私のためにしてくれたことが嫌だった

「私のためにしてくれたことが嫌だった」ということを、しっくりくる形で言語化できずにいたから結局伝えないまま離れてしまった人がいる。
今なら書けるかもしれないと思って記録するだけで、別にその人に届けたいわけではない。届かなくていいけれど、どこかで、届いてもいいとも思っている。

私は私の周りにいる人をすぐ好きになる。その人たちが何かをしてくれたからではなく、出逢って、ただ側にいたというだけであり、私が好きだと思うから好きなのだ。
反対に、私は人を嫌うことがまずない。その人が私に何か嫌なことをしても、私はその行為が嫌なだけであり、その人を嫌うのには結びつかない。
だから、相手が私の好きな行為をしようが嫌な行為をしようが、相手自身の好き嫌いにはまったく関わらない。もう一度言うが、出逢って側にいたことがあるという事実が私にその人を好きだと思わせるのだ。

基本的に、誰かが何かをしてくれることはありがたいし嬉しい。だけど、ひとりだけそれをされて嫌だった人がいる。
当時私は、もやもやの正体すら分からなかった。普段はされて嬉しいことを嫌だと思っていたということに気がつかなかったから。
今になってようやく少し整理できて、他の人と何が違ったんだろうと考えていた。
おそらく、「そこに明確に私と相手が存在していたから」だと思っている。
私は母にいろいろなことをしてもらっていると思っているが、母から、「私」のためにこれだけしてあげている、といった雰囲気を感じたことはない。思ってはいるのかもしれない。けれどそれが表面化されたことはない。
同じように、誰かに何かをしてもらったとき、相手から「してあげている」と感じたことはない。私がそう思い込んでいるだけかもしれないけれど。
冒頭の唯一の人からは、それを感じてしまった。本人がそう思っていたか否かはどうでもよく、ただ私が、「あなた」のために「自分」はこれをやった、と言っているように感じてしまったというだけの話。

きちんとそれが嫌だと言えればよかったなと思う。
でもあのとき言えなかったから私はこの考えをすることができたとも思う。
これで私は、いつかまた同じことが起きたとき、今度はきちんと嫌だと言うことができる。
過去は現在に繋がっていて、未来に繋がっているのだ。

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