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「当たり前の存在になること」「特別になること」

子どもにとって
期間限定でしか会えない人たち。
例えば、教育実習生、保育実習生、おじいちゃん、おばあちゃん。

基本的にこのような立ち位置の人たちと子どもとの関係性がうまくできているように感じても別に関係作りが上手いというわけではないと思っている。

というのも、この人たちは「特別感」という最強の武器を持っているから。

親や担任より仲良くなれてるぜ!と勘違いしているそこの「特別感」を纏ったあなた。
いつも私が頑張っているのに、私は嫌われているのかな、と思ったお母さんや担任の先生。

お互いイーブンな状態でないので比べるのは馬鹿らしいなと思った方がいいと思っています。

ということで、僕は子どもたちにとって「当たり前」になりたいとおもうのです。
そうなった上で、きちんと向き合える関係を作っていきたい。

なんて思っていたら先日卒園生から
「会ったとき話しかけてくれてありがとう。」
と言われた。

嬉しかったんだけれど、だけれど、
なんだか寂しさの方が勝ってしまった。

そうか。
もう僕はあの子にとって当たり前にいる存在ではなくなってしまったんだと。

特別なやつの方が楽なんだけれど、
当たり前の存在にならないと安心感は与えられないし
きちんと向き合うことはできない。

絶対にどこにもいかないし、
絶対に私のことずっと好きだよな、
って思ってもらえるようになってからがスタート。

今回の特別は全然特別じゃない。寂しいもんだなぁ!

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