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49.ショーター版『ビッチェズ・ブリュー』としての存在だけじゃない魅惑のアルバム『スーパー・ノヴァ』

ウェイン・ショーターについて別のマガジンにおいてその伝記的映画を紹介したが、この人の魅力はその実力は誰もが認めるにもかかわらず、決してそれを鼻にかけることはないその謙虚さにあったとも言えよう。同年発売の2枚組のマイルスの大作『ビッチェズ・ブリュー』(もちろんそちらにもショーターは参加している)の陰に隠れてしまうことが多いが、あのサウンド、いわゆるエレックトリック・ジャズと呼ばれるサウンドは決してマイルスのものだけではなく、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス、そしてウェイン・ショーターといったいわゆる「黄金クインテット」のメンバーが作り出したサウンドであることがよくわかる。そして事実、その時代のマイルスバンドで最も多く曲を書いていたのがショーターなのである。

マイルスのトランペットは「泣きのトランペット」と言われるだけあって、エレクトリック期にあっても、基本的にそんなに激しい演奏、動きの速い演奏をするわけではない。だからこそ存在感を放っているわけだが、マイルスが「静」だとすると、「動」の部分を期待されるのがもう一つのリード楽器であるサクソフォンである。ショーター加入前はコルトレーンがその役割だったし、ジョージ・コールマンがその役割だった。ショーター脱退後はゲイリー・バーツやデイヴ・リーブマンがそうであった。しかし、ショーターは決して「動」だけの人ではない。「動」もできるし「静」もできる人なのである。この『スーパー・ノヴァ』は制作時期から見ても参加メンバーから見ても明らかに『ビッチェズ・ブリュー』と重なっているが、ショーターは、そしておそらくマイルスもこのサウンド自体を一つの「ジャンル」と捉えたのであろう。「ジャンル」であれば、それはだれか一人の個性ではなく、だれもが使えるものとなる。しかし、現実的にはこの「エレキトリック・ジャズ」という私が呼ぶジャンルは、いわゆる「フュージョン」というより大きなジャンルに取り込まれてしまった。それが良かったのか悪かったのかは分からない。フュージョンは今でもジャンルとして脈々と続いているし、私の言うところの「エレクトリック・ジャズ」はその後、『ビッチェズ・ブリュー』に参加したメンバーには引き継がれたものの、今現在「ジャンル」として確立しているとは言えない。しかしだからこそこの時代の音源は貴重であり名盤なのである。

なお、この『スーパー・ノヴァ』だが、1曲、いきなり途中から曲調の違う「DINDI」が入っていることにもまた注目したい。エレクトリック・ジャズサウンドにボサノバ調の曲を挟み込むという異色作だが、この発想はマイルスにはない、ウェイン独自のものであろう。この自由さこそが、言い換えればジャンルレスさこそが、ジャズの魅力なのである。その意味ではこのアルバムはジャンルを確立しようという意図と、それに対してジャンルと言う概念自体を無効化してしまおうという二つの相反する思いが交錯しているアルバムであるとも言える。だからこそこのアルバムは魅力的であり且つ魅惑的なのである。

未聴の方は是非、お聴きください!


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