第五回:一年お疲れさまでした
今年は360日くらい脇毛がなかった。仕事を頑張ったということだ。
結婚するまで、知り合いのバーみたいなところで、キャバクラやホストクラブに届けたり、バーで出したりする果物を切るアルバイト、とまでは言えない、手伝いのようなことしかしたことがなかった。学校ではいつだって浮きまくっていたし、社交性のしゃどころかSの字もなかったぼくが、本当に働けるんだろうかと思っていた。
大学の先生に紹介してもらった事務所は、面白いところだ。いろんな人が居て、いろんな仕事がある。最初はデッサンモデルの仕事をしていたけれど、刺青が入っているので、傷扱いであんまり仕事がなかったので、すぐにチラシの広告やスチル、映像なんかのなんでも撮られ屋さんみたいな仕事に変更になった。
事務所にはぼくと顔が似ているらしい人が居る。彼とセットで仕事、ということも多々ある。彼はぼくの耳元でいつも悲しいことを囁くし、水をぶっかけたりシャツを切ったり、やりたい放題してくる。ひどいやつなのだ。でも、ぼくは、彼のことを嫌いになれない。「嫌いだ」と言われたので「ぼくも嫌いかも」と言うと、本当に傷ついた顔をする。肺気胸でぜいぜいしているぼくに「死ぬの?」と何度も聞くので「死ぬかもね」と言うと、泣きそうな顔で「病院に行こう」と言う。言葉の惰性で「死ね」と言われたとき、はっとした顔をして、「死ねは間違えた、ごめんなさい」と言う。ぼくがあれこれされているのを他の優しい人が怒ってくれたとき、ちょっと不器用なだけなんですと庇いすらしてしまった。正直、彼の幸せを祈ってしまう。
それから、貰える仕事はなんでもやろうと決めていたけれど、どうしてもやりたくない仕事があった。ポルノまではいかないような映像だったけれど、どうしても嫌だった。名前も知らないような、ぼくのことを人間とも思っていないような奴らの性欲をにこにこ笑って受け流すことに嫌気がさしていたのもある。取引先の人にお金を積まれ、脅され、それでもどうしても無理で、社長に泣きついた。社長は取引先の人を怒鳴り飛ばして、契約も切って、ぼくを守ってくれた。謝りすらしてくれた。なんでもやります、と気軽に言ったぼくのせいなのに。この人のために、ぼくにできることはしようと思った。
優しい同僚も、アンジュと呼んで愛してやまない後輩も居る。それでも、いろんな人が居て、いろんな仕事があるから、いろんなことを言われて、いろんな評価を受けて、辞めてえなと思うこともたくさんあった。どうしてそんなことを言われたのか、されたのか、分からないままのこともたくさんあった。相変わらずぼくは人の気持ちに鈍感だった。
よいこと、悪いこと、人生は半分半分だ。
少しの間だけケーキ屋さんと喫茶店が一緒になっているところで働いた。男はオーナーとぼくだけだったので、いろいろに巻き込まれずに済んだけれど、従業員の人たちの間では派閥やいざこざがあって、裏では結構ピリピリしていた。仕事も覚えることも多いし、スピードと丁寧さのどちらも必要だったので、こんなに落ち着いた喫茶店でも裏ではえらいことになっているんだなと思った。一ヶ月半くらいして、喫茶店が急に閉まることになった。新しいビルが建つので立退きしてくれとお願いされて、いい機会だからとお店をたたむことにしたらしい。ギスギスしていて、いつだって誰かが怒って怒られていたのに、最後はありったけの材料を使って大きなケーキを作ってみんなで食べた。ぼくも食べさせてもらった。なんでもかんでも乗ったケーキだった。みんな泣いていたので、ぼくも少し泣きそうになった。むちゃくちゃな味で、笑った。
もっと少しの間だけ猫の多い街にあるギャラリーで働いた。枕営業みたいなことをさせられそうになったので辞めた。こういうお金にしか縁がないんだなと思った。社長は良い人で、明るくて、はつらつとしていて、生命力にあふれていて、いろんなことに気を配ってくれた。他の社員の人たち二人もみんな心が清らかで、凛としている人たちだと思っていた。ぼくの心も浄化されていくように感じていた。そんな人たちに、当然のように、お客さんと一泊してきてほしいと言われて驚いた。人は見かけによらないというかなんというか。嫌です、無理です、と叫んで逃げるように辞めた。人間としてだめだ、社会人としてだめだ、こんなことではどこで働いたって同じことだ。そんな風なことを言われて、手のひら返しではないけれど、まあ、あの人たちは真っ直ぐすぎる人たちなのだと思った。街ごと嫌いになった。
翻訳の仕事は、ただひたすらに楽しい。ぼくだけのぼくのための何もかもを満たしてくれる。週に三日本社で校正やチェック、仕事の振り分けなんかの雑務をやって、翻訳は家で毎日やっている。穏やかで、誰かの役に立てているというのがこう、直接分かるので、ひとりの人間らしく居られる。締め切り前にヒイヒイしないためには、初動を早くすればよいのだと、当たり前のことにやっと気づいた。手さえつけてしまえばなんだって進むのだ。やれば終わるし、やらなければ終わらないだけなのだ。
もっともっと働きたい、と思う。あまりお金を必要としない人生だったので、お金をかけない楽しみばかり見つけていたけれど、いまはお金が欲しくて仕方がない。学がないので、正攻法ではお金を稼げない。どこまでをよしとするのか、それが問題だ。
お金を稼ぐ、の向こう側にあることを、いつだって忘れないようにしていたいと思う。
大きくなった娘がやりたいと言ったことはなんでもやらせてあげたいし、どんな病気にかかるかも分からないし、賃貸だったマンションは購入することにしたのでローンが超ローンだし。
そして、娘が3歳になったら、妻にウェディングドレスを着せて写真を撮るのがいまの夢だ。結婚式なんて恥ずかしいからいいの、と言った妻は、本当はどう思っているのか分からないし、ただ単にぼくがドレスを着た妻が見たいというのもある。その頃には、ぼくと結婚してよかったなと思ってもらえていたら、と思う。
娘は1歳になった。もうぼくの手を引いてテッテコ歩くし、挨拶もできるし、自分でなんでもやろうとする。ぼくが鉱物が好きだからか、公園に行くと石を拾ってきてぼくにくれる。最初は全部持って帰っていたけれど、妻に叱られてからは娘にばれないようにこっそり元に戻すようになった。家の中でもぼくがソファなんかでごろごろしていると、ぬいぐるみやおもちゃを持ってきてぼくの周りに並べる。妻もぼくも1歳のときのことなんて覚えていないけど、もし覚えていたら、どうしてそうしたのか聞いてみたい。
それから、妻に似ているなあと思うのは、靴が好きなことだ。この靴じゃなければ嫌だってことはなくて、今日はあの靴、今日はこの靴、と、1歳でも毎日の気分とかコーディネートとかを考えているのかもしれない。靴棚がちょっと遠いので、いつも抱っこして「今日はどのくっく?」と聞く。娘に聞いたら、妻にも聞く。「今日はどのくっく?」
1歳を越えてからよく泣くようになった!妻やぼくの後を追いかけてそれはもう全身で泣くので、泳いでいるみたいだと思う。完全に抱き癖がついちゃっているので、抱っこしないと泣き止まない。どうして泣いているんだか分からないときもあるけれど、そんなのは妻で慣れっこである。妻は娘が泣く度に、どこか悪いのかな、どこか痛いのかな、といちいち心配していたのに、今では「しょげないでよベイベ〜」なんて歌いながら娘をぎゅうっと抱きしめている。結婚する前までは想像もつかなかった妻の姿に大笑いしてしまう。
娘よ、すくすく大きくなってくれ、そう思って泣きたくなるような夜がある。
妻は今年も美しかった。昔みたいにきらびやかに着飾っている訳ではないけれど、美しさってそういうことじゃないんだなと思う。しゃんと伸びた背中と、血の色の透けたピンクの爪が好きだ。毎日美味しいご飯が食べられて、清潔な枕とシーツで眠れて、あたたかな湯につかれて、なんでもないようにそれらを整えていてくれるけれど、ときどき思い出して、なんてすごい人なんだろうと思う。ぼくは見合うお返しができているだろうか。
振り返ればたくさんのことがあったけれど、今年はあっという間だった、目まぐるしい年だった。
来年からは妻が仕事に復帰する。妻は仕事を愛しているので、ぼくは支えになれたらいいなと思う。
妻と、娘と、ぼくと、来年も三人仲良くやっていけたらいいなと思う。
来年の抱負は、「大黒柱〜外からも内からも〜」でシクヨロです。
みなさん今年はありがとうございました。来年もよろしくね。ピース!