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【LoveRescue】1994④

目が覚めたのは、朝の10時だった。フロントに電話をしてみると、荷物を預かっているという。すぐに社長に電話した。社長は早朝までセックスしていたとは思えないほど張りのある声をしていた。

そのお金は金融機関に預け入れたりしないように、2回確認された。
もちろん。記録に残ってはいけないお金なのはよく心得てる。そういう金が時々俺の周りには流れてきていた。でも当時の俺はそれがどういうことなのか分からなかった。ただ、いかがわしい金であるのは疑いようがないようだった。

バスルームの浴槽にお湯を張り、30分浸かってぼんやりしていた。ホテルの浴槽にしては広くて足が伸ばせた。体を見ると、痣と、キスマークという名前の内出血があちこちにあった。その日の夜は東京で出勤だった。このままじゃ仕事できないなと思ったが、もう考えるのが面倒になっていた。

風呂からあがって部屋の窓を開くと、ひんやりした風が入ってきた。あ、これが北海道の風なんだなと思った。空が青く広がっていてさ、この大きな大地はもともと日本人のものじゃなかったんだよなとかどうでもいいことを考えてしみじみした。サッポロっていう名前も、そもそもアイヌ語かなにかだろ。

ミナに電話したら、2コール目ですぐに出た。声が震えていた。
「なんとかなったから」
俺はそう言った。札幌にいるとは言わなかった。ミナが何かを言おうとしていたが、俺は電話を切った。

セックスのしすぎでケツと膝がひどく痛んだ。ゆっくりと着替えて、金色の髪を整えて、ロビーまで行った。
フロントでチェックアウトするときに、黒い艶のある大きな革のバッグを渡された。フロントの女性がカウンターから出てきて少し重そうに手渡した。

1000万円。100万円の束が10個。実はさほど重くはない。重く見えたのは俺の緊張と、なんかやっちゃいけないことをしてる感じがしたからだと思う。

「返す必要はないよ。でも、来月必ず札幌に来て。」
社長はさっきそう言った。返す必要はない。借用書もない。ただ、札幌に来い。そしてまた奴隷になれ。そういうことだった。
バッグの中には幾つかの紙袋に入れられた札束と、もう一つ、アキラへと書かれた封筒があった。その中には10万円と一筆箋。
「今日は一緒にいられないけど、帰る前に美味しいものでも食べていって」
たぶん高級な万年筆で書いたんだろう。ボールペンなんかじゃない筆跡だった。

俺はトイレの個室で札束を自分のショルダーバッグに移した。何かもう、戻れないところに来たと腹を決めた。

この世界で、返さなくていいカネを借りるということがどれだけのことを意味するのか。
そういうことと、ミナの存在を天秤にかけることはしなかった。
たとえミナが俺の世界からいなくなると分かっていても、俺はきっと必死になってミナを助けようとすると思う。そもそも、貢献って、何かと引き換えじゃないんだよ。お前が大切だから俺は貢献するっていうだけ。貢献したから愛してくれとか、一生いてくれなんて、ほんとはそう言いたいけど、違うんだ。

腹が減っていたけどそのまま飛行機に乗って東京に戻った。東京湾に向かって飛行機が降りていき、港の汚れた建物のすぐ真上をゆっくりと飛んでいた。着陸すると、いつものことながらホッとする。
都内に入って電車に乗っていると、いつもの景色がまるでセピア色に見えた。ざらついた粗いキャンバスに描かれた写実的な絵のようにも見えた。

ミナに渡すと、「死んでも返すから」って何度も言った。
「絶対アキラを裏切らないから、絶対アキラの言うこと聞くから、絶対もうワガママ言わないから、絶対、絶対、絶対、」

絶対がなにもない若いミナが、絶対と言うたびに少しげんなりした。いいんだ、お前はいずれ俺の世界から消えてくから。そう俺が言うと、「なんで!」って言った。「ありがとう○○くん」そこだけ俺の本名を言った。本名を覚えていたのに少し驚いた。

この1000万円が必要なミナの事情はなんだったのか、その後8年してから分かったが、この時はもうその理由はどうでもよかった。

札幌の社長が翌週に東京に仕事で来た時に夜お供した。カネを返す話をしようとしたら遮られたのでできなかった。赤坂にある有名ホテルの豪華な客室で、いつもとは違うまっとうなセックスをした。母親よりもずっと年上の女だけど、こんなふうに若々しい40代になりたいと思えたよ。

そのさらに翌月、約束通りプライベートで札幌に行こうとしていたら、2日前に電話が来て突然キャンセルになった。次の予定もまだ分からないと言われた。なぜだかがっかりしたけど、数週間もすれば忙しいのも落ち着くだろうし、社長にプレゼントしようと思って買っておいた包みは、ミナに見つからないようにクローゼットの奥に隠した。

しかし、東京の青空が秋の高さになる頃になっても、一向に連絡がなかった。

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