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ヤンキー漫画について

はじめに

先に言っておくが、今の若いオタクの子はヤンキー漫画を読まない。
これはオレ独自のルートを駆使して100名以上の10代のオタクから採ったデータに基づいている。
驚いたね。
お前ら異世界転生だのチート主人公だの大好きなクセに、この地上にある異世界たるヤンキー漫画の世界に足を一歩も踏み入れないなんて……食わず嫌いにもほどがある。

そんなワケで、ヤンキー漫画について書く。

ヤンキー漫画をかねてより愛好しているオレだが、ここ数年オレが注目しているのは各作品の「落とし所」「どう大人になっていくのか」という点である。

あ、ちなみにこの文、5000字超えてるので覚悟して。

きっかけ

こうしたことを考えるきっかけになったのは『元ヤン』という作品に感じた違和感である。
タイトルが示す通り、若い頃にヤンチャした青年達が再びヤンチャに活躍する物語だ。
主人公は23歳。
連載開始時は自動車教習所の教官を務めている。

その1巻を読んだ際に強烈な『?????』ある種パラダイムシフト的な価値観の相違を見せつけられた。
『そ、それはアリなのか???』
『20歳越えたら、ただの犯罪なのでは???』
『それでは18歳で引退していった数々の先輩(各種ヤンキー漫画の)の立場は⁉︎』
(後に同作者の『サムライソルジャー』を読んで、『あ、ハナっからそこを問題視して描く作家さんなのね』ということはわかったのだが。)

少年漫画誌の使命

少年漫画誌の連載作品の殆どは、読者層の年齢に合わせ13〜18歳の少年少女を主人公に設定する。
そして彼らはそのストーリーの中で「成長」していく。舞台が異世界であれ、日常であれ、戦国時代であれ、成長していく。
成長譚、ビルドゥングスロマンと言ってもいい。
幸いにも打ち切られることなく、ストーリーを全うできた作品であれば、主人公たちは「この先の未来」を読者に想像させる形で物語の幕は降りる。もしくは、実際に「大人になった姿」を描くことで、物語の中の経験を経てこう成長したんだよ、という姿を見せてくれる。

桜木花道はリハビリをやり通し、そう遠くない未来にコートに戻るのだろう、と我々は想像したはずだ。
うずまきナルトは火影になったし、人斬り抜刀斎や黒崎一護には子供が生まれた。
エドワード・エルリックは錬金術師の能力を捨て、ただの人としての生きる決意を見せた。

少年は物語の中で成長し、そして大人になったのだ。
それを描くことは少年漫画の使命と言ってもいい。

一方、ヤンキー漫画の世界は……

こうした視点でヤンキー漫画を読むと、何とも消化不良な感が否めない。

先日ドラマ化もされた『今日から俺は!!』の最終話がいい例である。
ヤンチャな高校生活を終え、卒業式を迎えた三橋と伊藤は「北海道にバイクで旅立つ」。何だ、そりゃ。北海道にゴールドラッシュはねーぞ。
百歩譲って「自分探しの旅」としてもだ。そんなものは高校時代、あれだけ殴り合いをしている中で見つけておけ、という感じである。

断っておくが、オレは「今日から俺は!!」が大好きである。サンデー連載のヤンキー漫画という異色な立ち位置でありながら、しかも暴走族が一切登場しないという、当時のヤンキー漫画のトレンドを外しつつも、あそこまで笑えて熱く完成度の高い漫画も珍しい。さすが西森博之氏。

後の『GTO』に繋がる『湘南純愛組!』の最終回は、主人公二人が偽装自殺し、湘南の街を離れることで物語を終える。

皆大好き『特攻の拓』は、連載当時から時々電波入るなとは思っていたが、最終話、物語を彩った数々の暴走族と主要キャラ勢揃いの大乱闘を主人公が止めに入って……その後は描かれず唐突に物語は終了する。
これには色々大人の事情があったらしい。しかし最高に「スゲェ……」と唸ったのは、描かれなかった最終話のその後を原作者が小説で発表したことである。ヤンキー漫画を小説で出版!!

90年代ヤンキー漫画の金字塔『クローズ』。いや、マジで面白いんだが、その最終話にも驚かされた。同世代が高校を卒業し、その後どんな職に就きどんな暮らしを送っているかが語られる中、主人公の坊屋春道は鈴蘭高校を留年する。そして、フラリとどこかへ消えていったというのだ。
つまり、子供の時間を終えることを拒否し、これまでと同じ日々を繰り返すことを示唆して終わるのである。

ヤンキー漫画の構造

この座りの悪い幕の降ろし方については、ヤンキー漫画が持つ構造上の問題が大いに関係していると思われる。

主人公の多くは、ヤンキー高校や暴走族、ストリートギャングなど、物語上現実から乖離した集団へと所属を移行し、そして物語は転がり始める。
そこは法治国家である現代日本とは異なり、暴力というルールの支配する「異界」である。
10代の少年たちが永遠に抗争という「祭り」を繰り広げる世界だ。

ただし、その異界は「18歳まで」という期限付きでしか滞在できない。
祭りの時間を異界で過ごした少年たちが戻る場所は、我々の暮らす現実社会以外にない。

異界での経験を経て少年たちが成長をする、というのは世界中の神話や民話でも描かれたモチーフであり、他の多くの少年漫画でも描かれている。
成長の証として、彼らは現実・日常へと回帰する際に、かつてと同じ場所・立場ではなく、以前よりランクアップした場所・地位・名誉を手にしている。
騎士見習いの少年が冒険を終え、正式な騎士として叙勲を受ける物語のように。

ここに問題がある。
騎士見習いは騎士になる。火影を夢見る少年忍者は、紆余曲折の末に火影となった。桜木花道は自他共に認めるバスケットマンになった。
じゃあ、ヤンキー少年たちは何になればいい?

これ、もう少年誌では描けないわけだよ。
少年誌の体をとっている以上、ヤンキー少年の行く末、ランクアップした姿が反社の人たちです!とは間違っても描けない。

幾つかのヤンキー漫画の最終話をまとめてみよう。

・旅 or 行方知れず系
『クローズ』『今日から俺は!!』『湘南純愛組!』『カメレオン』『ホーリーランド』

・格闘技系
『ろくでなしBLUES』『ホーリーランド』

・日常に戻る系
『WORST』

・よくわからない系
『特攻の拓』

・フェードアウト
『BE-BOP HIGH SCHOOL』

『ホーリーランド』をヤンキー漫画に入れることには異論もあると思うが、ヤンキー少年たちの卒業というテーマを描いているため、あえて入れさせてもらった。
主人公たる神代ユウの行方は不明だが、ヤンキー少年たちの行く末として格闘技の世界を示唆したことは興味深い。そのため、行方知れずと格闘技の両方に該当するかと思われる。

行方知れず系で終了する『湘南純愛組!』だが、その正統続編として『GTO』が存在することはご存知かと思う。作中にて、純愛組に登場していたヤンキー少年たちが成長し、大人としてそれぞれの暮らしを営む姿が描かれた。

また現代に繋がるヤンキー漫画の始祖たる『BE-BOP HIGH SCHOOL』だが、何と「連載休止 → 終了」という形で明確な最終話が存在しないことにも注目したい。

それにしても、旅やら行方知れずで最終話を迎える作品の多いこと。
ただ仕方ないとも思うのだ。
最終話を迎え、作中で最強となった主人公をヤ○ザにするわけにもいかんだろう。
物語の中で手に入れた暴力を、一般人の暮らす世界に持ち込むことは許されない……はずだった。

祭りの終わりを認められるのか

長くなったが、ここで『元ヤン』の話に戻る。
なお、この漫画は少年誌ではなく、青年誌である週刊ヤングジャンプに連載されていた。
色々理由はあるのだが、23歳になった主人公が再び仲間を集めてヤンチャし出す。

同作者の『サムライソルジャー』では主人公及び主要キャラは20歳前後。様々なチームの乱立する渋谷を統一しようとするかつての親友を止めるために、少年院帰りの主人公が活躍(腕力)する。

特に『サムライソルジャー』に顕著なのだが、この作者は「きちんと祭りの終わりを認め、大人になること」に対して自覚的だ。
若い頃は「VS 大人」と血気盛んに暴れ回っていても、いつか自分がその「大人」側になったのなら、きちんと大人をやるべきだ、という主張が端々に感じられる。

作者が描こうとしたテーマは至極真っ当である。

問題なのは、「ちゃんと大人になんなさいよ」という当たり前のことをテーマにして作品が成り立ってしまうというオレたちの現実の方だ。
つまり、「きちんと18歳であがらない若者」という現実があるからこそ、こうした漫画が成立するのだ。

90年代ヤンキー漫画の金字塔『クローズ』においては、「このままオレたち大人になったらどうなっちまうんだ?」という少年たちの不安が絶妙に描かれていた。
今はいい。仲間たちとバカやって殴り合って、キツい目にも怖い目にも遭うけれど、それでも生きていける。
だが、その後に何があるのか。
ここで腕っぷし一本で名を上げて、その先に何が待っているのか。
その不安に押し潰される者もいれば、腕っぷし以外で築く未来を見つける者もいる。そうした苦悩がきちんと描かれていた。
だからこそ、作中最強格である主人公:坊屋春道とライバル:リンダマンの未来は、ぼかさざるを得なかったのだ。
「異界」での祭りで天辺まで登りつめた彼らに、我々一般人の暮らす現実社会でどういった役割を与えればいいいのか、皆が納得する落とし所はどこなのか。
こんな難しい問いもない。
前項で書いた「行方知れず系」で終わる漫画の殆どは、こうした作者の苦悩ゆえなのではないかと、オレは予想する。

タブーを犯すニューエイジ

「ニューエイジ」なんて言葉自体が全然「NEW」ではないことはさておき。
『東京卍リベンジャーズ』という現在週刊少年マガジンにて連載中のヤンキー漫画???がある。
当初は「ヤンキー漫画 + タイムリープ」という前代未聞の組み合わせが話題だった。
現在TVアニメも放映中である。まさか特攻服の暴走族がアニメになるとは……湘南爆走族以来の快挙であろう。

この漫画、オレが知る限り2つ、これまでのヤンキー漫画の不文律を侵している。

先程までオレが問題にしていた部分でいうならば、彼らは18歳で卒業どころか、その後一暴走族の枠を超え、半グレ犯罪者集団と成り果てる。
その辺りを阻止するために、主人公がタイムリープを繰り返すわけだが。
これ、少年誌に連載されていたどんなヤンキー漫画の悪役でもやっていない、完全なるタブーである。
18歳で卒業、というタイムリミットがあるからこそ、彼らの一時の輝きが美しく煌めくというのに。
祭りの終わりを否定し、異界のルールを現実世界に持ち越してしまうとは。
まぁ、この漫画の中の幹部会の絵面は、完全に「悪の組織の幹部会議」なので現実味は薄いのだけれど。

また、この作品の中では「殺人」というのが、彼らの暴力メニューの中に入っている。
これもタブーである。

抗争の果ての死、というもの自体は、数々のヤンキー漫画で触れてはいるが、その殆どが「過去の凄惨なエピソード」として登場し、登場人物の誰もがそれを繰り返すことだけは避けて通る。そして加害者は既に過去の人物であり、作中に登場することはほぼない。

また事故死のエピソードも存在するが、やはり作中最大の悲劇として取り扱われる。

ヤンキー漫画において、「死」は何よりも忌むべき事態であり、それを手段として扱うことだけは避けられてきた。
そう、ヤンキー漫画は異世界バトル漫画よりも、推理モノよりも、圧倒的に人が死なないのである。
だからこそ、「死」は重い。
ヤンキー少年たちのメンタルを以てしても、とてつもなく重いものとして取り扱われているのだ。

だがしかし、『東京卍リベンジャーズ』においては「殺人」は手段の一つとして描かれる。
重要な人物が明確な殺意を以て殺される。
非道さを表すためなのか、主要人物の家族を殺す。
正直に言うならば、これだけはやって欲しくなかった。
それをやってしまえばもう、ヤンキー漫画じゃなくなるとすら、オレは思う。
まぁ、もともとヤンキー漫画ではない、と言われてしまえばそれまでなのだが。

ただ、それらを加味してもこの漫画は面白い。本当に面白いんだよ。同作者の『新宿スワン』には無い”抜け感”がある。
面白く感じるということは、物語の展開に無理がないとオレ自身が感じているということでもある。
そこに破綻はないと、作劇上必要なエピソードで構成されている、と。
リアルとファンタジーのバランスが取れている、と。
少年たちの無軌道な暴走の果てに、殺人をも犯す犯罪者集団となる物語にリアルさを感じている、ということだ。
そして、アニメ化や実写映画化されてしまうくらい、多くの人がそれを是としている。

いいのか?

最後に

オレは結構保守的な人間だと自分について思っている。
だから、ヤンキー漫画はヤンキー漫画としての不文律を侵して欲しくないと、こんなクソ長い文を書いてしまうわけだ。

だが、こんな考えこそがマンガ表現の可能性を摘んでしまうのだとも思う。
ヤンキー漫画としての不文律、って何だよwww
ヤンキー漫画がルール守らなきゃいけない、って発想がナンセンス極まりない。
むしろヤンキー漫画の続編が小説で出版される、なんて方が、型にはまらない発想で面白い。

さんざん長い文を書いてもっともらしいこと言っておいて、結論がこれか。
尻切れトンボ、とはまさにこのこと。南無三。

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