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プラスゼロ一級建築士事務所です。https://pluszero.info/ 主に住宅の設計をしています。

最近の記事

続・建築家思考の狭小住宅

東京の”まち”に暮らす狭小住宅の設計実例 これまでに書いたことを実際の設計でどう生かしたらよいのだろう? 東京の”まち”に暮らす狭小住宅の設計例として、 ”工房のある家”の設計過程を振り返ってみる。 まずは土地探しの話しから・・・ 土地探し ” 工房のある家”のお施主さんご夫婦は、 長い時間をかけて土地を探していた。 最初に見せてもらった土地は東中山にある、 ちょっとした丘の上にある60坪ほどの土地で、 その3分の1ほどの斜面地は大きな樹がたくさんある林だった。 斜面地

    • 建築家思考の 狭小住宅

      狭小住宅 は、ひとつのライフスタイルです・・・ 狭小住宅 とは ”とても小さな家” のこと、そう思っていませんか? そうではありません。 狭小住宅 は、とても魅力的なライフスタイルのひとつです。 狭小住宅 を考える 狭小住宅 は今迄にも設計してきた。 現在工事中の”工房のある家”もそうだし、 ”保土ヶ谷の家”や”上丸子の家”もそう。 床面積で言えば”王子の家”もそうだ。 私が独立する前に働いていたアーツ&クラフツ建築研究所は、 狭小住宅を得意とする有名な

      • 建築家思考の 土地選び

        土地選び でお悩みの方に・・・ 新建築ONLINE (音声はありません) 新建築 住宅特集 2018年5月号 特集/敷地を読む  『王子の家』 土地選び が終わらないと“家づくり”が始められない、そう思っていませんか? そんなことはありません。 むしろ、土地選び から設計は始まっているのです。 これは私の事務所が敷地周辺の環境を重要視して建物を設計しているからとも言えます。 私の事務所では1/100と1/50のスケールで敷地周辺の模型を作るところから設計を始め

        • 工房のある家

          7枚の”キャンチスラブ”で出来るお家 このスケッチは”工房のある家”の基本設計時のもの。 それまであれこれ色々な案を作っては悩んでいましたが、 このスケッチで空間構成と構造アイデアがやっと一致し、 その後の方向性が決まりました。 キャンチスラブ(CS)とは片持ち床のこと。 ”工房のある家”の床は、 最下層の床(基礎の耐圧版)以外はすべてキャンチスラブです。 両側の壁から何枚もの床が突き出ている形になります。 キャンチスラブにすることで、 吹抜側の床下に梁が

        続・建築家思考の狭小住宅

          生物から見た世界

          自分が今見ている世界とは何だろう? 自分とは関係なく、 誰が見ても同じであるような確たる世界というものがあって、 自分はただそれを切り取っているだけなのか? それとも、自分が持つ心象などのフィルターを通して、 編集された世界を見ているだけなのだろうか? 「生物から見た世界」 (ヤーコブ・フォン・ユクスキュル著)が出版された当時、 あらゆる“知覚”というものと、 それまで“知覚”というものを語る上で切り離されてしまいがちの“主体”(主観)を、 その両方を結びつ

          生物から見た世界

          ”象徴形式”としての遠近法

          建物の写真を撮る。 広角のズームレンズだと周辺部がどうしても歪む(いわゆる歪曲収差)。 その歪みが大きいと“不自然”に感じてしまい、フォトショップなどで画像修正をする。 すると“自然”な写真になったような気になる。 でもよく考えてみると、これはアベコベな話だと分かる。 人間の球状の眼の構造を考えれば、 周辺部が歪んで見えるのはむしろ“自然”なことなのである。 それを“不自然”に感じさせてしまうのは、 建物の壁は垂直につくられているはずであり、 床や天井は水平

          ”象徴形式”としての遠近法

          ”間取り”からの解放

          住宅おいて、よく”間取り”という言葉が使われている。 あるサイトでは住宅の規模や方位といった条件を入れれば、 いくつもの”間取り”が出てくる。  ⇒ LINK ミサワホーム 「あたりまえ」の 間取り 集 住宅情報の本とか不動産屋さんのチラシとかには必ず載っているので、 ”間取り”図は多くの人が見慣れているものなのだと思う。 けど”間取り”という言葉は私はほとんど使ったことがない。 平面とかプランとかの言葉を使う。 すでに建物の構成の大枠が決まってしまっているハ

          ”間取り”からの解放

          建築的文学 ?

          E・A・ポーの『アシャー館の崩壊』はちょっと変わった小説である。 文庫本で28ページ程のシンプルなストーリーの短編であるが、 その大部分が、 館の外観やその周囲の樹木や池などの風景、 館の中の壁や天井や扉や窓、 そこに置かれている家具や本、 肉体的・精神的病を患っている館の主人アシャーの肌や眼、唇、鼻、顎、髪など、 それらを形容する言葉が幾つも重ねられた描写で占められている。 しかもそれらは全て同等のものとして扱われており、 館の外観・内観とそこに住む主の外

          建築的文学 ?

          新・建築の黙示録

          「人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、 寸法によってあらわすのが設計というもの」 と言ったのは建築家・吉村順三。 建物はコンクリートや鉄、木、ガラスなどのあらゆる物質が、 あらゆる段階で加工が施され配列されて出来てゆくものである。 そこには上の言葉にあるような設計者に限らず、 その建造に関わる様々な人間の意図が何層にも塗り重ねられてゆく。 例えて言えば、 合板1枚、ガラス1枚などにも、 建材用に加工されているという人間の意図が顕れている。 写真家・宮本隆司氏の

          新・建築の黙示録

          家づくり

          ”家づくり”のページを作ったけど、まだまだ修正・加筆が必要だと思う。 私の考えでは、本当の意味での”家づくり”は我々設計者にはできないと思う。 住み手が、この場所こそ自分の居場所だ、と感じられるのが”家”だと思うから。 つまり”家”は空間だけではなく、時間軸も必要なのだと思う。 日々における住み手の価値観や生活観、それらと空間との交渉や調和の時間的積み重ねが蓄積されたときに、そこが住み手にとっての”居場所”になり、”家”になるのだろう。 つまり、本当の意味での”家づくり”は

          家づくり

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