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プレイバック・シアター研究所所長・羽地朝和の働くということ(後編)

プレイバック・シアター研究所を設立して、まず定期的な仕事として担当させてもらったのは高月病院とさいとうクリニックの毎週のプログラム担当です。さいとうクリニックのでデイナイトケアプログラムの一つとしてプレイバック・シアターを毎週月曜日、高月病院でのアルコール依存症治療専門病棟でのプログラムを毎週火曜日に担当させてもらいました。そして週末や平日の空いている日は、鎌倉の精神障害者のグループホームで住み込みのスタッフの仕事をしました。入居者の食事をつくり、宿直室で寝泊りしました。また千葉県の精神障害を持った親子が住む施設「旅路」でプレイバック・シアターを毎月のように担当させてもらい、福岡の精神科医の諸江先生のクリニックで2、3ヶ月毎にプレイバック・シアターを行うなど、この頃はセラピーや心のケアの領域での仕事がほとんどでした。プレイバック・シアターの効果を実証したかった時期だったので、病院臨床で継続してプレイバック・シアターを担当させてもらえたのはありがたく、諸江先生に導いてもらいプレイバック・シアターの治療効果に関する論文を執筆したり、学会で発表をしました。


この頃の仕事観は、自分がやっている事が世の中の誰かに役立っていることを証明したくて、「世の中から求められて、自分が何かの役立つこと」それが仕事でした。依頼された仕事は何でもやりました。セラピーや精神科のプログラムの仕事が多かったのは、一つは僕の個人的な経験に起因します。防衛大学校時代の親友を将来一緒に事業をやろうと誘い、自衛隊を辞めて僕が務めていた社会産業教育研究所で働いてもらったのですが、彼が心を病み20代後半に自死をしたことへの悔恨の念が僕を突き動かしています。しかしこのようなことを原動力にした仕事観は健全なものではないように思います。僕が後に会社組織にして部下を持つようになった時に心を病んで辞めるスタッフが続いたのは、働くことの根底に健全でない業のようなものを僕が持っているからだと思います。ですから僕は本来は1人で好きな仕事をすることが向いている人間なのですが、そんな僕が40代にプレイバック・シアター研究所を株式会社にしました。


会社を経営する経営者の個人的な業や生き方が会社の風土や従業員に様々な影響を与えます。ですから、経営者が自分の生き方の棚卸しをしたり、自分がどのような影響を周囲に与えているかを知ることはとても大切です。それができる人こそ言行一致した優れた経営者だと思います。


今現在は、会社を経営する経営者としての仕事がまず最優先であるのですが、それとワークショップと研修の仕事を両立することがとても難しくなっています。これからの働き方を考え直す時期に来ているようです。


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