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【LoveRescue】色が無くなるほどの速さで⑤(アキラの場合#2)

まるでドブ川に潜って泳いでいるように、菜摘のいなくなった新宿を彷徨っていた。あの日のように、菜摘が後ろを追いかけてきて俺に声をかけるんじゃないかと思って、東口を出て同じコースを何度も歩いた。

菜摘がいなくなって1年。1994年の2月。それでもまだこの街のどこかに菜摘の姿があるんじゃないかと思って探す癖が抜けなかった。俺の何がダメだったのか、俺のどこか嫌われたのか、一生懸命考えていた。もちろんダメなところも嫌われるところも沢山身に覚えがある。菜摘が黙っていなくなる直前、菜摘はいつも不機嫌そうで、俺について嫌なところをいつも並べた。

「わたしはアキラの過去を知らない。どこで生まれてどこでどうやって育ったのか何も知らない」とか

「アキラみたいな仕事してる人を親に紹介できない」とか

「アキラのいいところ、好きなところが見当たらない」とか、さんざん言われた。言われたけれど、俺の気持ちにはあまり響かなかった。そんなこと俺だって知ってる。俺だって俺のことが嫌いだよ。

自分が生きている価値もよく分からないまま、それでもたくさんの女の子と傷つくだけの恋愛を繰り返していた。そんなことをいくらしても、俺がこの皮膚の内側に不安定そうに浮かんでいる魂みたいなものはどこにも着陸できそうにもないと言うのに。

1993年は、もうこの汚い街に嫌気が差して、茨城県の片田舎の街に引っ越したことがあった。都心まで一時間もかけて通勤するサラリーマンが死んだような顔で駅に集まるような、そんな田舎。

その田舎町で駅から歩いて帰る道すがら、個人で経営している酒屋にいつも入った。60歳くらいのおばちゃんがいつもいて、俺は毎日そこでビールを買った。まとめて買っても良かったのだが、その頃はそのおばちゃんが唯一の話し相手だった。俺は田舎町で隠れるように暮らしていた。仕事がある時だけ新宿に行くと、肺が押しつぶされそうなほど苦しくなった。

だからと言って茨城の田舎町にいても、暗い影から解放されるわけでもない。アパートの出窓からつまらない田舎の住宅街の景色を見ては、ため息をついていた。

苦しいのは夜。菜摘やほかのいろいろな女の子、俺から黙って姿を消してしまった女の子達が俺に代わる代わる話しかけてきた。時は笑って、時には深刻なことを俺に言う。それは夢なのか幻覚なのかは分からない。眠りに落ちるベッドの中の時もあったし、テレビを見ている時もあった。

田舎町の静寂さがそれを募らせていたのかもしれない。俺は誰で、どこから来て、今何をしているのか。それにすら俺は答えられなくなってしまっていた。まだ21歳だというのに。でももう21歳になってしまって、あと何年、いや来年は生きているんだろうかとさえ考えていた。

この頃の俺は、自分の中が空洞でその中に透明な魂が漂っているイメージをずっと思っていた。透明な魂は、きっと幼い頃に愛情で色彩と重量を与えられるのだと思う。俺は色も重量も自分の魂に与えることができないまま、ずっと恋愛にすがるように生きているだけなのかもしれない。

そして結局は田舎町をあっけなく捨てて、新宿に戻っていった。また毎日仕事をするようになり、どこかで見たような女の子とどこかで感じたような恋愛を繰り返した。新宿にいればいつも耳鳴りのように街の音が聞こえてくる。その中にいろんな人の声が聞こえる。菜摘の声も、父親の声も、母親の声も、パンクの声も、高校時代の彼女の声も、どこかから聴こえてくる。それが苦しい時もあるけど、きっとこの街で傷ついた心はこの街にいることでしか忘れることはできない。

実はその後、菜摘とは再会したことがある。

1994年の12月。俺が4年間毎日通った歌舞伎町の路地で、深夜1時に俺を待っていた。全然予想もしていなかった場所で、わざわざ俺を待って立っていた。

菜摘を見て、俺は泣きそうになった。透明な魂はお前じゃなきゃ色は付かないよ、そう思った。

なぜ菜摘が待っていたのかは当時の俺には分からなかった。お腹空いたって言うから、深夜3時までやっている中華屋に行った。何年か前、ここで誰かに出会った気がするけどもう覚えてない。

そうして菜摘とは朝が来るまで店を変えて話をした。あの時、なぜいなくなったのかだけは話題にしなかった。

12月の遅い朝がやってくるまで、深夜の新宿で透明な魂に菜摘の色彩で滲むように染めながら。

そしてもう二度と、菜摘と会うことはなかった。

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