塾講師をしていて一番印象に残っている生徒の話。

『合格しました』
少し控えめに合格を伝える彼女からの短いメール
でもその中には大きな喜びが隠されている
そんな風に感じた

不安な初対面

彼女が入塾したのは高校二年の秋

正直勉強に特別前向きなわけではないし
将来の夢はおぼろげ
よい面を挙げれば
根っからのポジティブな明るい女の子
そんな感じだった

当然バリバリ勉強ができるわけでもなく
当然身についておかないといけない知識が
当然かなり抜けていた

「あの子大学行けるんかな…」

初回の授業のあと
迎えを待つ彼女を見て私はぼそりとつぶやいた
それくらい当時は危機感を持っていた

彼女はバドミントン部に所属していた
まじめに練習しているものの
こちらも成績としては少しパッとしないらしい

部活と勉強は両立させるのは難しい

口にはしないがきっとそんな風に思っていたに違いない
それでも登塾すればまじめに打ち込む
今思えばなんと不器用なことか
そのせいか成績はあまり上がってはいなかった

具体的な職業名

年が変わって一月の終わり
私は彼女と進路についての面談をした

このとき、彼女の口から初めて
『介護士』
という具体的な職業の名前が出された

私は正直驚いた
それまで授業中や休憩時間でのやりとりで
彼女が進路について具体的なことを一切口にしてきたことはなかった
だから今回の面談でも
せいぜい聞けて「こういう方面の…」くらいのことだろうと思っていた
もやもやしていた目の前の視界がほんのちょっとだけ開けた気がした

でもまだこのときは
介護士になるためのプロセスについては何一つ知らなかった

しばらくして彼女は
スケジュールノートを書くようになった

A5サイズのやや小さめのノートに
スケジュールから調べ物、大きなことから小さなことまですべて書き込むように
私から指示したもの。

ノートには好きなタイトルを書いてねと伝えたところ
彼女は誰も聞いたことのない造語を作って表紙に書き込んだ。

本人すら意味がよくわからない名前のノート
しかしこのノートが
本人の運命を大きく変えてしまうとは私も本人も思ってもみなかった

彼女オリジナルのスケジュールノート

このノートは3つのブロックに分かれている

1ページ目に(何でもいいから)目標を書く
いくつでもよいしどんな内容でもよい
1ページ目に書くのは
パッと見開いたときに毎回目に入って
目標を確認するためだ

2ブロック目はいわゆるスケジュール
2ページ目以降その日にやることや提出物等の
締切を書き込み忘れることがないようにする
その日に思いついたことや日記なども書く
1冊のノートがおおむね2か月~3か月で終わる

3ブロック目は背表紙から書き連ねる
目標に対する調べものや考えていることをまとめたりする
いわばフリースペース

このノートのコンセプトは
「これさえ見れば何でも書いてある」こと

メモ書きを何かのプリントに書いて
そのプリントを無くす
こういったクセを極力なくすため
私は彼女に、ノートを学校にも塾にも、とにかく毎日持ち歩くことを勧めた

彼女にとってはもはや「スケジュールノート以上のもの」が書かれているのである。

目標が達成される日

さて彼女。

彼女は目標スペースに4つの目標を書いた。そのうちの1つが

『部活で県大会に出る』

これを見たとき私は苦笑した
正直予定外だった
確かに目標欄には「何を書いてもいい」とは言った
でも本当に部活のことを書くとは思わなかった

勉強しろよと思いつつも
その目標を尊重することにした

しかしこのことが
彼女にプラスの効果をもたらす

次の登塾日
彼女のノートを確認すると
フリースペースに体力づくりの項目が追加され
スケジュールスペースには日々の日記で毎日が振り返られるようになった
その次の登塾日にはさらに
試合のシミュレーションらしき図がぎっしりと書かれていた

試合が終わったら食べたいものリストもきっちりと
ここはいかにも女子高生らしい

県大会に出られるかは本人いわく「厳しい位置」だった
だから目標としてふさわしい
この目標を必ず達成しようと自分なりに努力しているのだ
毎週ノートをチェックするたび
彼女の成長ぶりに驚いた

結果

彼女は県大会出場を決めた。

私はもちろん同級生も驚いた
でもきっと一番驚いたのは本人だったのだと思う

「目標って紙に書いたらホントに達成できるんじゃね。」

彼女はとてつもなく大きな自信をつかみとった。この力強い言葉からそう確信した。

もう1つの目標

県大会に向け奮闘していたその頃
数か月前までおぼろげだったはずの『介護士』の夢も
彼女はみずからの手で大きく動かしていた

福祉関係の勉強ができる大学を調べ
自分の足で学校の雰囲気やアクセス奨学金の有無までを調べ上げて
フリースペースに細かく書き込んでいた

このとき
私が初日に感じた不安という霧は
すっきり晴れてしまった

部活を引退した彼女は
9月にAO入試で神戸にある大学に進む決意をした

定期テストや模試の勉強をしつつ福祉関係の勉強も欠かさず行った
夏休みには個別指導と生物の特訓講座を受講した
小論文は学校の先生にマンツーマンで指導してもらっていた
学校と塾を2往復して家に帰る、なんて日もあった
さすがに疲れた表情を見せるときもあったが
その表情には自信が満ち溢れていた

1学期ほぼ毎週チェックしていたノートは
夏休み前からほとんど見なくなった
見なくてもちゃんとノートには
彼女にとって必要な情報がどんどん蓄積される
だから私がいちいちチェックする必要がなくなった

合格発表前
彼女の書いた自己推薦書を見せてもらった
枠いっぱいにぎっしりと詰め込まれた文字
そこには大学で介護士の勉強をしたいという情熱と
調べあげた情報が詰まっていた

1年前には見抜けなかった彼女の長所を発見した

「抜群の生真面目さと目標への一途さ」

そして卒塾の日

いつものハイトーンボイスな女の子
教室の空気を明るくする女の子
明るくてまじめな女の子
人当たりが良くてちょっと強がりな女の子

また1人大好きな生徒が
夢に向かって一歩踏み出します

9月に合格が決まってからも書き続けるスケジュールノート
きっと彼女は
あのノートで人生を変えちゃったんだと思います

不器用な彼女は
でも持ち前の明るさと一途さで
これからの人生を歩んでいくのだと思います

迷ったら原点はあのノートだからねっ!

っていう。

もう何年前になりますかねぇ。
今は社会人になっているはずのこの子。
きっと、社会にもまれながらがんばっているのだろうと思いながら
今日も私は生徒の学力アップにいそしむのでした。

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