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うつくしいもの(7)「ちいさきもののうつくしさ」【岩橋由莉連載エッセイ】

先日、仕事から帰ると、母が興奮していた。
聞くと「玄関に蛇がいた」というのだ。
大きな太い蛇が玄関にまっすぐに横たわっていて、母が驚くと、家の庭の方へ逃げていったとのこと。
それを聴いて私は少しうれしくなった。
じつは数年前に私も庭で蛇を見たからだ。

洗濯物を干そうと庭に出たら、大きな白い蛇がとぐろを巻いていたのだ。
蛇は日向ぼっこをしているように誠に気持ちよさそうだった。
あまりに立派で、もう少し近づいてよく見ようと動いたとたん、気づいてするりと床下に入り込んでしまったのだ。
綺麗な白い蛇だった。
もう一度会いたいと思ったけど、もう会えなかった。
そのあと興奮して家族のものに伝えたが、こんな街中でそんな大きな蛇がいるはずがないと言って誰も信用しなかった。

数ヶ月後、別件で業者さんに床下に入ってもらうことがあり
床下に蛇がいるかもしれませんと告げた。
告げると彼はすごく怯えていたけど
数時間後、床下から這い出てきて
何にもいませんでしたよ。蛇の巣らしきものもありません。いたという形跡もないので住んではないと思います。
と安心したように言ったのだった。

あんなにはっきり見た蛇だったけど、もしかしたら私が白昼夢を見たのかもしれないと思ってそれきり蛇のことは忘れてしまった。

しかし今回は母が見たので、これはもう家のどこかにいるに違いない
と確信した。
母はしばらく庭に出たくないという。
わたしは初めて庭の草引きをかって出た。
今は仕事もないし、運動不足解消にちょうどよいのだ。

今まで庭の園芸や草むしりとは無縁だと思っていたし、好きではなかった。
好きではなかったというより母の担当だと思っていた。
私はもう少し大きな自然物を担当していると思っていた。
大きな木を見上げるのは好きだ。
そして竹林の音は美しい。

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このところ天気が悪い日が続き、雨が降ったりやんだりして土は柔らかい。
数日前の暖かさで雑草は一気に伸びていた。
昨年知り合いが畑を整理してくれた際、畑の土を庭に入れた。
そのせいで庭には見たことない豆科のつるが群生し始めていた。
小雨はぱらついているけれど、軍手をして手近な草を引いてみた。
ブッ
という音と手応えと共に、草がすっとぬける。
あら、気持ちいい!
ブッ、ブッ。
ブッ、ブッ。
そこからは夢中で抜き始めて日が暮れるまであっという間の出来事だった。

次の日も天気が悪く曇り空。雨の合間をぬって草を引く。
草にもいろんな種類がある。
小さな小さな草がある。
上は誠に頼りなくひょろひょろしているのに、根っこが頑固だったり、上は四方八方に自由に伸びているが、根っこは案外浅かったりと、地面の上と下の様相が見た目と違っていたりする。
懸命に草と格闘する。だいぶんきれいになったろう、と思って立ち上がってみる。と、全くひいていない箇所を発見して、もう一度座り直して引き始める。
を繰り返した。
いつのまにか、蛇のことを忘れてた。

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そのうちに小さな花が咲いているのに気づく。
青や黄色の色がちゃんとついている。蕾はピンクで咲いた花は青。それらはどれも直径1ミリにも満たない小さな小さな花たち。
花の色は昆虫などに見つけられやすいためだとどこかできいたことがあるが、こんな小さな花にもカラフルな色が必要なの
と小さく驚く。
小さな花に出会うと嬉しくなってそれは引き抜くことはできない。


そういえば熊野には「ぐちなのしょんべんたが」というリンドウ科のかわいい花が咲く。「ぐちなのしょんべんたが」つまりは「へびの小便壺」という名前。

ものすごく偏見を承知で言うとその名前をつけた人はたぶん男性だと思われる。

ブッ。ブッ。
草を引いていく。


ブッ。ブッ。
草を引いていく。

こんなに小さなものたちにも根っこがあって光合成があって花が咲いて次へ世代をつなげていくのか。
どんなにひきぬかれてもいつかどこかで誰かに繋がるために。
あ、そうか! 小さく生きるという生きのび方を選んだのか!

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その次の日も。曇り空。

ブッ、ブッ。
草を引いていく

そうだ!庭の隅に転がっているプランターでコンポストを作ろう!

ブッ、ブッ。

奄美大島のたびさちゃんからいただいた月桃の苗は鉢の中でいつのまにか二株に増えている
これもそろそろ植え替えねばならぬ。

ブッ、ブッ。

姉が竹の子を取りにきた。
わたしが東京や大阪へ仕事で出ていくのを警戒して最近はめったに家に来ない。
久しぶりに庭で会話を交わす。
コロナのこと
甥っ子の結婚についてのこと
家の庭の手入れのこと

彼女は喋る、私は草をむしりながら顔を上げずにそれを聞く。
ひとしきりしゃべると帰っていった。
これから手作りマスクをつくる、と決意めいたものを言い残して。

ブツ、ブツ。

ブッ、ブッ。


今日も外に出る。曇りだ、と思ったら雨がぱらぱらふる。今週はずっと天気が悪い。
隣の家の親子が庭でサッカーをしている。
越してまだ一年にもなっていない。今日は平日なのにお父さんがいるんだね。やっぱりこのご時世だから? 私はいつも仕事しているのでちゃんとご挨拶したことがない。いきなり庭越しにぬっと出ていくのも、おかしいだろうなあ。
できるだけ姿を見られないようにこそこそしながら草を引く。
自分の気の弱さが情けない。

ブッ、ブッ。


そういえばHさんに、仕事の相談をされて一生懸命考えて時間をとって話をしたのに、しばらくたって心配になってメールをしたら「こんなでした」
……
え? それだけ?

私だけが気にしてたのか
本人はもう次へ行っていた。
千々に乱れた私の想いはどこへ行けばいいのだろう。

ブッ、ブッ。草を引く。

ブッ、ブッ。草を引く。

ブッ、ブッ。草を引く。

ブッ、ブッ。草を引くんだってば!



ちいさいこと、何気ないことを日々繰り返すのだ



と突然小さな声がふってくる。

作業の手を休めずに無視していると、

利用されなさい、されてなんぼ。

とまた言われた。
頭の中に鳴り響いてくる感じ。

この声の正体は、もうわかってる。

いつも家のどこかでじっと見つめている。それはわかってた。
その声を聞きとる周波数を普段は持っていなかっただけ。
草を引いてると、自分が地面に半分潜ったような気持ちになる。
そして回路がひらく
機械的に手が動く。何も考えずに地面を見つめる。
土の中に眠っている芋虫やダンゴムシと出会う。
びっくりしたようにもぞもぞ動き始める。
ちいさいものと自分。
自分と土、風、空、雨。
今度は自分がちいさいものになったようだ。
夕方になると、鳥の声が高らかに聴こえる。
聴こえるもの、見えるもの、感じるもの、匂い、何もかもがもう、一緒くたになって、それでも手はとめない。とめたくない。


ブッ、ブッ。草を引く。

ブッ、ブッ。草を引く。

ブッ、ブッ。草を引く。


右手の筋が少し痛むようになってきた。
手元が見えなくなってきたから今日はもうおわりにする。
明日も雨のようだ。

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(岩橋由莉)



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