遊ぶように仕事をして、仕事をするように生きて、生きるように遊ぶ

ミチル元気です。
ときどきこうして、誰かに宛てて文章を書きたくなります。

みなさん元気ですか。悲しいことはないですか。
好きなものを好きですか。

ミチルは30歳になりました。

30歳ってすごく微妙で、子供ではないけど、すっかり大人って訳でもなくて、生き方によって輪郭が変わってくる、なんだかあやふやな印象です。
…ぼくがそう思ってるだけで、もしかして皆すっかり大人になってたりする?大丈夫?

娘はついに小学生。
凝り性で愛情深くて、ちょっと泣き虫です。

とにかく植物が好きで、とくに葉っぱが大好き。
暇さえあれば図鑑を見たり、花の絵を描いたりする。
クリスマスにサンタさんに「ユーカリのはちうえがほしいです。できればベイビーブルーがいいです。でもなかったらグニーでもいいです。」と手紙を書くぐらい。(手紙には続きがあって、「ころなになりそうだったらこなくてもOK」と、言葉こそ雑だけど、優しい。そしてベイビーブルーもグニーも知らないので慌てて調べた。)
ユーカリが一番かわいいらしい。

お友達は皆、かわいい柄の布マスクやカラフルなウレタンマスクをしている中で、なんてことない白の不織布のマスクが良いと言ったりする。「わたしはコレじゃなきゃ嫌なの…」とやけにドラマチックに言ったりする。

描いている途中の花の絵に「きれいだね」とか言うと、「まだ描き終わってないのに!」と大泣きしたりする。(なにか途中のものを見られたり、それに対して感想を言われたりするのがめちゃくちゃ嫌みたい。だから「完成」まで待つんですが、何かを「完成」させられるのってすごいと思う。ぼくは昔から、「始められる」より「きちんと終わらせられる」に美徳を感じるタイプだった。)

すごく人間みたいで、いや人間なんだけど、改めてすごく人間っぽさを感じて、人間が人間を産んで、家族でいることを不思議に思う。

育てている、に関してはよく分からない、あんまりそういう感覚がない、やばいかも。

そういえばぼくが高校生の時に「なぜ人を殺してはいけないか」という小論文を書く授業があって、そっから人に指摘することが苦手になってしまった。
どうやっても「人を殺しても良い」という結論になってしまったからだ。
ぼくは「人を殺しても良い」という結論を持っている人間なのに、正しい、正しくないを人に求められるのか?みたいな。
ちなみに人は殺してはいけないと思う。でも説明がつかない。

幸い、「いけないこと」に関しては、妻がマナーやルール、規律というものを慮る人なので、本当にありがたく思う。ぼくがぼくと子供を産んでたらめちゃくちゃ人を殺してたかもしれない。

妻はもう半年以上テレワークで、ぼくも独立して(独立した!)在宅仕事なので、娘が小学校に行っている間はふたりきり。

仕事中の妻はそれはもうバリバリ働いている。電話もめちゃくちゃかけるし、WEB会議もめちゃくちゃする。ずっと指が動いている。
ぼくがパソコンをパチパチやってるのを見て、妻が「ピアノ弾いているみたいだね」なんて言う、ぼくも妻を見てそう思ってたから嬉しかった。

日中はほとんど別々の部屋で仕事をしているけど、休憩が被ってばったりキッチンなんかで会ったりすると、なんか変にドキッとして、「これがオフィスラブか…?」という気持ちになる。へえ、コーヒーにはミルクだけなんだ、みたいな。知ってるんだけども。

妻に一目惚れしたのは15年前の15歳なので、なんと人生の半分、妻のことが好きだったことになる。15歳という自我のやわらかい時に妻に出会っちゃってるので、ほとんど妻でできている気さえする。
おかげさまで最高の人生だと思っている。

独立してから、仕事も休みもなく、めちゃくちゃ自己責任にはなったものの、足並みを揃えることが苦手なぼくにとってはかなり生きやすくなった。でも前職を辞める時はかなり寂しかった。寂しいからと思いとどまりそうになることもあった。

娘の小学校、テレワーク、独立、いろんなことが重なって、いろんなことが変わった2020年だった。
でも、やっぱり地続きだったようにも思う。

2021年も、ただてくてくと歩いて行ければと思います。
それではまた。