人の死

ここ数年身近な人が死ぬようになってきました。

人の死を手前の承認欲求のダシにするのかって話なんですけど、します。テレビでしか見たことない人が死んで悲しみ表明するよりは、生前関わりがあった人間の方がマシだと思うんですよ、その人との関係性にもよりますけど。

数年前に結構仲良かった友達が自殺しちゃって。葬式終わって思ったのは何考えてたのか分かんねえなって。死んでみてから考えれば死ぬ理由というか、逆に言えば生きなきゃいけない理由も無いっちゃ無いなとは思うんですけど、死ぬ前はそんなのよく分かんなかった。考えたこともなかったけど。もしかしたら遺書とかあって理由とか書いてあったかもしれないですけど、聞かされてないんで僕の中では何か突然死んじゃったって感じになってます。これもしかして仲いいと思ってたの僕の方だけだったかもしれないですね。

その友達ってApex Legendsがリリースされる前に死んじゃったんですよ、僕と同じでゲーマーだったのでApexが出たらやっぱハマってたんだろうなって思ってて。それが心残りっていうか、もったいねえなと。Apexプレイしてたら死ななかったとは言えないし、それはそうであって欲しいという希望でしかないですけど、少なくとも飽きるまでは死ななかったんじゃないのかなとは思う。

僕の好きな食べ物の一つにサーティワンのラブポーションサーティワンがあるんですよ、冷たくて甘くて、程よい酸味と強いチョコの風味があってすごい美味しいんです。庶民なんでしょっちゅう食べれるわけじゃないですけど、あれってすごい文明の賜物だと思ってて。1900年代じゃ絶対作れなかった味だと思うんですよ。他の具体例はちょっと思い浮かばないんですけど、食べ物って年々美味くなってるんですよね。いやもしかすると昔でも高い金出せばすげーうまい食べ物があるのかもしれないですけど、とにかく技術の成熟、競争によって食べ物はどんどん安く美味しくなっているっていう勝手な認識がある。

僕が死なない理由ってそういうところにあるんですよ、生きてりゃもっと面白いゲームが出るかもしれないし、もっと美味しいスイーツが食べれるかもしれないっていう、漠然とした明るさを未来に抱いているんですね。だからとりあえず生きて、日々が前に進むことを喜べる。でもアイツはそうじゃなかったんでしょうね、あるいはそれを上回るほどの漠然とした(あるいは具体的な)不安があったのかも。ちなみにこれは異世界転生系の小説を好きになれない理由も同じです。異世界にApexは無いし、サーティワンも無い、そもそも死んで異世界に転生したくなっていない。

本筋に戻すと、何考えてたのか分かんないんですよ。もしかしたら死ぬ前誰かに悩み相談とかしてたかもしれないですけど、僕はそういうの受けてないし、知る限り共通の友達みんなそんな感じじゃなさそうだった。ツイッターとかで愚痴るタイプでもなかった。いやじゃあお悩み相談とか受けたいかって言われると死んでも受けたくないですけど。そんな責任のある立場嫌です。でも死ぬ前に心の内を明かしておくくらいはしてもいいんじゃないかって思うんです。寂しいじゃないですか、勝手に死なれるの。いや死ぬ前に相談はされたくないですけど。ていうか冷静に考えると誰からも些細な相談事ですら受けたことないですね。あ、電子機器の不調について相談受けたことはあります。役に立てなかったけど。機械はいいですね、自殺しないし。

EDM全然知らない人にAviciiとZedd両方聴かせてみて、

「この曲作った人片方自殺しちゃったんだよね、どっちの曲の人だと思う?」

って聞いてみたら5割以上の確率でAviciiの曲の方を挙げると思うんですよ、現実は「どっちも同じ人だと思った」って返ってくるんでしょうけど。ほらAviciiのが情動的な曲が多くてZeddてちょっと引き算の曲やるじゃないですか。

何が言いたいかと言うと死ぬなら死ぬでやっぱりね感をもたらして死すべきだと思うんですね。僕が今死のうと思ってるとかじゃないです。けど死ぬとしたらやっぱAviciiの新曲が発表されないのが理由になるでしょうね。まあ、やっぱり悩みとか、思想とか感情とかを人に話さないまま死ぬのはよくねえよなって死なれた側としては思うわけです。でも僕はそういうのあんまり話さないタイプなんで、だから人からそういう話されないんですかね。

そういうわけで考えとかを書き留めておこうみたいな側面もあるかもしれないですね、note始めたのは。仮に突然死したとしても生前何考えてたかとかは分かったほうがいいと思うんで。



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