気付いていたんだ向き不向き。

1.作曲遍歴

オレの作曲遍歴みたいなものを遡ると、おそらく高校2年生の時からスタートする。

当時、MTRすら無く家庭用ラジカセでダビングにダビングを重ねて作った音源。友人の小野くんに聞かせたら「ガキの遊びじゃねーんだぞ」と言われた。

え、小野くん、さすがにひどくない。。。

その後、大学時代はMTRとシンセ打ち込み大活用時代。シーケンサーの付いたシンセにギター以外を打ち込み、MTRで録音し、歌を入れる。ただ大学時代はサークルでコピーバンドばっかりやっていたので、演奏技術は上がったものの、そんなに曲を書いていない気がする。

大学卒業と同時くらいにバンド用にオリジナルを書き始める。何曲くらい作ったんだろな。でも多分作ったとしても30曲くらいか? 新しい曲を作るとバンドでそれをアレンジして完成させる作業が必要なため、そんなにハイペースで新曲作りは出来なかった。

その後、ソロ時代 → も一度バンド時代、となるのだが、この辺りからPCに録音するDTMに切り替わる。それでも40曲くらいじゃないかなぁ、そこまで多くはない。

で、ハヤカワP時代となるわけだが、ニコ動に発表しているオリジナルボカロ曲だけで70曲くらい。さらにアルバムのみの収録曲を数えてみたら30曲くらいあった。ボカロ曲だけで約100曲か。

となると、おそらく今までの人生で200曲弱の楽曲を作ってきたことになる。多分、そんなに計算間違っていないはず。

2.28年間曲を書いて、ようやく気付いた特性

で、こっからが本題なのだが、ようやく自分の長所に気付いた

自分のボカロ曲に顕著な特徴だが、オレはいわゆる「ロック」的な音を中心に、その中でも割とバラエティ豊かな曲作りをしている方だと思う。エレポップ、テクノ、ドラムンベース、ニューウェーブ、シューゲイザー、ロックンロール、パンク、エモ、スカ、レゲエ、ピコリーモ……もどきも結構あるけど。

バンド時代がロックンロール、パンク、ニューウェーブな音をやっていたため、そこら辺の音が中心にしながら、他のジャンルのエッセンスを入れて……というパターンが一番多いかな。さすがにオレもガチでスカやレゲエやってる人と同等のクォリティで書けているとは言わない。ただ、自分で言うのもなんだが、特定ジャンルのエッセンスを抽出するのは得意な方だと思う。

色々作ってみた。結果、わかった。何が。自分の色が最も出て、そしてクオリティも高く作れるもの。おそらく他者から見たオレの個性・評価はここなんだと思う。


昭和だ。


具体的に言うと、この2曲なんだろう。

あと、これもかな、って思う。メロの昭和感がひどい(良い)。

色々やった。こんな曲作りたい!!と思い立ち、全く触れたことのないジャンルに手を出したりもした。流行を3歩くらい遅れて追いかけたりもした。憧れだけで作ったりもした。

が、結局のところ、オレの持つ武器の中で一番切れ味がいいのはここだった。なんの事はない、昔から既にオレが持っていたものだった。素養というだけなら、曲を書き始めた17才の頃にすでに備わっていたものだ。

アレ、これっていわゆる『青い鳥』的なヤツですか? バーバパパとママが卵のある場所を探して、結局自分家の庭に埋まってた的なアレですか?(バーバパパの一族は卵生である)

3.まとめ

無論、沢山の音楽を聴き、沢山の曲を書いてきたから気付いたことなのだとも思う。

また、今はそう思っていても、5年後とかには見解が変わっているかもしれない。

ただ、オレの根本にあるメロディラインや楽曲の雰囲気などは、12才くらいまでに耳にしてきたものが全てなのだな、ということに今更ながら気付いた。

いや、ホントのこと言うと、うっすらわかってはいた。昭和感出すと楽曲のレベル上がるな、ということは。

同時に、頻繁に出すモンじゃねーな、とも思っていた。楽曲を発表しているのが「今」である以上、「過去」から引っ張ってくるのは何だかフェアじゃない気がしていたのだ。

2021年の今は、フェアだろうとなかろうと、いい曲書きゃいいんじゃねーの、というところに落ち着いている。

あとは……このめっきり落ち込んでしまった楽曲発表のペースを持ち上げるだけか。要するに曲書け、ってことですな。

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