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かわせみ亭コラム#1

「する」と「なる」~成功/失敗プロジェクトのパターン
「する」という言葉は「意図的に行動する」ことを意味し、「なる」は「人為的ではなく自然の力で変化する」ことを意味している。
 日本の社会における物事を考えるときの基本的な思考として、意図的なことや恣意的なことを嫌う傾向があり、「いかにもそれらしく作られた物」よりも「自然にそうなったような物」をより好む傾向が強い。
 例えば盆栽や日本庭園はその代表的なもので、それらは決して自然にそうなったものではなく、多くの人手や細心の注意が長年にわたって払われてきたにもかかわらず、いかにも自然にそうなったかのような風情をたたえている。 現在においても、最高の物と日本人が評価するものはみなそのようであり、人の作為が表面に出ているような物は下品だとされる。意図や作為は決して表面に出てはならないというのが多くの日本人の美的感覚なのだと言える。

 この「する」と「なる」について山本七平はその著書の中で次のように述べている。「日本人の社会には、自然、不自然という探求しにくい規定がある。われわれは不自然はきらいで、すべて自然でなくてはいけない。これが日本文化の探索で少々困る点だが、それでいてこれはいわば基本的概念なのである。・・・では『自然とは何なのか』。・・・この「自然」とは、日本的自然法というようなものであろう――もっとも「法」といえるかどうかは問題だが、法ないしは秩序意識であり、伝統的な行き方であり、共通する社会的な方式がある。だがそれも明確ではない。要するに人間は自然であればよろしく、『花は紅、柳は緑』などという言い方で説明する。ごく自然にそうなるのであり、どうせなるのなら、なるにきまっているようにしたらよく、作為の積み重ねで何かを『する』のはよくないという意識である。『する』より『なる』、これがおそらく『自然』という意識であろう。」
(「日本人的発想と政治文化」、p204「自然」「不自然」の文化、p207「する」より「なる」という意識、日本書籍社刊)

 この「する」と「なる」という概念はわたしたちのソフトウェア開発においても重要な意味を持っている。開発の工程をこの「する」と「なる」という概念でみた場合どうなるだろうか。
 結論を先に言えば、「する」が先行し「なる」が後に続く仕事は成功が多く、「なる」が先行し「する」が後に続く仕事は失敗が多いと言える。

 成功プロジェクトにおける先行する「する」とは、開発開始の前段階において強い意図のもとに基幹仕様の早期凍結およびそれに従った妥当な見積りによって必要な体制の準備や開発資金や期間を確保しておくことを意味し、「なる」とは、設計工程以降はすでに確定した要求仕様に基づいてたんたんと開発作業を進めていくことを意味している。

 その反対に、失敗プロジェクトにおける先行する「なる」とは、開発開始の前段階において顧客との交渉を意図的に強力にすすめることもせず、なりゆきまかせ的に流した結果、仕様は膨らみ、資金も期間も不十分な状態に陥り、間違いや不具合の修正などの不本意な「する」と言うよりも「せざるを得ない」状態に追い込まれ、最後は修正もテストも不十分なままの製品をタイムリミットの期日に無理やり出荷してしまうという事態を招いている。 なすべき時になすべき事を、すなわち開発の初期の段階において要求仕様を早期凍結し、妥当な見積りによって必要な開発期間および開発費を獲得していさえすれば、開発そのものはスムーズに進行し、品質・コストおよび納期の目標は自然に達成される可能性が非常に高い。
 一方、開発初期の段階においてなすべき事を実行せず、要求仕様の強い凍結意識もなく、なるがままに流されてしまった場合は二転三転する要求仕様に振り回され、想定に基づいて事前着手した設計・製造に多くの手戻りやバグを発生させてしまい、仕様未凍結状態で見積もった想定開発期間および開発費は大幅に超過してしまい、不良品をリリースしてしまうハメに陥る。
 これが成功プロジェクトと失敗プロジェクトの代表的なパターンである。

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