の家族が社会や個人に対して担ってきた役割と、現代の実態とのギャップについて見て いきたい。 私たちは、過去の研究や文献を参考に 7、家族が担ってきた役割は、次のような 9 つの機能に分解で きると考えた。

1 性的機能 夫婦間の絆の醸成、子どもの父親とその養育責任の明確化)
2 生殖機能 夫婦間で子孫を残す
3 扶養機能 育児や介護(乳幼児、障碍者、高齢者への衣食住の提供)
4 経済的機能 生産(労働力の提供)と消費を行う
5 保護機能 社会的弱者(女性、子ども、病者)を守る
6 教育機能 子どもに教育を与え、社会に適応できる人間に育てる
7 宗教的機能 宗教や文化、倫理規範の継承
8 娯楽機能 余暇をともに楽しむ
9 ステータス付与機能 親の職業や地位、財産を子が引き継ぐ

これらの 9 つの機能の中には、すでに外部化が進み、もはやメインの担い手は家族ではないものもあれ ば、現代でも家族が重要な担い手となっている機能もある。

第二章では、それぞれの機能について、かつて担ってきた機能と現状のギャップを挙げ、家族になることを 阻む壁を壊したうえで、第三章において、家族でいることでのしかかる負担を軽減するようなアップデートの方向性を、TECH(技術)、POLICY(制度・ルール)、CULTURE(規範・文化)3つの視点から 検討する。

8 原典は米国の社会学者 タルコット・パーソンズ。

01 性的機能
近代において担ってきた役割
かつての性的機能は、生殖機能と強く結びついていたと考えられる。性的関係を男女 1 対 1 で構成さ れる夫婦間に限定して結ぶことにより、夫婦の情緒的な絆を深めるとともに、子どもの父親を明確にし、 血縁関係をベースとした家族にまつわる制度の根拠となった。

現代との GAP
「夫婦という特別な関係は 1 対 1 の男女間でのみ結ばれるもの」であり、かつ「性的関係を結ぶ相手 を夫婦に限定する」理由が、子どもの父親を明白にし、その養育責任を明確にするためであったとすれば、 DNA 鑑定などの技術の進歩により、少なくともその理由は希薄化したといえる。
また、とくに日本においてはセックスレスの夫婦が多いという調査結果が報告されており、セックスレスに悩 む夫婦についてはなんらかの解決策が必要とされていると同時に、性的関係を持たずとも深い絆や情で 結ばれている夫婦も存在していると考えられ、夫婦間の性的関係と情緒的な絆について一律に論じるこ とはできない。
また、「1 対 1 の男女」に限定されてない性的指向や恋愛観を持つ人々の存在が認知されるようになっ たが、男女であれば生涯のパートナーと定めた相手と法的に婚姻関係を結び、税制上の優遇や各種権 利を認められるのに対し、LGBT カップルや複数の人を愛するポリアモリと呼ばれる恋愛スタイルを選ぶ 人々は、法的な家族となることはできない。
性的機能と生殖機能が切り離されたと言える現代においては、性と家族のあり方の見直しが求められて いるのではないだろうか。

02 生殖機能
近代において担ってきた役割
諸外国と比較して、日本の非嫡出子の割合は戦後一貫して極端に低い。これは、日本においては昭 和から現在に至るまで、妊娠出産は結婚とセットで捉えられてきたためと考えられる。家族とは子どもを生 み育てる単位という側面があり、結婚して家族になれば子どもを持つものであったし、子どもができれば結 婚して家族になるものという暗黙の了解があったといえる。

現代との GAP
結婚しても子どもを持たない夫婦が増え、有配偶者出生率の減少傾向が続いている。意識的に子ど もを持たないことを選択するケースもあれば、身体的な制約等によって、子どもを持ちたくても持てないケー スもある。
後者については、働き方の変化、特に 20 代から 30 代にかけて社会で活躍する女性が増えたことで 晩婚化が進み、不妊治療を受けるカップルが増えているが、その精神的、身体的、経済的な負担は大き い。保険適用外の治療も多く、費用がかさむうえに、通院などのために仕事との両立が難しくなり、休職や離職をせざるを得ない場合もある。
一方で、諸外国と比較すると依然として割合は低いものの、非嫡出子の割合は上昇している。欧米 諸国における非嫡出子の割合の高さは、未婚での出産が社会的・文化的に容認されるようになり、嫡出 子と差のない制度的サポートが受けられることが背景にあるが、日本の場合、未婚での出産は離婚した ひとり親以上に厳しい視線にさらされることになりやすい。それでも子どもは欲しいが結婚はしたくないという 意見もあるが、女性の場合は未婚の母となる選択肢があるものの、男性の場合は未婚で子を持つことは 非常に難しい。
また、LGBT のカップルが世界的に認知されるようになったが、同性カップルの場合、ふたりの間に子ども をつくることは当然にはできない。しかし、代理母出産などにより、カップルの片方だけでも血のつながった子 どもを持つことを望む声もある。

03 扶養機能
近代において担ってきた役割
昭和・平成において、自立の難しい人々、具体的には幼い子どもや高齢者、障碍者のケアをするのは 家族の役割とされてきた。
子どもの衣食住の世話するのは両親や祖父母の役割であり、中でも昭和の半ばから平成にかけては 専業主婦が多数を占めていた母親がそのほとんどを担ってきた。体力面や認知面に不安の出てきた高齢 者は、大半が子どもや子ども夫婦、孫と同居し、家族、とくに「嫁」が中心となって身の回りの世話をした。 障碍者も医療など専門的なケアが必要な場合は専門機関を頼りつつも、日常生活の世話や看護は家 族が担ってきた 。

現代との GAP
少子高齢化、共働き世帯の増加、都市化、単独世帯の増加等に伴い、家族内における介護やケア の担い手が減少し、担い手の負担が増している。
三世代同居が減って、子どもの世話を両親のみで担うようになり、共働き世帯の増加により、その負担 はさらに重くなった。勤務中は子どもを保育園に預ける家庭が多く、その点では扶養機能の一部はすでに 外部化が進んでいるともいえるが、子どもの送迎のために勤務時間を短縮せざるを得なかったり、子どもの けがや病気で急な休みや早退を余儀なくされることもある。両親が別居でも近距離に住んでいれば保育 園の送迎や看護を分担することもできるが、生まれ育ったまちを離れて暮らす人々も多く、そうした世帯で は両親や肉親による日常的なサポートは期待できない。
また、平均寿命の延伸と健康寿命との乖離により、高齢者の介護の負担が重くなりつつある。仕事と 介護の両立が困難なことによる介護離職や、幼い子どもの世話と老親の介護を同時に行うダブルケアな どの課題が深刻化しつつあることに加え、高齢の夫婦同士の老々介護は、体力的な困難も大きい。子ど ものいない高齢者も増えつつあり、経済的に余裕があれば介護ケアサービスを利用することもできるが、経 済的に困窮している世帯の場合はそれも難しい。
職住分離により居住地域で過ごす時間は短くなり、地域共同体が希薄化したことも、各世帯を孤立 させ、それぞれの場面で担い手の負担を増している。さらに、8050 問題といわれる新しい課題も表面化 してくるなど、介護施設や保育園など公共サービスへの扶養機能の外部化は進みつつあるがまだ十分と は言えず、自立が困難な人々の扶養を家族が主体で担うことは、世帯構成員が減少する中、ますます 困難になったといえる。

04 経済的機能
近代において担ってきた役割
近代において家族が担ってきた経済的機能は、生産機能と消費機能に分けて考えることができる。家 族で営む自営業の場合は家族が直接生産活動に携わってきた。雇用労働者の増えた昭和半ば以降は、 主に夫が企業等で働き、妻は料理や洗濯といった家事に従事することで夫の労働力の維持・回復を担う というかたちで生産を支えてきた。
生活共同体として食費など日常生活にかかるさまざまな消費を共同で行うほか、家族で住む家やそこ で使用する家具や家電、家族が乗る車等を購入し、所有するなど、大型消費を家族単位で行うことも 多かった。

現代との GAP
共働き世帯の増加により、昭和の家族モデルでは妻が担ってきた料理や洗濯、掃除といった家事は、 夫婦で分担されるようになったほか、外食やクリーニング、家事代行サービスの利用へのアウトソーシングも 進められている。家族のメンバーによる家事機能の提供や、精神的サポートといった労働力の維持・回復 機能は従来と比較すると希薄化しているといえるが、共稼ぎにより世帯年収が増えるほか、夫婦のどちら か片方が離職などで収入を失った際のリスクヘッジにつながるなど、家族の経済力は強化されているともい える。
また、消費のあり方にも変化が見られる。若年層を中心に持ち家志向の低下が見られるほか、とくに公 共交通機関の発達した都市部において、車は所有するものから必要なときレンタルなどで利用するものへ 意識の変化が見られる9 。など、家族による共同消費という性質は変わらないものの、家族単位の大型消 費や資産の所有は抑制される傾向がある。
また、共稼ぎ化により、互いの収入から家計費を出し合い、残りは夫婦それぞれで管理するケースが増 加し、消費単位が家族から個人に細分化されている側面がある。

05 保護機能
近代において担ってきた役割
家族はそのメンバーを守る「保護機能」を備えてきた。犯罪の抑止や治安の維持については、地域コミュニティや警察等公的機関に負う部分も大きいが、最も各人に近い距離で互いの生命や財産を守るとと もに、災害や突発的な事象が発生した場合も、行政やコミュニティではアプローチできないレベルで家族が お互いに支えあうことでセーフティネットの基礎的な単位としての役割が期待されていた。

現代との GAP
保護機能の担い手としての家族の存在感は希薄化しつつある。 共働き世帯の増加に伴い、日中は家族全員が家を空けている住宅が多くなり、空き巣などに対する 防犯は、家族のメンバーではなく住宅の物理的な強化や民間の警備会社によって担われている。また、 遠距離通勤などにより家族がばらばらに過ごす時間が長くなったことで、地震などの災害時にお互いを支 え合うことが困難となっている。
日本では小学生になると保護者の付き添いなく子どもだけで通学するのが一般的だが、これは世界的 には珍しい光景であり、先進諸国でもスクールバスや保護者による送り迎えが行われていることが多い。子 どもがひとりで通学できるのは、日本の治安がよいこともあるが、子どもが歩いて通学できる範囲で校区が 設定され、校区内に居住する近隣住民には顔見知りが多く、地域コミュニティに見守られながら登下校で きるからという側面もある。しかし、地域コミュニティが希薄化していることに加え、私学への進学や塾通い による長距離通学が増えたことで、通学中の子どもの安全は確保しにくくなっていると考えられる。
このように、家族および住居を離れて過ごす時間が長くなっていることで、従来期待されてきた保護機 能を家族のメンバーが担うことは物理的に不可能な状況に陥っているといえる。

06 教育機能
近代において担ってきた役割
家族は、子どもを社会化し、将来生きていくための知識や学問を与える教育機能を担ってきた。日本 では古くから寺子屋が普及し、読み書きなどの学問は家庭外の教育機関で学ぶことが多かったが、何をど の程度学ぶかは、保護者の価値観や経済力、家業など家庭環境に負う部分が大きかったといえる。

現代との GAP
教育機会の均等を目指した公教育の充実によって、義務教育の就学率はほぼ 100%に達し、差別 化の源泉としての家庭内教育の重要性がかえって高まっている。公教育のみでは差別化ができない中、 学校外の教育(塾)によって差別化を図るようになっており、それだけの教育を与えるだけの家庭環境 (両親の価値観や経済力)があるかどうかが、子供が受ける教育量・質の格差につながっている。
また、時代の変化が加速化する中、教育する側である親の能力と教育される側である子供との間の 価値観やニーズのギャップが拡大しているという問題がある。令和時代の子どもたちを取り巻く状況に柔軟 に対応できるコンテンツを提供することが必要とされている。

07 宗教的機能
近代において担ってきた役割
これまで家族は、日本における伝統的な文化や行事、価値観を継承する役割を担ってきた。お宮参り やおせち料理、墓参りといった伝統はもともと宗教に基づくものが多く、親から子へ、子から孫へと家族の中 で受け継がれてきたものだった。家族のメンバーが亡くなるとそれぞれの信仰していた宗教に基づいて行わ れる葬式はその典型例である。それらの宗教的行事を通して、宗教心に基づく精神性や行動規範、倫 理観を家族間で共有し、継承するとともに、儀式や祭りを共同で行うことによって地域コミュニティの中に 共同体意識が醸成されていたと考えられる。

現代との GAP
現代日本においても宗教に由来する行事は数多くみられるが、現代の日本人の多くは明確な信仰を 持っておらず、それが宗教的なものであるということを意識することが少ない。信仰心をもつ人々や家族も もちろん存在するが、信仰の自由が保障されていることもあり、親から信仰心を受け継ぐことは少なくなって いると言える。
しかし、家族の構成員が死ぬと、多くの場合残されたメンバーは信仰心の有無にかかわらず、葬式を行 い、墓や仏壇の管理をする役割を担うこととなる。これらの宗教的行事は費用などが慣習として規定され ているケースが多く、宗教の影響力が相対的に低下している中、それらの行事の意義や費用負担に対し、 疑問を感じる人々が増えている。特に家制度と祖先信仰は繋がりが深く、祖先信仰に対する意識の違 いは家制度に対する意識の違いに繋がっている側面もある。
また、正月の過ごし方の変化(海外旅行や帰省をしないなど)や負担の軽減のため、おせち料理をつ くらない家庭が増えるなど、その地域や家庭に伝わる伝統料理や文化が失われつつある側面もある。
一方で、今日の VUCA な状況(経済格差、政治不信、終身雇用の崩壊など)の中、若者の間には 漠然とした不安感が広がっており、精神的な拠りどころを求める様子も見られる。 「幸せや豊かさの尺度」が物質的なものから精神的なものへと変化する中で、従来は宗教がその役割を 担ってきた「精神的な拠りどころとなる思想や価値観」の重要性が再び高まっていると考えられる。


08 娯楽的機能
近代の家族において担ってきた役割
近代において家族が担ってきた娯楽機能は、大きく二つの役割を果たしてきたと考えられる。
ひとつめは、家族間の絆を構築するためのコミュニケーション手段のひとつとしての娯楽機能である。余 暇をともに楽しむという共通体験を通して家族間の絆を深める役割を果たしてきたと考えられる。
ふたつめは、日々の生活における精神的休息をもたらす役割である。経済的生産的機能が「労働力 の再生産のための身体的な休息の場(衣食住を整える場)としての家庭」という役割を持つとすると、 娯楽機能は息抜きや気分転換やリフレッシュといった、精神的側面に作用する役割を持つ。

現代との GAP
職住分離と共働き世帯の増加により、夫婦および親が家庭で過ごす時間は短くなり、また昭和・平成 の受験競争の過熱や習い事の増加は、子どもの余暇を奪い、家族がともに余暇を過ごす時間をさらに短 くした。
テレビゲームやオンラインゲームなど、一人で楽しめる娯楽の充実は、精神的休息、リフレッシュに必ずし も家族との交流を必要としなくなった一方で、家族間の交流や会話の時間を減少させ、家族の絆の希薄 化や孤独、孤立を生み出している可能性がある。
また、要介護者や密度の高いケアの必要な乳幼児がいる家庭は社会から分断されて交流が家庭内に 閉じがちになるが、被介護者と介護者、子どもと養育者がともに楽しめるような娯楽が家庭の外にあれば、 外とのつながりを適度に保ち、負担の多い関係性からくるストレスを和らげることができるのではないかと考 えられる。

09 ステータス付与機能
近代の家族において担ってきた役割
家族は、親の階級や財産、価値観などを子に引き継ぐ機能を持ってきた。身分制度のあった時代には 身分を引き継ぎ、第一次産業を中心とする自営業が多数だった時代には、家業を引き継いできた。

現代との GAP
自営業の家族では家業の継承が引き続き行われているが、雇用労働者が増え、家業を継ぐという意 識は薄れつつある。子が家業とは別の職業を選択し、後継者の不在を理由とする廃業も増えている。
しかし、相続による財産の継承をはじめ、生まれた家庭の財産や価値観、生き方の前提や常識といっ たものは親から子に受け継がれる面が大きく、家族の持つステータス付与機能は消滅したとは言い難い。 両親は子どもにとってもっとも身近なロールモデルであり、両親の働き方や生き方、考え方が子どもに与え る影響は大きい。また、子どもの教育にどれだけ投資するかは、親の収入や価値観に依存する面が大きく、 格差の固定につながることが指摘されている。
ところが、約 30 年スパンで行われる世代継承に対し、現在の技術変革や社会の変化のスピードははる かに速く、親世代がロールモデルとして機能しなくなる面も出てきている。
こうした変化の中で、子ども世代にとっては、ロールモデルを多様化し、親の収入や価値観に縛られない 選択肢を開くと同時に、親世代にとっても事業や財産を自分の子ども以外に引き継げるようなアップデー ト策が必要とされていると考えられる。

第3章 多様な幸福の実現に向けて

第二章において、家族が伝統的に担ってきたとされる9つの機能について、近代において家族が果たし てきた役割と現代の社会・経済事情とのギャップを確認した。ここで明らかになったのは、9つの役割それ ぞれが、①もはや家族だけでは担いきれなくなっている(扶養機能、保護機能など)、②家族だけが担う べきではなくなっている(教育、ステータス付与機能など)、③家族だけで担う必要がなくなっている(性的 機能、娯楽機能など)など、家族との関係で何らかの変更を迫られているということである。

また、一般名詞として当然のように受け入れている「家族」という共同体は、社会情勢やテクノロジーの 変化に応じて少しずつその機能を変化させてきていることも分かった。実際、家族がこれまで担ってきた役 割の一部は、すでに公共サービスや民間のサービスによって代替されているのであり、家族の役割は相対 的に小さくなってきているとも考えられる。

一方、社会情勢やテクノロジーの変化に合わせて、日本を取り巻く価値観は等しく変わってきたと言える のだろうか。「奥さんを養ってこそ一人前」「親の面倒は子供が見るべきだ」「男性と女性が結婚して子供を 産むことが何よりも大事」といった意見は、現在でも多くの人々が一度は耳にしたことがあるだろう。こうした 認識のギャップが、ミレニアル世代のもつ違和感として顕在化していることは、第一章で詳しく述べたとおり である。

また、昭和の時代に多数派だった価値観を前提として、様々な社会制度が作られてきたことも見過ご せない。社会が、制度が、過去の時代にあるべきだった家族像を描いている。そうして出来上がった、現在 の社会情勢とそぐわない「しあわせの象徴としての家族」に縛られてしまうことによって、かえって苦しむ人が 生まれてしまっている。様々な選択肢が用意され、幸福が多様化している今の時代において必要なこと は、あるべき家族のかたちをあらかじめ決めつけることではなく、それぞれが選択する家族のかたちを、 優劣なくフラットに認め合う社会にしていくことではないだろうか。 本章では、そうした令和時代の家族のあり方を考えるうえで有益だと考える2つの視点を提供したい。

視点1 社会のために存在する家族から、「家族」のために存在する社会へ

第一は、社会のために存在する家族から、「家族」のために存在する社会へと転換する必要があるので はないか、言い換えれば、社会のための家族、家族のための個人というベクトルから、個人のための 「家族」、「家族」のための社会というベクトルへと切り替えるべきではないか、という視点である。

家族制度の歴史を振り返ったとき、政府が想定する標準的な家族モデルを前提として、様々な制度が 設計されていることが分かる。特に介護や子育ては、現代においてもなお家族がその中心的なサービスの 提供主体として位置付けられており、家族という存在ありきで成り立つ仕組みになっている。

もちろん、これはこれでメリットがあった。画一的な家族像を国家が描くことによって、より効率的な行政 運営を可能としていた側面もあるだろう。子供がいて、犬を飼い、車を持ち、電化製品に囲まれた郊外暮 らしを誰しもが憧れた時代もあった。特に大量生産・大量消費時代においては、行政だけでなく企業もマ ーケティングの一環として画一的な家族像を人工的に作っていた側面は否めない10。

しかし、今や人々の暮らしははるかに多様化している。さらに、テクノロジーが発展し、個人の取り巻く社 会・経済的状況を捕捉できるようになった今、行政は画一的なサービス提供者ではなく、一人ひとりに最 適なサービスを提供する主体へと進化しようとしている。全体最適から個別最適へのシフトが始まっている のである。

また、育児放棄や介護疲れといったキーワードが注目を集めているように、これまで家族が担ってきた機 能をそのままの形で家族が担うことができなくなってきた今、かつては家族の中で守られていた子供や高齢 者といった相対的に弱い立場にいる人々が、深刻な環境に置かれていることも事実である。

このように、社会・経済的変化に伴い、もはや家族はこれまで通りの機能を果たすことはできなくなって いる。それにもかかわらず、個人は家族のために存在すると考え続けることは、個人の我慢と忍耐によ ってかろうじて成り立つ家族を量産するだけであり、家族の負担を軽減させるどころか、社会的、構造 的な問題から目を背けることにもなってしまう

このままでは、いつまで経っても、家族のあり方と制度や価値観のギャップは埋まることがない。ミレニアル 世代の感じる家族に対する違和感を払しょくし、昭和時代の「しあわせの象徴としての家族」という呪縛を ほどくためには、家族のために存在する個人から、個人のために存在する家族へと考え方のベクトルをドラ スティックに転換しなければならない。そのためには、
テクノロジーや制度のイノベーション、地縁・血縁関 係に代わる新たな繋がりを通じて、家族のネガティブな側面をできる限り取り払うことが必要になってくる

そんなことができるのだろうかと疑問に思うかもしれない。しかし希望はある。第二章において私たちは、 家族が当然のように果たしていると考えられていた機能も、時代の変遷に伴ってその形を変えてきているこ とを知った。つまり、家族が普遍的に担うべきだと思われていた役割ですら、最新のテクノロジーや情勢を 踏まえながら、我々は少しずつ変化させてきていたのである。実際、現在一般的に考えられている家族の 姿は、いわゆる「近代家族」であって、決して古くからずっと続いてきたものではない。

例えば、江戸時代の離婚率は現在より高く、人口 1,000 人当たり 4.8 件が離婚していたと言われて いる(平成 29 年では 1.7 件)11。

10 三浦 展,「家族」と「幸福」の戦後史, 講談社(1999)第6章
11 家庭問題情報誌ふぁみりお. Vol75, 公益社団法人家庭問題情報センター(2018)。同誌によると、「戸時 代の離婚率は「宗門人別改帳」によると 4.8 程度であったという調査結果もあり、この数字は現在の世界 離婚率ランキングで最も高いロシアの 4.50 を上回る数値とのこと。その要因は、江戸時代の結婚観とし て、夫婦は一生涯添い遂げなければならないといった意識が希薄であったこと、離婚に寛容で永続的結婚 観がそれほど強くなかったこと、いわゆる三行半(みくだりはん)と呼ばれる離縁状(縁切り状)を相手 に交付することで簡単に離婚が成立したため離婚を容易にしたことなどが挙げられている。

ここには、江戸時代の結婚観として、夫婦は一生涯添い遂げなければならないといった意識が希薄であったことなどが要因としてあった。女性の役割についても、もともと欧 米に比べても女性の労働力率が高かった日本では、いわゆる主婦になる人数も、戦前より戦後の方が多 いと言われている12。。しかも、主婦といっても、一定の所得があった世帯は女中を雇ったり、親族ネットワー クを活用したりしており、現代のように女性があらゆる家事や育児を一人で担っている時代は過去になかっ たと言ってよい。さらに、子供についても、江戸時代には全戸中3割程度が養子を受け入れていたこと13、 そもそも近代化以前では生涯独身率も高く、一割以上の男女が生涯結婚しなかったことなどが知られて いる14。このように、家族の形は時代を通じて大きく変わってきているのである。

これは決して過去に限った話ではない。近年でも、現行の家族に関する制度について、様々な議論が 展開されていることも紹介しておきたい。最近では、多くの地方公共団体が同性パートナーシップを独自 に設けていることは記憶に新しい15。国レベルではすぐに進められない制度を、柔軟性の高い地方公共団 体が先んじて整備している好例である。また、先日とある著名人が、事実婚のパートナーの相続権を発 生させるため、遺言を作成していることを明らかにした16。。これは、民法上の相続権が婚姻関係のある夫 婦にしか適用されないことから、制度上の制約を乗り越えるために行われたものだとされている。ほかにも、 徳島県が二地域居住者やリモートワークなどの方向けに、デュアルスクールという仕組みを導入した17。。こ れは、住民票を異動させることなく、都市圏の小中学生が徳島県内の公立小中学校で学ぶことができる という、現代の働き方に合わせた極めてイノベーティブな仕組みである。

このように、家族について新たな論点が提起され始めているとともに、制度や文化を変えていこうとする動 きが少しずつ生まれ始めている。私たちは、第一章でも紹介した自分たちが感じている家族に対する違和 感を正面から受け止め、社会を変えていく流れを作っていくべきではないだろうか。

12 落合恵美子, 21 世紀家族へ―家族の戦後体制の見かた・超えかた, 有斐閣(2014), p17-20
13 磯田 道史, 武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新, 新潮新書(2004)
14 落合恵美子, 21 世紀家族へ―家族の戦後体制の見かた・超えかた, 有斐閣(2014), p73
15 2015 年 11 月に渋谷区・世田谷区が自治体パートナーシップ制度を創設。以降全国の自治体に運動が拡 散し、2020 年 3 月時点では 34 の自治体が同様の制度が導入されている。
16 デイリースポーツによると、「俳優・坂上忍が29日、MCを務めるフジテレビ系「バイキングMORE」で、交際中の女性との関係について「事実婚」だと考えていること、また、パートナーが坂上の相続 をするという遺言書(公正証書)を作っていることを明かした。」とされている。 17 徳島県, 地方と都市を結ぶ新しい学校のかたち「デュアルスクール」 https://www.pref.tokushima.lg.jp/ippannokata/kyoiku/gakkokyoiku/2016080900084

実際、社会を変えようと挑戦する数多くのスタートアップが登場している。硬直化した行政の針を少しで も前に進めようともがく官僚がいる。これらの技術や知見を駆使し、少しでも家族を自分の幸せのための 場所とすることができるよう多様なサービスを生み出し、必要な人に届けられる制度を作るとともに、積極的にアクセスしてもらえるような文化を醸成することが必要ではないだろうか。また、家族の世話は家 族がするべきといった社会から切り離された家族ではなく、友人や知人、共同生活者、家族同士が必要 なヘルプを互いに気軽に求めることのできる、なめらかに社会とつながる「家族」を作っていくことも重要である。

言ってしまえば、民間サービスや友人・知人関係を含めた広い社会的ネットワークの一構成要素とし て家族を捉え直す「家族の相対化」が求められているのではないか。こうして生まれた豊富な選択肢が、 家族を家族から解き放つ鍵となると考える。

ここでは、第二章で取り上げた機能の中で、今後の更なるアップデートが期待される分野について、 PMI が考える PTC(Policy,。Tech,。Culture)の観点から検討したい。

Technology(例)
・離れた家族のための留守番ロボットや遠隔見守りサービスなどのテクノロジーの進展
・子育てシェアの普及やそのための信頼・信用の可視化
・ロボット(Oly)、介護ロボット、ケアロボット、GPS アプリ、ウェアラブル端末、遠隔 操縦型車椅子、電子連結型車椅子など、要介護者とともに過ごす家族の負担を軽減する ためのテクノロジーの進展
・家族同士が繋がり合い、支え合うためのツールの拡充
・スマホやインターネットを介した教育コンテンツの拡充
・多様なロールモデルとのマッチングのためのツールの拡充

Policy(例)
・災害時における GPS 端末を活用した要支援者の特定や、SNS やビッグデータ解析を用い た迅速な状況把握
・オンライン教育環境の充実 
・介護者向けテクノロジーの試験的導入や支援制度の拡充
・支援を必要とする家族が繋がり合うための場の提供
・ベビーシッターに関する研修や資格制度の普及促進

Culture(例)
・親による子供の位置情報追跡や第三者による子供の監視に関する論点の整理
・政府による要介護者の情報の把握に関する論点の整理
・ロボットやテクノロジーによる介護に対する抵抗の軽減
・ホームスクーリング、不登校等多様な教育のあり方に対する周囲の受け入れ

これらはあくまで一例である。家族の負担を支え合い、軽減するサービスは、少子高齢化の時代のなか で非常に重要なテーマの一つになるであろう。家族になることが負担にならない時代をいかに実現するかー これからを生きるミレニアル世代の挑戦が期待されている。

視点2 「普通の家族」というスタンダードがない状態をスタンダードに

2つ目の視点は、より多様な家族のあり方への受容度を上げていく必要があるのではないか、という視 点である。

わが国では伝統的に、個人よりも家や家族といった単位が重視されてきたが、現代においてもその傾向 は依然として見受けられる。例えば、生活保護の受給においては、保護の必要性や程度について、基本 的に世帯を単位として判断することしている。また、新型コロナウイルス対策の際の特別定額給付金のように、各種定額給付金の申請・受給手続きも世帯単位としている場合が多い。

しかし、共働き世帯が増加し、7 割に迫ろうとしている現在において、今なお多くの制度において家族や 世帯を単位としていることは、果たして妥当なのだろうか。家計を支える男性と家を支える女性から成る伝 統的な家父長制の家族モデルが姿を消しつつあるなかで、今なお「世帯主」という概念を法律が真正面 から認めていることは妥当なのだろうか。誰もが等しく権利を有すると言われている時代において、 LGBTQ+の人たちの結婚が認められないのは妥当なのだろうか。

このように、家族のあり方そのものは経済・社会的変化の中で少しずつ変わってきているにも関わらず、 その定義や構成は制度によって実質的固められてしまっている。もちろん、伝統的な家族モデルのなかで 幸せに暮らしている人がいる以上、伝統的な家族モデルだからと言って否定されるべきではないことは明ら かである。

むしろ問題は、制度が定義した家族像を「普通の家族」像として捉えた結果、実際には様々な形態の 家族が存在するにもかかわらず、制度が変わらないことによってある特定の家族像だけが正解だという思い 込みが出来上がってしまい、その狭間で苦しむ人々を生み出してしまうことである。大切なことは、正解とされるべき家族像があるわけではなく、伝統的な家族像でも、新しい家族像でも、一人ひとりが自分 にとって理想的な家族の形を実現でき、その選択によって批判されたり不利な扱いを受けたりすること がない状態を作りだすことだと考える。

では、私たちは、これからの家族というものをどう捉えていけばいいのか。 この点について、家族といっても個人と個人が互いに何らかの意図や目的をもって繋がり合った共同体 である以上、家族を考えるうえで重要な視点は、社会の要請や政府の定義ではなく、当人同士がど のように家族を捉え、どのような家族を作りたいと願うかではないだろうか。同性によるパートナーシップ の例も生まれてきた。シェアハウスで複数の夫婦がともに暮らす生活スタイルもある。どういった義務を家族か持つかも、どういった関係性を築くかも、人によって様々である。その在り方を国家や制度が画一的に規 定すること自体がそもそも困難になってきている。言い換えると、もはや決まりきった家族の形というものは 存在しないという前提に立った制度設計に切り替えるタイミングなのではないだろうか。

もちろん、子供や高齢者といった社会的に保護が必要な立場の人々をどのように守っていくかという視点 は欠かせない。いくら家族が個人と個人の自由な繋がり合いだからと言って、生まれた子供を自由に遺棄 していいという結論に至らないことは明白である。

しかし子供や高齢者を一義的にケアする人間が常に親や子供であるべきかと言えば、必ずしもそうでは ない。親族や地域社会、血縁関係にはないけれどもともに暮らすシェアメイトが主な養育者になることもあ れば、産みの親が常に親権者であることが、子供にとって望ましいとも限らない。また、教育という観点から も、世代の離れた親の価値観を引き継ぐことが最適な結果をもたらすとも限らない以上、むしろ自分にとっ て最適なロールモデルを見つける支援をした方が子供にとって望ましい結果につながる可能性もある。

こうした前提に立ったとき、現行制度における様々な違和感が浮かび上がってくる。多様な家族という観 点からは、異性間の婚姻しか認められないことはもちろん、夫婦が同性になるべきという主張にも、背後に は伝統的な家制度が存在していることが浮かび上がる。むしろ、結婚を個人と個人の主体的な繋がりだ と捉えなおした時、例えばパートナーで全く新しい苗字を創るといった議論も生まれてきていいのではないだ ろうか。

また、所得の捉え方も変わってくることが想定される。生活保護のように財産を世帯単位で把握するの ではなく、あくまでその構成員一人ひとりの財産として把握する方法も考えられる。離婚時の財産分与に ついても、現在では原則財産は夫婦双方に平等に分配されるが、もはやそれも常に妥当とは言えなくな るかもしれない。これらはまさに家族・世帯単位だった制度を個人単位の制度に改めることを意味してお り、決まりきった家族の形というものは存在しないという前提に立った制度設計の一つのあり方だと思われ る。

以下では、視点1と同様、第二章で取り上げた機能の一部について PTC(Policy,。Tech,。Culture) の観点から検討する。

Technology(例)
・様々な家族の過ごし方を支援するツールの拡充
・LGBTQ+を含む様々な人が、安心して活用し、理想的なパートナーを見つけることがで きるアプリの拡大
・生殖のタイミングやニーズに応じた自己決定権を拡充する生殖技術の進化 ・リモートワークのための技術革新

Policy(例)
・世帯要件、婚姻要件の見直し
・性別によらない結婚制度の実現
・公的サービスにおける婚姻要件の緩和
・シングルで育児を行う人への社会的支援の拡充
・自己決定権を進めていくための生殖医療に関する制度や補助の拡充
・デュアルスクール制度の普及
・リモートワーク促進のための支援

Culture(例)
・多様な家族のあり方があるという認知の拡大
・生殖医療(特に精子バンクやサロガシー等)に関する倫理面での国民的議論の実施

このように、実は家族をどのように捉えるかは、規範や文化的な側面を持ちつつ我々の生活を知らず知ら ずのうちに規定していたのである。だからこそ、時代に合った規範や文化にアップデートしていくためには、家 族とは何かという問いを、我々世代がもう一度考えていかなければならないのである。

終章 未来を創る仲間たちへ

一般社団法人 Public。Meets。Innovation(パブリックミーツイノベーション)(東京都 千代田区) は、次の 50 年の当事者であるミレニアル世代を中心とした国家公務員、弁護士、ロビイストらが、イノベ ーターらと協働し、社会のイノベーションを目指していく官民コミュニティである。

正解のない時代の道しるべとなる思想・価値観を提示するとともに、ひとりひとりがその実現に向けた主 役となれるよう、政策、テクノロジー、文化・社会規範といったルールの在り方を一緒に考え、世の中に発 信していくことを通じて、未来へとつながる「今」を変えていくことを目的としている。

私たちにとってイノベーションとは、革新的なテクノロジーや新しいビジネスモデルのみを指すのではなく、制度やルールメイキングのあり方、文化や規範、個人の生き方や価値観に変革をもたらす概念であり、イ ノベーターとは、起業家のみならず、公務員、政治家、個人事業主なども含む、専門分野や職種にかかわらず、固定化された社会をアップデートしていこうと取り組む人だと定義している。

本ペーパーは、ミレニアル世代のメンバーが集まって議論していた時に出てきた「社会は変わってきている のに、家族ってあまり変わっている実感がないよね」という素朴な疑問からスタートした。調べれば調べるほ ど、さまざまな価値観があるだけに、まさに PMI が考える Policy、Tech、Culture が複雑に絡み合い、 新たな方向性を示す難しさを実感したテーマであった。

しかし、「家族」のみならず、あらゆる事象においてその前提が失われていく時代の最中に私たちは生きて いる。当たり前だと信じられてきた「幸せや豊かさ」の指標や経済・社会のモデルを根本から問い直し、思 い込みや慣習に縛られず、多様な幸福の実現に向けて必要な変化を受け入れられる社会(行政、 人々の価値観)に変えていく必要があるのではないか。50 年後の未来の礎をつくる当事者であるミレニ アル世代にとって、現在からの積み上げではなく、明確な未来のビジョンから逆算した青写真が必要では ないか。そうした信念に支えられ、2 年の歳月にわたり、各分野で活躍するイノベーターたちと議論を重ね てきた結果が、このペーパーには凝縮されている。

社会をアップデートしていこうとするイノベーターたちへ

このペーパーを通じて私たちは、未来は人が作っていくものだという当たり前の事実を改めて認識した。 また、Policy も Tech も Culture も、お互いがお互いに複雑に繋がりあって社会を構成しているの であり、そのいずれが欠けても社会を前進させていくことが難しいということも知った。

社会構造の転換は常に技術革新と表裏一体である。スタートアップをはじめとした起業家のイノベータ ー、技術者、アカデミアといった人々は、まさに Tech の観点からこの社会を前進させていくことができる。 また、価値観の転換の背景には、数えきれないほど多くの社会運動と声を上げ続けた人々がいた。

Culture をアップデートしていくノウハウを誰よりもよく知っている NPO、メディア、ロビイストといった人々の 力を、硬直化した今の日本はこれまで以上に必要としている。

そして Policyを担う人々へ。変化そのものは目的ではないけれど、社会の発達によって制度や運用の 前提は大きく変わる。常識を見直し、時代の流れを敏感に感じ取り、官民の垣根を越えて、柔軟に最適 解を見つけていくことが Policy には求められている。制度が社会を広く覆いつくす今、Policy を担う公務 員や政治家といった人々を抜きにして、イノベーションを語ることはできない。

2020年新型コロナウイルス感染拡大にはじまる未曾有の危機のみならず、正解のない時代を生きて いく上で、問いそのものを分かち合い、新しい社会のあり方を体現するイノベーションを生み出していく、そ の中心にミレニアル世代の活躍があると私たちは信じている。

【団体概要】
名称:一般社団法人Public Meets Innovation
代表理事:石山アンジュ
設立日:2018年10月1日
住所:東京都渋谷区

【公式HP】
公式HP:https://pmi.or.jp/


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