かわせみ亭コラム#7
日本人における強烈な平等感
日本人におけるその所属階層を越えた強烈な平等感はどこからきたのであろうか。例えば、金持ちだからといって威張るなとか、横柄な役人の態度は常に非難の的とされることや、貧困であるがことを理由に他人から卑下侮辱されることを許さない態度は、いまでも広く一般的に日本人の共通の心情的な態度である。
日本人は、その共同体に対する絶対的な生存の保障という信頼感を基底にして、共同体の各階層における応分の義務を果たすこと、すなわちその絶対的相互義務の履行を果たさなければ、その共同体の上下ともども滅びるということを歴史的な体験に学んできた。その結果、地位身分の上下を問わず、それぞれ応分の義務を果たすべきだという強烈な平等感を育成してきた。それゆえに、応分の相互義務を果たさない専横独裁的なリーダーは必ず罷免、排除されてきた歴史をもつ。
さらにまたこの強い平等感は、上古から続く信仰である神道によっても育成され続けてきたものと思われる。すなわちその共同体に対する絶対的な信頼感や死んだ人々はすべて神になるという信仰は、生きている人々においてもある種の平等感というものを植え付けたものと思われる。光かがやく太陽の神を筆頭に、清冽な命の水をもたらす山岳の神々、種々の実りをもたらす田畑の神々、あらゆる恩恵をもたらすその他の多くの神々の前には、死んでしまった者たちも、いまを生きている者たちも、ひいてはあらゆる命あるものも、すべて平等であったのであろう。
日本の神々の前に、すなわち日本人の死んだ全ての祖先の前には、みな平等であるという信仰は、過去においてもまた現代においても、その社会の階層構造を越えて厳然とした全ての日本人がもつ生存の権利に関する平等意識の原点でもあろう。
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