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【The Weekend】星探し (2019年)

The Weekendは、不定期で週末に気まぐれでスケッチをしてみる企画です。ほんとうに気まぐれですので、あしからず。

19歳の風俗嬢と、最近よく会っている。

その子の年の離れた姉が、俺と一緒に働いていた風俗嬢だった。

もうむかしの話。15年以上前。

姉は源氏名をNといい、精神的に自立しているタイプ女性だった。知能が高いのか思考経験が豊富なのか分からないが、独特の言葉選びで話をする。
風俗の仕事のことを「星さがし」と呼んだ。なぜ星なのか、なぜ探すのか、最初は分からなかった。


Nは当時20歳だったが大人びて見えた。背が172センチあり、黒いタートルネックのニットにポニーテールという姿をよく覚えている。仕事の時だけ髪を下ろす。髪を下ろすとどこか幼い印象になった。

Nは風俗の仕事でお金を貯めて大学に行くのと俺に教えてくれた。優秀な進学校を卒業したが家庭環境が複雑で進学を諦めたという。再婚を繰り返す母親、離婚のたびに困窮する家計、高校の学費さえ滞納することも多かった。大学進学を考えていた時期、母親がまた再婚をした。相手は当時50歳を過ぎた貧乏そうな男だった。

「母が出会い系サイトばかりやっているから。」とNは言った。

出会い系サイトで見つけた粗末な男達はどれも仕事こそしていたものの、所得が極端に低く、母親にお金を渡さなかった。母親のパートの仕事で家族は暮らしていた。

そんな状況では大学など不可能だし、奨学金を借りるにしてもそもそも受験費用さえなかった。もう将来のことなど考えることさえ億劫になっていた。


Nは自宅に居場所がないと感じ、学校帰りは深夜になるまで街を彷徨っていた。駅のコインロッカーに入れておいた私服に着替え、ひたすら街を歩いた。繁華街の灯りをくぐり抜け、暗い住宅街で自分の影を追って。


「星さがし」という言葉は、この時、自分のその時間つぶしのことだったと、Nは俺に教えてくれた。

「星が見えていたの?その頃」そう俺は訊く。

「見えないよ。明るい都会だったから。でも私は星を探している冒険家だって空想していた。」


俺は、Nの高校生の頃の姿を想像した。私服に着替えて、都会のビルとビルの狭間をすり抜けてどこかに消えていく脚の長い高校生。
Nに感情移入をして風景を想像をしてみることが好きだった。


風俗の仕事は多かれ少なかれ精神を蝕むような世界だ。お世辞にも綺麗な仕事ではない。

本当はこんな仕事なんかしたいわけがない。俺にはそうは言わなかったが、大学を目指すような優秀な女性がいたい場所のはずがない。でもNはいつも笑顔で過ごしていた。みんな愚痴ったり途中で投げ出してしまうのが当たり前だが、なぜか笑って仕事をしていた。

風俗嬢のことを晒してあげつらうネットの掲示板サイトでは、Nのことを「根っからの変態」だとか「風俗が天職の性欲娘」だとかいつも書かれていた。風俗客の知能レベルなどそんなものだ。


Nにとって風俗で働くとは、孤独を募られながら深夜まで彷徨うあの暇つぶし、星さがしの冒険と同じだったのだろう。もちろん、預金口座には信じられないような大金が舞い込んだわけだけど。


Nは風俗という「星さがし」を辞めた後、予定通り大学に進学した。センター試験の前々日まで客を取っていたので、本当にすごい集中力でずっと勉強していたと思う。希望通りの大学に入学し、大手企業の勤務を経て、今は結婚もしていると知人から噂で聞いた。

仕事を辞めてからもう話をすることもない。俺のことは忘れてくれていい。風のうわさでいいから、「まとも」な生活をしていてくれたらいいなと願っているだけ。

そんなNの妹が、19歳の風俗嬢。

姉がNなんです、と、初めて俺に連絡をしてきたのは、夏の終わり。俺の体調が最悪の時期だった。窓からは夏の終わりを感じさせる風が流れている深夜2時のこと。

一睡もできず最悪の精神状態の中でも、俺はNという言葉に反応した。

妹?そうだった。父親が違う妹がいて、手を繋いで俺に会わせたことがあったな。コロコロ歩いてほっぺの赤い可愛い女の子だった。抱っこもしたことがある。あの子のことかな。

その時は「近いうちに会ってほしい」という意味のことを言われたが、俺の体調が少し回復したらねと、俺はしばらく会うことはなかった。そのまま、妹のことを忘れていた。

最近、妹からメッセージをもらい、また思い出した。

「会えますか」とNの妹は言った。

冷静になって考えてみると、俺は少し戸惑ってしまった。無視してもいいのではないか。本当にNの妹だとしても、ノスタルジーでその妹と会い、懐かし漫談を繰り広げる趣味は俺にはない。Nとはもう終わった関係であって、その周辺とは積極的に絡みたくはない。Nという女性にとって俺は、きっと思い出したくない過去のトラウマだろう。

会うわけにはいかないよな。

しかし・・・Nの顔が思い浮かんだ。あの頃、楽しかったなと。

抱っこしたことがある小さくて可愛い女の子を、こんな形で裏切っていいいものなのか。それに、なぜ妹まで風俗をしているのか。

3日間ほど考えた末に、Nの妹に返事をした。会うよ、と。場所は駅前のファストフード店。フライドポテトが揚がったのを知らせるアラームが鳴り響いているような店。

「ありがとうございます。すごくうれしいです。」とNの妹は返事をくれた。

約束した当日、15分遅れて約束のファストフード店に入ると、妹が誰かすぐに分かった。人混みの中でも、俺にははっきりと分かる。

背が高く、大人びた雰囲気の19歳。ノースリーブの淡い水色のワンピースを着ていた。あの子だと思った。Tシャツにショートパンツ姿の女性が多いそのファストフード店で、ひときわ場違いの雰囲気を漂わせていた。

俺を見ると、ぱーっと花が咲くような笑顔を見せた。うわ、Nにそっくりだと思った。

「ひさしぶりだね、えっと・・・名前は・・・」そう俺は言った。

「ゆうかです。」

そうだ、ゆうかだ。

「姉は今ね・・・」とゆうかが楽しそうに話しだそうとしたので、俺は制止した。

「ううん、言わなくていい。Nが俺に知られたくないことかもしれないでしょ」と俺は穏やかに言った。

「気にしないと思いますけど、分かりました。アキラさんに訊かれるまで言わないことにしますね」ゆうかが答えた。

ファストフードのやけに香りの強いコーヒーを啜りながら、ゆうかの話を訊いた。

今、風俗店で働いていること。

親が離婚と再婚を繰り返し、家に居場所がなく飛び出したこと。

風俗で働いていることが彼氏にバレて、別れてしまったこと。

そこには、なぜアキラと会おうと思ったのかという話は含まれていなかった。俺に会いたいと思ったのは何故なのか、何を伝えたいと思ったのか、そういう話を、ゆうかはしなかった。

「ちょっとドライブしよう」と俺が誘うと、ゆうかは喜んでいた。駐車場まで歩いて行く。後ろ姿があの頃のNに似ている。ボルボXC70に乗り込み、走り出した。

「海でも見にいこうか。」

街の渋滞から抜け道を探して、坂道を登ったり降りたり。海に着くまでの間、ゆうかはずっと自分の話をしていた。

状況がつかめない話もあったり、俺の知らない世界の話もある。風俗の仕事については特に話はしなかった。将来はこんな仕事についてみたいとか、大学は・・・姉と違って頭が悪いし行けないなとか。お金?お金だけはあるよ、とか。

どこか掴みどころがない、ぽわんとした話をする。

不思議なんだが、こういう「遠くの鐘の音」を聞くような曖昧な会話をしていると、心の滓が洗い流されていく気がする。

アキラさんは?19歳の時は何をしていたの?ラブレスキューに出てくるあの話はその後どうなったの?なんて質問されて、俺もあいまいなことを言う。

俺の話だって分かりやすい話は何一つしない。ゆうかにとっても遠くの鐘の音を聞くようなものだろう。

埠頭の近くに車を停めて、古い喫茶店に入った。築50年以上の古い木造の民家を改造した喫茶店で、窓際の席から港が見える。見た目が親子のような2人が入ったので、店主の中年女性が、「お父さんとコーヒーなんて素敵ですね」とゆうかに声をかけた。

「はい」とゆうかは笑って答え、俺を大きな黒目の瞳でチラッと見た。

ふふ、と2人で含み笑いをしながら、夏の終わりの少し曇った海を眺めていた。

コーヒーが苦い。

俺ね、知ってるよ。そう口に出さずに思っていた。

伝えたいこと、言いたいことほど言葉にはならないってこと。

俺だって、19歳の時、そんな風に話をしていた大人の女性がいた。会うたびに、ただ東京の路地裏を歩くだけだった。そこに何があるわけでもない。ただ歩いて、他愛もない話をする。

遠くで鳴る鐘の音を、ただ、ぼんやりと聞くような時間が嬉しかったことを覚えている。

星さがしの話を教えてくれたNのこともぼんやり考えていた。

星を探して路地裏に迷い込む10代の夜のことを空想した。夜の路地裏に伸びるNの長い影。

「またこうして会ってくれますか?」とゆうかが言う。それから、一冬が過ぎようとしている今まで、ゆうかとは何ら具体的な話をしないまま、時々会い、一緒にコーヒーを飲んでいる。

ゆうかにとっての星さがしに付き合い、俺もまた、星を探すふりをしている。
それは孤独にかられて街を彷徨う冒険のようなもの。

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