孤立分断されると日本人は幼弱化する

(かわせみ亭コラム#10)
 オリンピックに限らず、水泳や体操、その他の競技において日本人が得意とし多くのメダルを獲得しているのは団体競技であり、個人戦においてはなかなか活躍できない。
 戦後の高度経済成長も集団の力の結集で達成された。日本製品の品質改善に大きな貢献をしたQCサークルも、多数の企業における新製品の創造もみな集団の力の結集のたまものであった。
 日本人は昔から集団の中で生きるのは得意であるが、集団から切り離されて個人となると極端にその幼弱性を露呈してしまう。これは古くからの日本人の生活が集団による農業および漁業を中心に「ムラ」という運命共同体において営まれ、なによりもその集団の結束が最優先の掟となり、個人はそれに力を結集することを第一番の義務とされてきたせいなのかも知れない。聖徳太子の時代以来、なによりも「和を以って尊しとなす」であった。
 日本の現在の状況は、「孤立化」の時代である。これほど個々人が分断され孤立化している時代は過去の歴史上も余りなかったように思える。個人のみならず、多くの企業体、共同体、役所群などもそれぞれ孤立化してしまい、国としての統一的・共通的な目標を見失ってしまい、てんでに勝手に飽くなき自己の利益追求に暴走しているように思われる。個々の人々や個々の企業が孤立化した場合、それらが生き延びるために最も必要とされる性格特徴は、自立性あるいは自律性だと思われる。定住地をもたずに大陸の大平原を渡り歩いてきた狩猟放牧民族である欧米諸国の人々は、いやがおうでも、単独でも生き延びるためには、自主・自立・独立の精神を必要としてきた。またそのような適性をもったものたちだけが生き延びられたと言ってもいいのであろう。それに対して日本人はどうであろうか。

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