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いつまでも子供のままで

大人になるということに、憧れを持っていたのは10代の頃だった。

 

17歳、18歳の頃、青森の田舎町で暮らしていた俺は焦りのような、憧れのような、コンプレックスのような複雑な気持ちを抱えて生活をしていた。

 

田舎の進学校に通う俺は、病気のせいで落ちこぼれていた。卒業さえ危ぶまれる学力でまともな受験が出来るわけがなかった。同級生たちはみんなまともな家の育ちの優等生ばかりだったよ。高校3年生の夏休みは、東京の予備校に講習を受けに行く子が多かった。たぶん俺だけが勉強もせず、商業高校の派手な女の子と遊んだり、19歳の無職の女の車に乗せてもらって海に行ったりしていた。

 

付き合っている彼女もいたけれど、とても優等生だったので遊ぶ暇なんかなかった。親の経済状況の事情で国立大学しか受けられないと言った。受験費用も借金だから、浪人もできないしいくつもの大学を受験するわけにいかないのと。

 

俺は受験の仕組みすら知らなかった。同じ高校に通っていながら。初めてのセンター試験が実施される年で、その対策も同級生たちは話題にしていた。

 

彼女の真剣な勉強を邪魔するわけにいかないし、という言い訳で彼女とは正反対の派手で遊び上手な女の子達と遊んでいた。卒業したらどうするの?って俺が誰に聞いても、「知らない」としか言わないような、そんな程度の低い集まりで。

 

でも俺は、大人になっていくということに焦っていた。

きっと同級生よりも、「お金にまつわる光景」を見る機会が多かったからかもしれない。パパと呼ぶおじさんに買ってもらったトヨタ・セリカに乗る19歳の女、派手な女の子たちが財布の中に入れている沢山の一万円札はオジサンたちに身体を売っているからだったり、お金もないのに女の子たちにすり寄ってきては断られると暴言を吐く20代の男たちとかね。

お金と、仕事があるっていうのは当時の俺にはとても大人の世界だった。お金で出来ることも多いし、逆に馬鹿にされることもあるんだと知った。親にお金がないせいで、受験も大変なんだということも知った。

 

俺は、お金を持てるようになるんだろうか。そう漠然とした不安というか、憧れというか、焦りを抱くようになった。

 

今思うと、大人になることへの焦りではなく、子供っぽくいることへの嫌悪感だったのかもしれない。

子供っぽさ、幼さへの恥ずかしさと苛立ち。童顔だった俺は、可愛いと言われることがとても嫌だった。男の子と言われることも嫌だった。前の年の写真すらガキだと全否定した。前の年に自分が考えていたり好きだったものすらすべて否定した。

 

服装もそう。わざと大人びた格好をしようとしたり、タバコを吸ってみたり、理解も出来ないのに今でいう意識高い系を気取りたくて難しい本を読んだ。

中学の時に小遣いを貯めて買った、当時のプロ原型師のフィギュアがあった。とても気に入っていた宝物だった。でもそれを好きな自分が不安で気に入らず、捨ててしまったりした。それが今で言うところの断捨離の歪んだ本質かもしれない。

 

そうして俺は大人になっていくこと、大人として認められることに焦っていた。

 

18歳で東京に引っ越してからもそれは続いていた。田舎と比べて圧倒的なエネルギーで溢れている1990年の東京では、ここが俺の居場所だと強く思ったものだった。きっと自分の大人への焦りを受け止めて余りあるパワーを感じていたんだろう。

当時の居場所は新宿だけだったけれど、街を行き交う大人たちはみんなオシャレで自信に溢れているように見えた。初夏になると大人の女性たちがノースリーブの服を着て髪をたなびかせて颯爽と歩く姿を見て、すごいなあと圧倒された。

18歳の子供が一人で入れるような店は一つもないように見えた。

 

18歳までの自分の人生の哀れさと寂しさと幼さを全部忘れてしまおうと、俺は思う存分に背伸びをした。背伸びをしても東京という街のエネルギーは全部受け入れてくれているようだった。

 

まあでも、俺が出来ることはダイエーでアルバイトを始めることくらいだったけれど。

出会いは次々に連鎖して、

 

気が付いた時には夜の街で働いていた。

 

そして、「アキラ」という名前になった。もちろん源氏名だ。本名はもっと可愛くて幼い名前だ。

アキラという名前の由来はいくつかあるんだが、違う人格を手に入れたかのようで嬉しかった。

新宿にいるだけで自分が大人になれた気がした。

 

でも。

当時の俺に忘れられない言葉を言った女性がいた。

ラブレスキューで「パンク」として描いた年上の女性だ。パンダのような化粧をして折れそうなくらい細い体に黒い服を着た彼女と、休みの日に一緒に映画に行ったことがある。ジム・ジャームッシュ監督の何かの映画を小さな映画館で見たと思う。

その帰りに、駅の近くにある店の前を通った時、俺は「あ」と声をあげた。アニメのキャラクターのフィギュアを売っている店だった。中に入ることはしなかったけれど、俺の顔をパンクが横から眺めていた。

 

何日も経ってから、パンクが俺に言った。

「あの時のアキラのことをいつも思い出すよ」

フィギュアに夢中な無邪気な田舎の子供の顔をしていたと。

俺は反射的にその話題は避けた。子供っぽいと言われたくなかった。そう言われるのを恐れていた。

 

それから月日が過ぎ、20代の半ばにもなると、自分が大人か子供かなんてどうでもよくなった。人生に辛い不幸が立て続けに起きて、人生が俺に要求するものが試練なのか呪いなのか分からなくなっていたからだ。

 

そんな時代、風俗店の仕事をした。こんな仕事をしたくはなかったが、残念ながら俺にはアダルトな才能があるらしく、その世界では挫折を一度も味わったことがない。自分の才能を受け入れるためには、それから20年近くの歳月が必要だったけれど。

 

事務所にはたくさんの女性がいた。複雑な経緯や生い立ちを持つ子もいれば、お嬢様育ちもいた。大人びた子もいるし、幼さを卒業できない大人もいた。

30代を超えても幼さが残り、年齢に不相応な服装をいつもしている女性は、多くは精神疾患があった。その年齢で発達が止まっているようだった。

逆に年齢に対して大人っぽくしようと努力している子も大勢いた。まだ20歳なのに、27歳のように振る舞いたがっていた。大人っぽいと言われるのを好み、可愛いと言われると無視をするか機嫌次第ではせっかく褒めてくれた人に食ってかかることもあった。

 

俺もそんなころがあったのかなって思いつつも、むしろ幼いのはこっちだなと思った。自分もそうだったんだろう。大人になろうと焦る自分が一番幼かったし、やってることも子供そのものだったよ。

 

その中でもとりわけ大人っぽい子がいた。まだ20歳だったんだけど身長が高く、黒髪のストレートロングでね。顔立ちもきりっとして大人っぽさがあったし、口数も多くはなくて周囲からもクールだと思われていた。

 

俺との関り方もちょっと距離があるというか、俺が嫌われてるのかな?と思うこともしばしばあった。それでもう少し距離を置くと、「私のこと嫌いですか?」と言ったりもする。

「そんなことないよ」って俺が言うと、そうなんだ、みたいないい方でまた距離を置く。

ちょっと内面がひねくれてるのかなとさえ思っていた。客からの苦情も結構ある子だったしね。大人になろうとしているけど、大人になり切れないというか。そりゃまだ20歳だもんなと俺は思っていた。

大人というのがどんなことを意味するのか、まだ知らないんだから仕方ない。

 

ある夜ね、客の予約がキャンセルになって、その子と2人で事務所の近所にあったアニメグッズの店に行った。俺が行こうと誘ったんだ。

確か肌寒い晩秋だったと思う。その子は仕事用の派手な服を着ていたので、俺が着ていたダウンジャケットを羽織らせた。まるで子供みたいに見えて笑いそうになった。

 

それで二人で歩いて行った。

店の中で立ち止まったのは、アニメキャラのフィギュアの陳列ケース前だった。

俺は彼女の横顔を見ていた。

その横顔は、表情がとても幼くて、まるで15歳のようにも見えた。キラキラしているフィギュアを憧れのように眺めている。

 

この子はどんな生い立ちをして、どこからやってきたんだろうと想像した。

俺は、この子の、この表情をたぶん一生忘れないだろうと思った。

昔パンクが俺に言ったように、「あの時の君をいつも思い出すよ」って何度も言いたくなったけどやめた。

 

俺がそうだったように、きっと話を逸らされるだろうから。

 

その彼女はほどなくして仕事を辞め、それからどこに行ったのか、どこでどうやって暮らしているか俺は全く知ることはなかった。

覚えているのはやはりあの表情だけ。

 

それからも大人になりたがる子供たちをたくさん見てきたけれど、

今、俺が思うのはね、

 

いつまでも子供のままのあなたが素敵だよってこと。

 

子供でいていいんだよってこと。

焦らなくていい、意味のない背伸びをしなくてもいい、大人でいようとして周囲の大人から認められようと功を急ぐのは良くないこと。不良の世界ではいつもそんなことが繰り返されてる。幼い子たちが先輩たちに一目置かれたくて、人を刺し殺したりさえする。

大人になろうとすることは、いいことばかりじゃないよ。

 

わあーって、子供の表情に戻ったあの時のあなたのほうがずっと素敵だよ。

 

俺も今の年齢になって、あのパンクといた19歳の頃、俺の魅力は大人ぶった自分にはなかったんだと気づいている。

子供でいる自分に、魅力があったんだろうと。

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