エナツ(スタッフ日誌)

出勤して、植物に水をやる。羽地さん(所長)からもらった沖縄みやげの謎の飲料「げんまい」を朝に飲みたい朝に飲みたいといいながら数日飲み忘れつづけていたがやっと飲む。おいしい。おかゆ的でもあり、薄甘くて甘酒的でもあり、どことなく乳酸菌飲料の雰囲気もある。乳酸菌は気のせいかもしれない。


どちらかで言えば長く書きすぎるほうだ。散文だととくにそう。

週末の研究会のレポート記事を書いているとすぐ情報過多になり、書いては消すことをくりかえす。もともと研究会自体が情報過多だったのかもしれないけど。書いては消していると文字数が増えないのでテンションがあがらない。

短歌を経由して詩を本格的に書くようになってから、書いたもの、書きたいものを削る、という作業はいくらか身になじんだ。しかし、削るのにはもちろん基準が必要で、記事だとそれが詩とはことなるのがむずかしい。つい自分の目をひくもののことばかり書きたくなってしまうけれど、はじめての人の興味もひけるように、それでいて記録としても価値のあるものになるように、客観的に……自分の目をひくもののことばかり書いていてはいけないのは詩もおなじだという気もするんだけど、なにかがちがう。単に慣れの問題かもしれない。


昼前にむらっちさん(ファシリテーター)がやってくる。「やってくる」というのはわたしの語彙のなかではかなりメジャーな動作で、もともと「くる」より使いやすいのだけど、むらっちさんはことさら「やってくる」という感じがする人だ。午後からオフィスでむらっちさんの企画があるので、その下準備をするという。

わたしが記事を打ち込んでいる向かいで、むらっちさんはなにか紙を切り貼りしながら、「へえ〜」とか「そうか〜」とかつぶやく。三回目くらいで「なんだかぶつぶついっててごめんね、ひとりごとだから気にしないでね」といわれ、は〜いといって、またそれぞれの作業にもどる。

「ほお〜」

「なるほどね〜」

「ああ〜」

「人の一生って長いねえ」

最後のだけが異彩を放っていたのでちょっとだけ目をあげると、それはわたしにむかって言ったことばだった。なぜか自然に目をあげられたとはいえ、ひとりごとだと思って無視していた可能性もかなりありえた。ヒヤヒヤする。

むらっちさんはエナツという人の人生を年表にしているという。エナツというのは有名な野球の人らしいけれどわたしはよくしらない。

「俺が知ってるのは1987年のエナツまでだけど、そのあとにも何十年も経っているんだもんね」

てっきり自分自身の人生の長さを実感したのかと思ったら、わりとヒト全般の人生のことをいっている。


しばらくするとお客さんがあらわれ、企画がはじまる。わたしは「コピー機の部屋」と呼ばれているサブの部屋にひっこむ。すると、メインの部屋から断片的にむらっちさんの声が漏れてくる。エナツの人生について語っている。

「ここで監督に守備の指示を出されて、エナツはどういう気持ちだったんでしょう?」

話の前後もわからなければエナツのことも野球のことも知らないせいで、想像もつかなくって可笑しい。年賀状のデザインをラインで打ち合わせながら何テイクか修正する。そのあいだもところどころにエナツのことが聞こえてきて、どこかで、あれっ、と思う。

エナツ、もしかして、日本人なのか。

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