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違和感を料理に例えて考えてみた

こんにちは!スピナビ ogaです!
(今日から、スピリットナビゲーターを略します)
自分の腑に落とす、心の声と頭で考える思考の部分に
フォーカスし、
私は口で発することと、
心で思うことと、
体で行動すここと

全て合ってる?に振り返り、違和感を覚えた出来事を沢山思い出した。
結果、自分から発することが無責任だった。。。と振り返り10年間。
自分の経験、体験を通しての反省を込めて・・・

違和感を料理に例えて、考えてみた

始めに、食べたーいの心の声に”けんちん汁”が上がった。
材料は揃っている。
・じゃがいも
・にんじん
・肉
・味噌
・だしをとる(鰹節、煮干し、昆布)
・他、けんちん汁に入れたいもの豆腐とか。。。
そんな感じで材料はあって、
ここからがポイント

だしをとる作業にかかり、煮立っただし汁にあくをとる。
あくをとっているうちに
肉じゃがが食べたくなった←衝動的に!
変更・・・
けんちん汁のよていだったが、肉じゃが作りに進む

ここで、納得していれば問題はなかろう
しかし、作るを進めいざいただきます!となった時に・・・

”肉じゃが美味しい。でもけんちん汁作るんだったな”
これを違和感と例えるのなら・・・

私はよくやっていた。
全ての事象に言える。
結局のところ・・・

作る目的の献立と作る過程で、自分の心が変わったのなら
まだ問題はないが、他からの意見や何かしらの情報で
瞬時に変更となったことで、後から他のせいにする
そこに問題となる、違和感が起き始める。

自分のやっていたことで、目的となることは分かっている。
材料となる知識、知恵、経験もある。
しかし、小さな目標をいくつかに分けていたところ
この投稿で言えば、
・だしをとる
・材料を切る
・ひとつのことを完結する

その目標にしていた過程で、
他からの情報に心が勝手に動いて
始めの目的がない自分になってしまう。。
そこに問題があった。

けんちん汁と肉じゃがを両方作って、納得する
時間もなかったし、とにかく小さい子供がいて
先にやってあげたい気持ちと、もともと周りの意見を
聞いて動いてあげたい思いが強い私は、
自分が自分でなくなっていた。

自分を取り囲む、人、モノ、事象から
私は教えてもらった。
料理に例えてみても、わずか家庭の中でのことだ。
ただ、この過程の中でもっと言えば、
家族にどうわかってもらうか
自分の中で自分の変化にどうなっていたか
自分が自分で納得しているか
納得していなくても、いいよね!で、気持ちよくいられるか。

そんな小さいけど大切な一コマだったりする。
小さくて、日常にありふれている違和感を違和感ともわからない。

違和感を料理に例えて、自分のやってきた出来事に
なぞらえた。
気づきをありがとう!


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