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ASKAが大好きになった理由3つ

皆さんは、ASKA(アスカ、以下飛鳥)というアーティストを知っていますか。飛鳥は1979年、デュオアーティストCHAGE and ASKA(以下チャゲアス)として、デビューしました。デュオ活動と並行して、1987年にソロアーティストとしてデビューしました。チャゲアス名義、ソロ名義から、数々のヒット曲を作り出し、日本国内だけではなく、アジア圏にも、彼の名が広まりました。他アーティストにも作詞作曲を提供したこともあります。さまざまな出来事から、音楽活動が困難になった時がありましたが、後に彼は復帰しました。チャゲアスから別れた後、現在はインディーズにて、ソロアーティストとして活動しています。

ASKA、2022年の写真。ソロアーティストとして活動。

飛鳥は、高校時代にシンガーソングライターの井上陽水を聞き、音楽に夢中になり、音楽活動を始めました。その頃、音楽に夢中になっていた同級生のChage(チャゲ)に出会い、音楽活動をお互いに磨き合いながら、音楽コンテストに出場したことをきっかけに、1979年にチャゲアスとしてデビューしました。チャゲアスで発表したシングル曲『万里の河』で、初めてデュオの名がヒットしました。フォークだけではなく、数々の音楽ポップスのジャンルを展開しました。飛鳥は、デュオ活動をしながら、他アーティストへの作詞作曲提供を行い始めました。音楽活動のほかに、俳優活動に挑戦したことがありました。しかし、彼は、俳優より音楽アーティストとしての飛鳥を求めていきました。1987年にソロアーティストとしてデビューしました。その頃、作詞家、作曲家としての彼は、ジャニーズ系グループの光GENJI(ひかるげんじ)に提供した楽曲『パラダイス銀河』がヒットし、高く評価されていきました。
チャゲアスが音楽番組の出演でイギリスのロンドンに行った出来事から、彼らは海外に興味を持ちました。飛鳥は楽曲制作のために、イギリスのロンドンに行きました。後からチャゲも行きました。彼らは音楽制作、街の空気、文化に触れ、その体験で得たものをチャゲアスの作品で表現していきました。チャゲアスは音楽性を変えて、数々の名曲が生まれました。デュオの代表曲『SAY YES』、『YAH YAH YAH』などの楽曲で、1990年代の邦楽を象徴する名曲として語られました。そして、飛鳥がソロ名義で発表した数々の楽曲も、名曲として知られました。代表曲『はじまりはいつも雨』、『晴天を誉めるなら夕暮れを待て』など、人間の感情を描いた楽曲は、今も多くのリスナー、アーティストたちに愛されています。
チャゲアスとして、飛鳥ソロとして、邦楽界でスーパースターとなった彼ですが、1997年頃、チャゲアスの活動を一時的に止め、彼とチャゲはそれぞれソロ活動に取り組むことになりました。飛鳥は、さらに強烈で独特な世界観をソロ活動で昇華していきました。次第にソロ活動が増え、2009年にチャゲアスは活動を休止しました。その後、2014年に飛鳥は薬物事件により、アーティスト活動が困難になりました。チャゲアス、飛鳥自身にとって、史上最大の危機でした。飛鳥は、4年間の執行猶予を受けました。その期間中、治療を受けた後、インディーズでの音楽活動を再開しました。2019年、チャゲアスのデビュー40周年となる年に、チャゲアスから脱退しました。相方のチャゲとはなんだかんだありますが、彼への思いを残しています。その後は、ソロアーティストとして活動しています。想像を絶する出来事がありましたが、40年以上の音楽活動を積み重ねています。

ちなみに、「飛鳥」なる名前の由来は、大学時代に片思いの女性が付き合っていた、ラジオDJの名前からです。「飛鳥涼(あすかりょう)」という名義で、1979年から2000年までのチャゲアス、ソロ曲、提供曲での作詞作曲名に使われています。「飛鳥涼」なる名前は、友人からの提案で響きが良く、使われました。2001年以降は「ASKA」名義を使っています。ブリは、かっこいい、良い名前だと思い、大好きなので、「あすちゃん」と呼んでいます。

ASKA、1981年頃の写真。この頃は長髪だった。
フォークスタイルを感じるファッションである。
ASKA、1993年頃の写真。
1979年から2009年まで、CHAGE and ASKAとして活動していた。
短髪の分け目で、いつもスーツを着ている。
ASKA、1997年頃の写真。
1987年から始めたソロ活動では、自由な世界観を展開してきた。

ブリは、とある歌手のカバーアルバムで、『はじまりはいつも雨』を知りました。そこで「飛鳥涼」なる名前を聞きました。その後、知り合いの音楽ファンからチャゲアスを知り、飛鳥はメンバーであったと気づきました。そこから興味を持ったところで、例の事件が起きました。ブリは彼を全く知らなかったので、ファンからの話、本、楽曲、動画、彼のブログから、チャゲアス、飛鳥のことを詳しく調べました。チャゲアス、飛鳥ソロを全て聞きました。飛鳥は、独特な個性を持つ、シンガーソングライターです。次第に、興味が高まり、ブリは今までにない葛藤を乗り越え、大切な音楽に気づいていきました。
周りに飛鳥のことを話すと、以下のことを言われて、この記事を書く動機になりました。

「刑事事件を起こしたアーティストは支持したくない」
「もう古いアーティストでしょう。飛鳥が好きなファンは、彼と同じ、60代が多いよ。君は若いアーティストを聞いたほうがいいよ、音楽は流行が変わるから」
「飛鳥ソロって、チャゲアスと変わらないじゃない」

さまざまな意見がありますが、ブリは楽曲に対して、複雑な事情があっても、平等に聞いていく姿勢です。アーティストの人格と、個人的事情とは距離を置く考えです。ブリにとって、今まで刑事事件を起こしたアーティストはほとんど追い出されていたので、彼のような事情を受け入れるのは、初めてでした。彼の楽曲を尊重して、聞いています。
ブリは、過去の邦楽に抵抗感があって、聞かないでいましたが、自分が生まれた頃の邦楽には興味を持っています。チャゲアス、飛鳥の楽曲に対して、なぜか古臭さを感じません。時代を問わず、今でも通じる楽曲があります。初めて彼の歌声を聞いた時、何か温かい感情に包まれるような感覚がしました。昔の彼を全く知らないのに、昔から聞いたことあるような声、見たことあるような顔が、印象に残りました。楽曲を聞いていたら、ある日、夢に若き飛鳥が出てきました。彼がブリにゆっくり近づいて、ブリを見つめる表情をしていました。ブリに何か伝えたいような視線でした。夢を見てから、もっと聞いてみたいと思うようになりました。
チャゲアスの楽曲の多くは、飛鳥が作詞作曲したものです。しかし、ソロ曲はチャゲアスとは全く違う世界観があります。いろんな表情の彼をのぞける楽曲があふれています。

この記事では、ブリが飛鳥を知り、ブリの推しアーティストになっていた理由を3つにまとめました。飛鳥の魅力を書いていきます。チャゲアスとして、飛鳥ソロとしての作風を簡単にまとめます。さらに、他アーティストの提供曲について、紹介します。


☆独特で迫力ある歌声と感情豊かな歌詞

飛鳥は、低音域は息がきれいに流れ、中音域が太く響き、息と声を力強く出します。ゆるやかに語り、時には激しく伸び、抑揚をつけた歌い方です。話し声は低く、息が若干あふれ、潤ってかすれた声質です。聞いてて、心地いい声です。低く、ぼそぼそした話し方から想像できない、粘ってたくましい歌声がすごいです。全身全霊をかけて、歌を届けるようで、心を包みこむような熱を感じます。力強い、色っぽい、優しい感じです。

彼の歌詞は、一見難しそうな比喩の手法があふれていますが、読んでいくと、次第に意味が見えてきます。難しい言葉はなく、俗語や流行語は全く使われていません。人生において、人間の友情、恋愛、夢、喜び、悲しみを描いています。人間の感情を繊細に描写した歌詞です。喜怒哀楽の中にある感情を細かく見つめたような内容です。時には、空、風、星、宇宙を描き、哲学的な世界観を展開します。特定の誰か、具体的な状況を単に表すのではなく、さまざまな解釈ができて、共感できるような歌詞になっています。感情や物事を人や物に例えた表現をしています。歌の中でドラマを見せたり、幻想的な世界を描いています。
飛鳥は、少年時代から詩を書くことが好きで、詩集を出したことがあります。チャゲアス、ソロ作品の歌詞カードには、散文詩が掲載されています。

飛鳥涼『オンリー・ロンリー』(1984年初版、1989年復刻)
初めての詩集。恋愛、人生、音楽について、喜怒哀楽あふれる詩をつづった。
チャゲアス、飛鳥ソロの楽曲の歌詞もある。


☆幅広い音楽作風とポップな曲調

チャゲアスとしての飛鳥は、メインボーカルを歌い、チャゲと一緒に歌ったり、交互に歌ったり、コーラスを歌います。飛鳥曲は、彼が作詞作曲しています。リスナーに知られているチャゲアスの代表曲は、ほとんどが飛鳥曲です。たまに、チャゲ、他の作詞家たちとの共作もあります。
チャゲアスでの飛鳥曲は、「一緒に歌う」「人間愛」が主なテーマになっています。恋愛の出会いと別れ、人間の勇気や夢を描いた歌詞になっています。楽しいノリから、切ないメロディー、聞きやすいメロディーで、複雑な転調を繰り広げる楽曲があります。ポップス、ロック、バラード、フォーク、ジャズを合わせ、さまざまな作風を展開しています。リスナーを飽きさせない、幅広い楽曲が満載です。有名なシングル曲『万里の河』、『モーニングムーン』、『SAY YES』、『YAH YAH YAH』など、アルバム曲では『PRIDE』が人気です。ブリは、優しさがあふれる『オンリー・ロンリー』がお気に入りです。

CHAGE and ASKA『オンリー・ロンリー』(1985年)
失恋した女性への癒やしを歌うスローバラード曲。
後に飛鳥ソロでセルフカバーされた。
CHAGE and ASKA『PRIDE』(1989年)
チャゲアス12枚目のオリジナルアルバム。
表題曲は、くじけても、心の強さを失わない思いを描いた、
力強い楽曲。チャゲアスファンからの人気が高い。
CHAGE and ASKA『YAH YAH YAH/夢の番人』(1993年)
写真左がASKA、右がChage。
リスナーと喜びと怒りを共有できる、ゴスペル風ポップス曲。
邦楽界でチャゲアスの存在を強く刻んだヒット曲である。


ソロとしての飛鳥は、さらに独特な世界観、歌詞に秘めた感情を見せます。ポップスを軸に、いろんな音楽に挑戦する彼の世界観があります。
聞きやすいメロディーから、変わったメロディーまで、挑戦的な構成を生み出す楽曲があります。人間の内面、喜怒哀楽、哲学的な歌詞があります。チャゲアス曲と比べて、恋愛を描いた曲が少ないです。音楽を作る、飛鳥自身の感情を描いたようなものもあります。1987年にシングル曲『MY Mr. LONELY HEART』(マイ・ミスター・ロンリーハート)で、ソロデビューしました。代表曲『はじまりはいつも雨』『晴天を誉めるなら夕暮れを待て』『ID』『Girl』など、さまざまな作風の飛鳥を魅せています。チャゲアスの楽曲、他アーティストへの提供曲のセルフカバーを収録したことがあります。

ASKA『MY Mr. LONELY HEART』(1987年)
愛しい人を一途に思う気持ちを歌った、スローバラード曲。
彼のソロデビュー曲で、現在も続くソロ活動の始まりとなった。
ASKA『はじまりはいつも雨』(1991年)
恋する相手に会うたびに雨が降る様子に、思いを重ねるポップスバラード曲。
彼のソロ名義の知名度が上がるきっかけとなった。


飛鳥が他アーティストに提供した楽曲は、全部で30曲以上あります。有名な楽曲は、ジャニーズ系グループ、光GENJIに提供した『STAR LIGHT』『ガラスの十代』『パラダイス銀河』で、グループの知名度を上げました。他に、葛城ユキ『ボヘミアン』、ちあきなおみ『伝わりますか』、徳永英明『心のボール』など、1980年代のアーティストたちを彩る、邦楽ポップスを作り上げました。各アーティストのイメージに合わせて、分かりやすい歌詞とメロディーに仕上げています。それでも彼の独特な比喩表現があります。提供曲の一部は、チャゲアス、飛鳥ソロでセルフカバーされました。

葛城ユキ『ボヘミアン』(1983年)
相手に捨てられた女性の感情を描いた曲。
大友裕子の楽曲を葛城がカバーした。後にチャゲアスがセルフカバーした。
光GENJI『ガラスの十代』(1987年)
儚い少年時代の青春を歌う、アップテンポな曲。
光GENJIの代表曲となった。


☆お茶目なところと強い音楽愛

ここまで飛鳥の楽曲や作風について書きましたが、彼の魅力はこれだけではありません。一見、真剣な表情が多い彼ですが、子供時代から、いたずらっ子なところがあります。おもしろいトークで、天然なところを見せます。かっこいいマジメな表情から、くしゃっとした笑顔がかわいいです。相手を思いやる様子があって、優しいです。魅力的な歌声とそのギャップで、ブリはほほえましいと思いました。
楽曲作りはこだわり強く、音楽を強く愛する姿勢を持っています。彼の楽曲からは、熱い思いがあふれ、リスナーに届いてほしいと強く願うところを感じます。1989年頃のインタビューで、彼が音楽の思いを語った言葉が印象に残ったので、引用しました。淡々と商業的に音楽を作っている動機ではなく、いろんな人に寄り添った音楽を作るため、音楽を愛する思いで楽曲を作ってきたと、感じました。アーティストが必死に作った音楽を大切にしていきたいと、ブリは思いました。

『もはや、音楽が自分という人間のイメージそのものになっている。たかが音楽っていう気持ちにはなれないんだよ。そのイメージを落とすような音楽はやりたくないなとすごく思っているんだ。書いた曲がどんどん当たってくると、曲を書くペースが早くなってくるし、勘が冴えてくる。そしてレコード印税の報告書がくる。それで、これを続けていくとすごいなと思うんだけど、その時にものすごく悲しい気持ちになってしまうんだ。僕はお金のために音楽を書こうと思ってしまったんじゃないかって。きれいごとを言うつもりはないけど、こんな考え方をしていると、神が放っておくはずがない。何もかも取り上げられてしまうよと、自分に言い聞かせる。自分たちらしく自分たちのために、それから少しの人たちがすごくあったかい気持ちになれれば、という原点に戻って書かなければと、その度に思うんだ。それを何回も繰り返している。音楽=お金という感覚で続けていくと、絶対にいいものが書けなくなるっていうのはわかっているからね。それだけは間違えないようにしたいと思う。ちゃんとした気持ちで音楽をやっていきたいんだ』

石原信一『飛鳥論 ー けれど空は青』インタビューより(1993年)

いつもスーツ姿で歌うのが、彼のファッションです。彼のシルエットがきれいで、個性を出しています。自分から「かっこいい」とはあえて言わないところが、かっこいいです。シンプルなシルエット、熱唱する表情、体全体で歌を表現する姿が力強い存在感を出しています。

ポスター撮影をするASKA。
スーツ姿のシルエットが彼の個性を象徴する。


以上、ブリが思った飛鳥の魅力について、まとめました。ブリは、こんなにクールでシュールでキュートな歌手に出会うとは、想像できませんでした。力強く温かい歌声で、不思議とブリの心が晴れていきます。彼の強い音楽愛から、多くの楽曲が生まれました。彼の楽曲から感じたのは、「勇気」、「信じる心」、「人間愛」、これらを忘れてはならないと考えました。音楽を通して、人間の感情を伝える歌詞の世界が広いです。さまざまな出来事から、ブリは迷いを抱えましたが、彼が生きていてよかったです。ようやく勇気を持って、この記事を書けるようになりました。
最後に、ブリの好きな飛鳥の歌詞を紹介します。飛鳥ソロ曲の『けれど空は青〜close friend〜』です。彼の友人の話から作られた楽曲です。人生でいろんな出来事があっても、振り返れば、空が見守ってくれると教えてくれました。この先も、何かに悩んだら、あすちゃんの楽曲を聞いていくと思います。ブリは今日まで生きて、あすちゃんを知ってよかったです。心の底から、あすちゃんが大好きです。

長い嵐の夜が お前の胸の中にある
もしも涙で地図が濡れても
けれど空は 空は青

残さずに 残らずに
心のあるままに 向くままに
信じれば 信じれば いつもの空

ASKA『けれど空は青〜close friend〜』(1991年)

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