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回想その4....パニック

先日死んだ我が家の猫はパニックを起こしやすい性格だったと思う。目が見えないからパニックになりやすいとは言い切れないが、癇癪(かんしゃく)持ちだったし、ほぼ聴覚に頼って生きていたから、音にはすごく神経質だった。
また見えないことで危険に気づくのが遅くなることもパニックになりやすい原因だからだ。

 最初のパニックは千葉に引っ越しが決まり、荷物を先に送って猫とともに車で移動していた時のこと。
車の中は極力荷物を減らし、猫と猫トイレ、あとは寝袋や身の回りのものだけ積んでいた。長距離ドライブだったから猫は車内で自由にさせていた。運転は私がして夫は私が眠くならないよう、音楽をかけつつ話相手をしてくれていた。なんの話をしていたのか覚えてないが、こんなのできる? と夫が手のひらを合わせてオナラ音を出す手楽器を始めた。ブッ、ブッというアレである。
数回音を出したその時、突然後部座席から何かが飛んできて、車の天井に当たりドンッ! 間髪入れずにフロントガラスに飛んできてドンッ!と鈍い音がした。夜車内は暗くて、一瞬何が起こったのかわからなかった。
夫がオナラ音を出し始めた時、後部座席で彼女が小刻みにヒキツケを起こしていたのが、私達には暗くてわからなかった。最初はうまく鳴らせなかった音は2回3回と試すうちに大きくなり、ついに彼女の無意識のタガが外れて、狂ったように飛び上がり、天井やフロントガラスに激突したのだった。パニックを起こしたのだ。

この時、高速道路を走行中で窓は閉めていた。もし窓を開けていたら、と思うとゾッとする。突然の事態に慌てた夫が ごめん、ごめん!!と半べそをかきながら、荒い呼吸をする彼女を抱いて数分後にはなんとか落ち着きを取り戻した。怪我がなかったのが不思議なくらいだ。彼女がひどいパニックを起こした最初だった。

 2回目は千葉に住み始めて一年ほどした頃のこと。いつものように猫を連れて砂浜を散策にでかけた。ただっ広いところで人に出くわすことは少ないが、グループで浜辺に遊びに来る人や犬を散歩に連れている人がこちらに近づいて来る時は抱き上げたりキャリーに入れてやり過ごしていた。

その時は遥か遠くに黒い犬を連れた人が水際を散歩しているのが見えた。遥か遠く...言い訳だが私はそう見えた。しかも飼い主がついてる。(私達の方へ犬が来ることがあれば呼び戻してくれるだろう、と勝手に思っていた。後で思えば全くの誤算で、猫はおろかこちらにさえ注意をしていなかったのだ。)
だから大して気に留めるでもなく、彼女を呼んで駐車場に戻ろうと歩き出した。ふと見ると、すぐ後ろにいるはずの彼女がいない。7〜8メートル後ろに離れて彼女が立ち止まっていて、気付いた時にはリードのない黒い犬が彼女のすぐそばに走り寄ってきていて...彼女の鼻先に顔を寄せ、鼻を突き合わせていた。
黒いやや小さめのシェパードだった。

しまった!! とっさに彼女のもとに走り出して大声を出したが、犬はなーんだ猫か、というような素振りで、吠えることもなく、むしろ走ってくる私に驚いてさっさと遠くにいる飼い主の元へ走り去っていった。

一瞬のことだった。ああ、良かった、フレンドリーないい子だったのか、とちょっと安心したのもつかの間、彼女を抱き上げようとした瞬間に豹変した。フワーっと体中の毛を逆立てて背中を丸め、ギャーと世紀末のような甲高い叫び声を上げながら、私の腕にバッと飛びつき噛み付いてきた。

これはマズい! と私は痛みをぐっとこらえて、ごめん、怖かったね、ごめん、となだめながら彼女の手足を掴んで動きをコントロールしようとしたものの、彼女は狂気で完全に自分を見失っていて、手脚を取らせまいと体をくねらせてさらに爪が食い込む。全く収まる気配がなかった。私の腕は厚手のシャツで多少守られていたが、それでも血は出た。やっとの思いで彼女を離すと、今度は足に飛びかかってきた。夫が私を助けようと手を出したが、同じように噛み付いてくるものだから慌てて振り解く。彼女はそれでもなお臨戦態勢で、背中を丸めて目前の恐怖に全身で立ち向かっていた。
夫は、恐怖で崖っぷちにいる彼女を心配して、ひたすら声をかけ続けた。Zaatti、もう大丈夫だよ、Zaatti、うちに帰るよ。でも彼女には聞こえない。とにかく触らないで落ち着くまで待とう、と促した。私達はなすすべもなく、元の彼女に戻るまでそこに立ち尽くした。

どの位待っただろう。彼女に穏やかに話しかけ続けながら30分はそうしていただろうか。辺りが暗くなり始めた頃、まだフーフー言いながらもようやくキャリーケースに入ってくれた。

突然、想像もできない大きな恐怖(彼女は犬という生き物を知らないし、まして触られたことなどない)に遭遇し、しかも勝手の分からない屋外にいて、逃げ道を絶たれた彼女は、恐怖のあまり我を忘れてパニックになったのだった。どんなに恐ろしかったろう。

黒い犬を見た時、すぐに抱き上げてやればよかった、もう少し気をつけていればよかった。この時、猛反省したのだった。

普段は人に対して穏やかで優しい猫。でもその反面、癇癪や分離不安といった色々な問題を抱えていた子だったから、だいぶ手を焼いたものだった。いや、焼かせてもらった、のかな。だからこそ、私達夫婦にとっては思い入れも強く、彼女は特別な子だった。

もし、愛猫がパニックになったときは、原因を取り除けたら手を出さず、静かに見守りましょう。

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