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【LoveRescue】色が無くなるほどの速さで③(菜摘の場合#2)

アキラと初めて会った次の日の夜、アキラの連絡先を聞こうとしていた店の子が昨晩死んだということを聞いた。

自宅アパートの浴槽の中で死んでいるのを発見されたんだって。その原因が自殺なのか他殺なのは分からない。昨日は復縁した彼氏とアパートで過ごすと言って嬉しそうに帰ったので自殺なんてありえないと思う。

自宅の浴槽の中で血に染まって死んでいたらしいよって店長に聞いた。発見されたのはその日の13時頃。合鍵を持って部屋に入った若い男性が第一発見者だと言った。

わたしは誰が犯人だろうとどうでもよかったけど、あの子が沈んでいた浴槽のお湯は13時には冷たい水になっていただろうなと想像した。かわいそうに。

昨日一緒に焼き鳥屋に行っていれば殺されなかったのかな、それとも自殺しなかったのかな。彼氏と復縁したって聞いたけど、あれは嘘だったのかもしれない。3人でごはん食べるのを楽しみにしていたのに、それをキャンセルしてまで向かった先はどこだったんだろう。

思いを巡らしている暇もなく、私に事情を訊きたいと言う警察がやってきた。最後に会ったのは私らしかった。わたしは昨晩の経緯を警察に話した。本当は友達とごはんを食べようとしていたこと、突然キャンセルをして部屋に帰ってしまったこと。

「それで、その二人で会うことになっていた男性はどこの人?」

中年太りで口臭がひどい警察官がわたしに訊いた。

わたしはふと思い出したんだ。あの子がキャンセルして来ないよってアキラに教えた時、「よかった」と安心していたこと。アキラは何か知っていたのかもしれない。

「どこの誰かはよく知らない、連絡先も聞くの忘れた」とわたしは警察官に答えた。

「よく知らない人と食事に行ったりするもんなのか?」と不審そうな顔をされたが、わたしは無視をした。嘘じゃない。わたしはアキラの連絡先を知らないのだから。

警察官が帰った後、わたしは死んだあの子と仲が良かった男の子を捕まえて、アキラというのがどこにいるのか、どうやって連絡をつけたらいいのかを聞き出そうとした。すると誰もそんな奴は知らないと言った。死んだ子は誰にもアキラのことを話したことがなかったみたいで。

私は仕事をするような気分じゃなくて、店のソファに座って昨日のことを一生懸命思い出していた。西新宿の自宅でバイバイと手を振った後、どこにどうやって帰るんだろうと思った。あのまま、あの子の部屋に行ったのかな。そしてあの子を殺したのかな。でも自分を殺すかもしれない男と、あの子はあんなに会おうとするのかな。会いたがっているあの子とは対照的に、アキラは会いたくなさそうだった。

ただの大げさな妄想だったらいいけれど。

アキラと再び会うことになったのは、意外にもその次の日の夜だった。アキラはJRの東口から毎日駅を出ると聞いていたから、次の日の16時から東口にいたんだ。あの風貌なら雑踏の中でも見分けがつくはず。

案の定、アキラは17時50分頃に現れた。眼鏡をかけていたけど、髪の色と体型で分かった。私は後ろを走って追いかけて、アキラを捕まえた。

アキラはわたしを見て驚いたみたいだった。

「このまえ連絡先を聞いていなかったから待っていたんだ」とわたしが言ったら、「俺も連絡先を聞いてなくてがっかりしてたよ」と笑って答えてくれた。

「警察がアキラを探してるね」

「警察ね、来たよ昨日。あいつ死んだんだろ」

「そう。殺されたの?」

「分からないけどたぶん彼氏だろ。金で揉めてたから」

「最初に見つけたっていうのが彼氏?」

2歳年上の彼氏はあの子にいつも小遣いをせびってた。2万円、3万円とその都度渡す関係だったけど、渡すお金がないと殴られていた。だからお金がないときはアキラたち男友達に頼って借りていた。借りて彼氏に貸していた。

それで昨日も彼氏がやってきて、喧嘩になんだんだろってアキラが言う。

「そうなんだ、アキラが殺したのかと思った」

「そんなわけないだろ」

アキラは声をあげて笑った。

アキラは、「今日は仕事何時に終わるの?終わったらメシ食おうか?」と誘ってくれた。

「その前に連絡先教えて」

アキラは私に、電話番号を書いたメモを手渡した。

その日の深夜0時にカフェでまた待ち合わせすることにした。なぜだか、わたしは機嫌がよくなってしまった。死んだあの子のことは忘れてしまっていた。

そこからアキラとは頻繁に会う関係になった。

「アキラと付き合ってるって?」とわたしに突然言ってきたのは、店長だった。誰かから聞いたんだと思う。

あいつ、やめとけ。胡散臭すぎる。そう言った。「何人オンナがいるかわかったもんじゃない。女から金をむしり取るやつだって聞いた」

でもわたしはもうアキラと付き合っていたし、食事してもどこに行っても、お金を出したことは一度もなかった。アキラは割り勘をしない。お金を貸してとも言われたことがない。

人の恋の事情に土足で入ってきて親心を気取るおっさんが大嫌いなんだわたしは。わたしの恋はわたしが全部決める。誰にも相談なんかしないし意見なんか欲しくない。そんなものが必要だったら恋なんかしない。

わたしはアキラとの恋愛に夢中になっていた。毎日のように会い、毎日のようにどうでもいい日常の出来事を言葉で教え合う関係に、わたしは夢中になった。今までそんな恋愛をしたことがなかった。同級生の男子とマックで割り勘するようなデートしか経験がなかった。

アキラとの恋愛は、感情と感情にかけられた冷たい木製の橋を素足で渡るようなもの。時々体が動かなくなるほど疲れてしまう。でもその橋がないと生きていけなくなる気がする。見ている世界をわたしも見たくなる。でもそのままフィルターなしの視界を移植したら、きっとわたしは死んでしまう気がする。その冷たさと、孤独さと、その熱量で。わたしの目が凍てつき、溶けてしまうかもしれない。

アキラはわたしを離そうとしない。わたしとの時間をどんどん増やしていく。わたしはアキラの思考に染まってしまうのが時々怖くなることもあった。

アキラとわたしは、よくわたしの自宅の近所を散歩した。こんなところ歩いて何が楽しいの?ってわたしは訊いた。すると、「17歳の菜摘が歩いた道や、10歳の菜摘が見た景色を俺も見るのが楽しんだよ」と言った。

変わってる人だなっていつも思った。この人は、2人ですることよりも、2人で見ることのほうが大切な人だって分かったのは、もうすっかり秋が深まった頃。

そんな秋を超えて、マフラーをする冬がやってくるころ、わたしは時々憂鬱さを感じることが増えた。アキラが嫌いなんじゃない。ときどき、悪く酔ったようになってしまう。

わたしは夜の仕事を続けることが出来なくなった。男たちに媚びを売ることができなくなったんだ。私の中の何かがどんどん複雑になっていて、単純なことができなくなった。汚いオヤジにお世辞を言ってお金をもらうことが、情けなくなってしまった。

でもアキラはおばさん達に身体を売ってお金を稼いでいる。わたしよりももっと露骨で、もっと恥ずかしい仕事をしてる。でも、わたしはもうこんな仕事をしたくない。

それに・・・

アキラという存在に影響されて、そして依存していくかもしれない自分に怖くなった。依存できる相手なのかも分からなくなった。過去も、現在も、未来も、どんどん組み替えられていくような不気味さを感じた。

アキラのいない17歳っていう年齢があったのかさえ、分からなくなる感覚まであって。

わたしは、恋愛というものが何かさえ分からなくなった。

それでもアキラと一緒に長い時間いたけれど、1993年の2月、もう私は限界だった。

この人は好きだけど離れたい。そうじゃなきゃ私が壊れてしまう。そう思って、アキラと連絡を絶つことにした。きっと繊細なアキラは動揺し、傷つく。でもわたしも傷ついている。何に傷ついているのかは分からないけど、アキラを嫌いになる理由が必要な自分に気づいた。

アキラを忘れるために、好きでもない男と夜飲みに行くようになった。アキラほど繊細でも敏感でも才能があるわけでもない退屈な男と。

ある日、歌舞伎町のはずれの小さな居酒屋で男友達と食事していると、隣に座ったサラリーマンが悪酔いして私たちに絡んできた。このガキが、俺をバカにしてるんだろうと、男友達の胸ぐらをつかんできた。なぜ突然そうなったかは分からない。ただ、つまらない話をして笑っていただけなのに。

「帰ろうよ」とわたしは言った。店員の若い男がおどおどしながらサラリーマンを押さえようとしたけれど、「なんだてめえは」とか大声で怒鳴り店員を殴ってしまった。若い店員は床に頭を強く打ち、動かなくなった。店の中が騒然として誰かが「救急車!」と叫んだ。

「死ねよおまえらー!」酔ったサラリーマンは大声で叫んで椅子や机を蹴飛ばしていたけれど、周りの客が大勢で男を取り押さえた。

つまらない光景。アキラがいたらなって、わたしは考えていた。アキラといたら、こんな店に来なかった。好きでもない男友達と夜をやり過ごすようなことはしていなかった。この夜だってアキラと深夜に待ち合わせをして歩いて送ってもらうはずだった。

アキラとまた会いたいと思いながら、でも、と思い直した。

あんな気持ちになってしまうのが怖い。まだ子供なわたしには、あの濁流みたいな感情の川に飛び込んで生きている勇気がない。

アキラを嫌いな理由を、頭の中でまた思い出して、虚ろな気持ちで家に歩いて帰る。いつかこうしているとアキラとすれ違うのかもしれない。それを期待している自分もいたけれど。

次回は【美彩の場合】です

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