人を好きになるとは

最近、よく考える。
何故私はあれほどフレディーが好きだったのか。
私から好きになる男のタイプには共通点がある。
その前に、私が一番最初に感動した映画の話をする。
そう、小学3年生の時に家の白黒テレビで見た
「道」である。
フェリディコフェリーニ。
そんな事は当時は欠片も知らず、
ただ、ただ、
ジェルソミーナの健気さ、
彼女を失ってから気付くザンパノ。
二人を思い、テレビの前で号泣した。
意地の悪い母と姉を持つ私は、
それまでテレビを見て家族の前で泣くなど死んでもしない子供だった。
そんな事をしようものなら大爆笑される。ええ、大阪の庶民家庭。
しかし、笑われてもどうでも良いくらい泣けて泣けて、
我慢できなかった。物心ついてから初の号泣。
最初は笑っていた母親も見かねてタオルを「バシッ」と投げてくれた。
ボクシングなら「降参」である。
その時初めて「人を愛するとは」という事を
少し学んだのかもしれない。
その後、フレディしかり、
私が人を好きになるのは何時も
「一目ぼれ(フレディは一耳ぼれ)」であった。
頭の中で鐘がなるように好きになる。
大学生の時も、社会人になった後も、
滅多に遭遇しないが、鐘が鳴り響く。
そしてその相手に後から家庭環境を聞くと、
「小さい頃に母親と別れた」男達なのだ。
そう。どうやら私は無意識に
「母を求めている男」に弱い様である。
その手の男に共通するのは、
非常に魅力的で人を惹きつける能力を身に着けている点だ。
人に愛される事を求め、でも愛を信じられない。
めんどくさいタイプ。
でも、求める気持ちは人一倍強いので、それが「目」にでる。
目が語っている気がする。だから一目ぼれなのだ。
相手を探るような寂しい、悲しい目をしている。
その男達はよく言う。
「君は僕を好きじゃなくなる。」
超~~~うっぜ~~
でも、そういうところも好きなのだ。
しかし、それは私だけが感じる魅力なのかもしれない。
その手の男達は他の女子からは「変な人」
とよく表現され、非常に興味はあるが、
自分からは絶対に手を出さないタイプに分類されていた。
私は他の女より母性が強いのかもしれない。
しかし、その手の男との恋愛は上手く行かない。
彼らは自分が追いかけるタイプの女が好きなのだ。
ひどい仕打ちを受けても縋りつく。
私と真逆のタイプの女。
結局、無意識に自分を捨てた母親を求めているのかもしれない。
そしてまた、捨てられる。
かくゆう私も私を好きになってくれる男には興味を持てなかった。
エンドレスサイクル。
まあ、人を好きになる?恋とは自分の人生経験から張り巡らされた
脳神経の伝達により発生する独りよがりの「仮想」だから、
仕方ない。その「仮想」も最近はとんと発生しない。

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