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必要なのはアドバイスではなく、ベシャリだよ

まだ土着的な夜のお仕事をしていた頃、スタッフの嬢たちの間で習慣になっていたのは「アキラに質問タイム」だった。
深夜の暇な時間帯、ボスの俺になんでも質問してみるという単純なものだった。
事務所でお菓子をつまみながら大勢で話すこともあり、あらたまって個別に質問してくることもあり。

嬢たちの年齢は10代から20代半ば。言うまでもなくその年頃の女性は大変だ。将来の不安はあるし、思春期をくぐり抜けたばかりで鬱屈した自暴自棄みたいな行動もよくする。彼氏とトラブルを起こしたり、親と関係がこじれてしまったり。複雑怪奇な心を抱えてやっていることはエロの商売。
頭がおかしいと彼女たちはよく言うが、はたから見ていてもそう思う。

そんな彼女たちも23~25歳にもなれば、みんな自意識過剰のトンネルを抜けて巣立っていくのだけれど。

彼女たちからはいろいろな質問を受けていた。

「客の男が、”君は初恋の人に似ている”って言うことがめちゃくちゃ多いけど、あれどんな心理?」

「愛を感じるってどういう意味?分からないのだけど」

「妻が元風俗嬢って、男は本音では嫌なの?」

「彼氏が浮気しているけど、私が本命かどうか確かめる方法は?」

こんな質問に対して彼女たちが期待している答えは何か。
年をとると勘違いしやすいんだよね。
彼女たちがボスに求めているのは「正解」でも「模範解答」でもない。ましてやアドバイスや常識でもない。
彼女たちに自分で考えるように促す教師役を期待されているわけでは絶対にない。

ではなにを求めていたのか。

それは「会話」だった。

答えも正解もどうでもよくて、日ごろの鬱屈した感情を投げつけたり、撫でたりしながら、だらだらと会話がしたかったのだ。別にボスのことを尊敬しているわけじゃない。物知りだと思っているわけでもない。
でも、「会話が上手な男」だとは思っていたはずだ。

彼女たちの周りにいる男たちは、語彙数も少ないし好奇心もない。そんな男たちと比べたら、俺はベシャリが上手いだろう。知識というか雑学もある。本も新聞も読んでいる。レスポンスのいい話し相手としてはボスの俺は適任だと思う。

そんなアキラとのベシャリで救われていたわけ。質問をしたふりをして、会話がしたいというだけ。

午前二時に仕事を終えてからも、ラーメンを食べに行って話し込み、明け方までカフェでだらだらしながらまた喋り。結局最初の質問なんかどうでもよくなっていて。
「眠くて疲れたけど、楽しかったなー」と満足げに彼女たちは帰っていく。酒もないのにこんなに話し込めるなんてと。

これは夜のお嬢様相手ではなく、普通の人と話すときも気をつけている。

愚痴を聞いてほしい人に、正論で答えを言うべきではないことはあるだろう。
相談という建前でお喋りがしたい人もいる。
悲しいという気持ちが消えるまで喋り倒したい人もいる。

そんな場面で絶対にアドバイスはしないことにしている。

年をとるほどにアドバイスを他人にするなど自殺行為だと思う。他人からの信頼も人望も失ってしまう。誰もアドバイスが欲しいなんて言っていないのに、好き勝手に評論しアドバイスし始める中高年世代は驚くほど多く、痛いなと思って見ている。

あの頃のスタッフたちと会うことはほとんどないけれど、機会があると話をする人たちもいる。
彼女たちはあの頃の質問タイムのことをよく話題にする。
「あの無駄話、ほんと救われたんだよねー」と。

そう、質問じゃないのだ。無駄話。
無駄話が鎮痛剤になるんだよな。

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