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スゴすぎる!これが一つ目の頂点(Peak)なのか!『ツイン・ピークス リミテッド・イベント・シリーズ』第3話

正直諦めていたが、アマゾンプライムビデオでようやく見られるようになったのがこちらの『ツイン・ピークス リミテッド・イベント・シリーズ』である。アメリカにおいては、「Showtime」にて2017年5月から9月にかけて全18話が放送され、日本では「wowwow」にて2017年7月から放送された。その後DVDは発売されていたようだが、さすがにそれを買うほどではなくそのままにしていたのだが、ここに来てようやくAmazon プライムビデオで観られるようになった。そしてその3話目で早くも衝撃を受けている。これから書くnoteはあくまでその3話目にのみ焦点を絞ったレビューである。現時点で、この先は見ていない。しかし、それでも書く価値があると思ったので書いている。

オリジナルの『ツイン・ピークス』が放送されていたのが、この「リミテッド・イベント・シリーズ」の四半世紀前の1990年から1991年にかけてなのだからもはやそれを知っている我々はりっぱな「シニア」世代であろう。つまり、あのころの『ツイン・ピークス』にはまっていた世代は、もはや私も含め「おじさん」「おばさん」なわけである。しかし、「おじさん」「おばさん」となった今だからこそ分かること、感慨深いこともある。この四半世紀に起きたさまざまな思いもよらない出来事を振り返ってみれば分かることだが、それは一言で言えば、世の中は思い通りにはいかないし、だからこそ辛いこともあれば面白いこともある、ということである。そう、この世の中は理不尽であり、矛盾に満ちている。人によってはそこに神秘主義的な何かを見るかもしれないしそこに救いを求めるかもしれない。それはそれで一つの選択であり、誰もそれを批判することはできない。それこそがこの世というものであり、我々はその「この世」に生きているのであるのだから。

その意味で、一見、「あちら側の世界」を描いているように見えるディビット・リンチの世界やこの『ツイン・ピークス』の世界は、実はまさに、我々が生きているこの世界ともつながっているのである。あちら側の世界というものは、たとえそれがフィクションだったとしても幻想や幻影だったとしても実際にそれを感じているのはこの世界のこの私達なのだから。その意味でこの世界の中にこそあちら側の世界はあると言える。そしてディビット・リンチ監督は映像の世界でその事実を確認させてくれる人である。

なお、これは単に技術の進歩の問題なのだろうが、旧作に比べて本作ではいわゆるCGが多用されている。それに対しては賛否両論あるだろう。あの、傑作『ブルーベルベット』がそうだったように、むしろ映画としては古いというか古典的、伝統的なフォーマットや撮影技術を使いながらもこちら側とはまた違うあちら側の世界を映画としてスクリーン上に見事に描いてくれていたのがディビット・リンチ監督であり、その魅力なのだから。しかし、ここで思い起こすのが、あれだけフィルム撮影にこだわっていた故大林亘彦監督が、デジタルという道具にして手法を手に入れてから、また大きく進化したという事実である。そして特にこの第3話にはそれと同じ感覚と魅力を強く感じる。

その代表的なシーンが、我らがミューズ裕木奈江氏が「?!」というなんともいえぬ(まさにこの世のものとは思えぬ)姿で出てくるシーンだろう。いわゆるJホラーにおける心霊もの的な演出も加わっており、なんとも不気味でありながら魅惑的なシーンである。そしてその部屋から一歩外に出ると、それは部屋と言うよりは宇宙に浮かぶ一つの箱である。ここでまた見る者は「?!」となるであろう。しかし、これこそが魅力なのである。これこそがまさに映画ならではの驚きであり魅惑なのである。故大林監督が「恐怖映画」というカテゴリーにこだわっていたのもそこにある。

そしてもう一つ、これらのシーンが、今の我々に連想させるのはVR型メタバースにおける「ワールド」である。もちろん、一言で「ワールド」といってもリアルさにこだわるものも多いが、私がここで言いたいのは、現実ではありえない世界を仮想ではあるが現実として提示してくれる類のワールドである。例えば「フォトグラメトリ」という技術を使ったワールドでは、世界が奇妙に歪んで(ゆがんで)いる。恐らくこれは現在がこの技術が黎明期であるからであって、将来的には完成度が高い、つまりは現実との間の歪み(ゆがみ)が少ないものがでてくるだろうが、我々が魅力を感じるのはむしろその「歪み」のほうである。「歪み(ゆがみ)というよりも音楽における「歪み(ひずみ)」に近いだろうか。我々がエレキギターのサウンドに魅力を感じるのは、それがエフェクターと言うものを通すことによって歪まされる(ひずまされる)からである。

と、話が逸れたが、この『ツイン・ピークス リミテッド・イベント・シリーズ』はその歪み(ゆがみ)と歪み(ひずみ)に満ちた作品である。そして繰り返すが、我々の生きているこの社会と言うのも、実は歪み(ゆがみ)と歪み(ひずみ)に満ちているのである。ただ、我々はそれを見ないように、いわゆる「安全に」生きるために、そのその歪み(ゆがみ)と歪み(ひずみ)を無意識のうちに矯正して見るように訓練されているし、常にその訓練を続けているのである。しかし、この作品は(というかディビット・リンチ監督の一連の作品は)そのような我々が無意識のうちにかけてしまった矯正用の眼鏡をはずしてくれる。それはある意味恐ろしいことだが、別の意味では気持ちのいいものでもある。だからこそ、我々はこの世界、この魅力的で魅惑的な世界に引き込まれるのである。



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