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新喜劇さん (84)


悲しみを明るく唄うのがロックンロールだと、誰かが言っていたのをいつぞや何処からか聞いて、深く感銘を受けたのが記憶にある。いや記憶だけでなく、何らかが心の芯に刺さっている。では落語は何なのか。時にはリアリティを求め、時にはファンタジーを求め、頭の中で現実と空想を行き来している。作り話をしているはずなのに、そこにリアリティがないと味気ないものになる。むしろ作り話だからこそリアリティが必要なのかもしれない。

”落語は人間の業の肯定である”
             〜立川談志〜

確かに師談志の落語は凄まじく、まさに業の肯定だった。しかし落語も多様化している。全てが業の肯定ではなくなっていると感じる。業の肯定でなくてはいけないと、業の肯定の服を着て、業の肯定の顔をしていた落語達は、今は各々の思う自由な服を着て歩いている。結果、落語は〇〇であると言いきれなくなった。業の肯定も含めるが落語は自由だ、となった。ロックンロールもそうかもしれない。悲しみを明るく唄うだけではなく、それもあるしこれもあるのがロックンロールだ、となるのかもしれない。

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この連載は±3落語会事務局のウェブサイトにて掲載されているものです。 https://pm3rakugo.jimdofree.com