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恋愛が苦手である(2020年)

俺は恋愛が苦手である。

恋愛が不得意なのではなく、苦手。

娘のような年齢の弟子と地下鉄の階段を駆け上がる時、四角い曇り空が見えた。冬の始まりの空を見て、階段の途中で立ち止まりそう思った。

得意ではあるけれど、苦手なのだと。

20歳になったばかりの頃に、夜の街で生きていた女たちもそうだった。もっと後になって沢山関わってきた風俗嬢達もそう。

恋愛や男女の恋のあれこれは得意だけれど、一様に苦手にしている様子だった。

そんな女性たちはみんな美しい容姿を持ち、「おつかれ」というありふれた言葉をかけられただけでも、満面の笑顔で振り向いてくれる。桜が咲く季節、古城の堀に吹く風のように。

街を歩いていて突然イルミネーションが現れると、「わ、すごいよ」と言って、軽く俺の腕に触れ、早歩きで近づいていく。

電話をかけると、「もしもし?」という言葉からすでに元気で明るく。

「明日の夜、会える?」と訊くと、「ちょっとまって」とスケジュールを確認して、「大丈夫だよ!」と言う。たったそれだけのやり取りでも、誘ってよかったと思わせてくれる。会えない時でも、「〇〇日の夜はどう?」と違う選択肢を示してくれる。

楽しかった会食や、大変だった仕事の後で、必ずメッセージを残す。ありがとう、楽しかった、お疲れ様でした、苦しかったけどやり抜きました、うまく行かなかったけど次はがんばります、などなど。

2人でいる時間を楽しいものにしようとしてくれる。 

華やかで、もしかしたら威圧的なほどの美貌を持つ彼女たちは、いつも全力でコミュニケーションをする。楽しい、楽しみ、嬉しい、悲しいけど希望を持ってる、など前向きの感情を常に表現する。

ところが一部の女性達は、彼女たちを批判する。男に媚びている、裏がありそう、小賢しい、あざとい、ぶりっ子、などと。男を喜ばせようとする卑屈な女だと言われることもある。彼女たちが自立していない女だとひどいことを言う女も沢山いる。

彼女たちの本当の凄みは、情の深さにある。運命を受け入れようとする覚悟にある。うまくいかない人生の局面で、逃げ出すことはしない。

「わたしね、アキラが人殺しで強姦魔で女を山に埋めていたとしても引かないから言ってね?」と突然言うことがある。

あるわけがないんだが、そうだと言っても本当に引くことはないのだろう。地獄の底までついてきて、きっと浮上する時も一緒にいる。

しかし、しかしなのだ。

だからこそ彼女たちは恋愛が苦手なんだ。得意に振る舞えるけれど。

恋愛が不得意だけど、苦手ではない女性はそうじゃない。

意味もさほどないのに自立を気取る。駆け引きをしようとする。彼氏と距離を置こうと試みる。自分は自分、自分が楽しくなければ彼氏ともうまく付き合っていけないと言う。

よく言えば自然体、悪く言えば慣れ合った関係でいようとする。きっと当たり前の人たちは恋愛関係を夫婦関係に繋げることに何の抵抗感もなく、ごく普通の家庭を築いていけるのだろう。

恋愛が得意ではあるけれど、苦手な人たちはそうじゃない。

世間の当たり前を演じることができないのだと自分たちが気づくときが来る。

抜けるような青空の日と、土砂降りの日と、どちらかしか知らないんだ。どちらかでしか生きていけないと気づいてしまう。

なぜかって、彼女たちには「過去」という時間の履歴が抜け落ちているから。過去をなかったこととして切り離して今を生きているから。

当たり前の人生には、連続した時間が不可欠。連続した絶え間ない人生の物語がきちんと存在する。恋愛遍歴を、言えるか言えないかは別として話そうと思えば話すことが出来る。その時間の連続性がないと、他人、特に恋人との会話はあらゆる場面でバグってしまう。

そうなると、恋人は必ずこう言う。「19歳から21歳までは何をしていたの?」「なぜ22歳から30歳までのことを何も言わないの?」

興味本位ではなく、本当に不思議なのだろう。

恋愛が苦手な彼女たちは、その質問には答えられない。

答えてはいけないからだ。

記憶が欠落していることもあるし、わざと上書きしていることもある。ASDなどの障害がある場合も、記憶は都合のいいように書き換えられていたりもする。

精神病院にいたかもしれないし、風俗嬢だったかもしれない、愛人として文字通り飼育されていたのかもしれない、結婚していたけれど悲しい出来事が沢山あったかもしれない。

それを「物語」という形で人生の空白を埋める努力をしてきたのが彼女たち。

多かれ少なかれ、彼女たちは偽りの物語を持っている。

無いものを有ったという偽りはない。有ったことを無いという物語を持っているんだ。

恋愛が苦手な彼女たちは、いずれ立ち去る時が来る。

またこの記憶も新しい物語で書き換えられてしまう。

彼女たちと大恋愛をした男たちは、彼女たちが不誠実だと悪く言う。俺に飽きたのか、僕を弄んだのかと言う。

そうじゃない。

「私には、物語をまた編集するべき時が来たんだよ」と彼女たちは心で言う。どうしようもない女だと罵声を浴びながら。

また一つの時間を消去しようとする。

弟子とラーメン店に入る。奥のカウンターに並んで座って、つけ麺が出来上がるのを待っていた。弟子は鼻歌を歌う。何の曲かは分からない。

俺は生ぬるいお冷をちびちびと口に運びながら、カウンターの向こうのテレビを眺めている。

俺も、何度も生まれ変わってきた。その都度新しい物語を背負って。

それでも愛というものを信じているのは間違いないわけで。

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