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僕はこだわる(2)「貫かなかったこと」【羽地朝和連載コラム】

僕の仕事を役割で分けると専門職としての仕事と経営者としての仕事があります。前者はワークショップや研修を担当するという自分自身でアウトプットを出すもので、ありがたいことに25年間、自分がやりたいワークショップや研修を続けてきました。後者は株式会社プレイバック・シアター研究所の経営とマネジメントです。会社を設立して10年になり、今春入社する5名の新入社員を合わせると社員は20数名になり、設立以来増収を続けています。

経営者として未熟な僕が、一緒に働く仲間に恵まれて、何とかこの10年間会社を存続発展することができたことは文字通り有難いことです。専門職として好きな仕事をしつつ小規模な会社を経営している僕が、選択したことについて書こうと思います。


会社を設立するまでのこと


僕は30歳の時に「プレイバック・シアターがやりたくて独立する。だからプレイバック・シアターしかやらない」というこだわりを持ってプレイバック・シアター研究所(以下研究所)を設立しました。公開ワークショップや精神科クリニックでプレイバック・シアターを行いましたが、収入は少なく、精神障害者のグループホームで住み込みのアルバイトをして、数千円の日当をいただいていました。ただこの頃は時間があったので、以前から興味があったアルコール依存症の自助グループAAの自宅から歩いて通えるミーティングを見つけて、頼み込んで参加させてもらい、いろんな人にずいぶんとよくしてもらいました。最近はスタッフに任せっきりですが、25年間高月病院のアルコール依存症治療プログラムを継続して担当しているのは、その頃の体験が原点にあります。

ある時、公開ワークショップに参加したベテラン講師の方から「僕の企業研修の中に羽地さんがやっている演劇的なものを取り入れたいので、一緒にやりませんか」と声をかけていただき、3日間の合宿研修の中でプレイバック・シアターを担当させてもらいました。その講師のプログラムとの連動性もよく、受講生と担当者から高い評価をいただきました。そして振り込まれた講師料の金額を見てびっくりしたのを覚えています。それがきっかけで企業研修の分野でもプレイバック・シアターをやろうと思いました。担当する研修が少しずつ増え、お世話になったベテラン講師の方や紹介してもらった研修団体から依頼されるニーズに応えるために新たなプログラムを開発し、プレイバック・シアター以外の新しい研修の依頼が来るようになり、それらが好評でリピートの仕事が増えてきました。手帳の日程が研修で埋まってくることに達成感を覚え、いつしかプレイバック・シアターの日程よりもずっとずっと研修の方が多くを占めるようになりました。
研修の依頼が増え続け、会社設立から10年たたないうちに研修だけで年間200日を超えるようになりました。同時に、クリニックのセラピーや大学の授業でプレイバック・シアターの依頼も増え、ミャンマーや海外でのプロジェクトに取り組み始めて年間270日を超えるあたりが、一人で仕事をする僕の臨界点だと思います。

プレイバック・シアターだけに専念するというこだわりを貫かずに、次々と増える研修の依頼に応えることを僕は選んだのですが、他の選択肢もあったかもしれません。親から引き継いだ老舗会社をたたんで演劇に専念したオーハシヨースケさん、日本初の表現教育家として活躍していた東京での活動に見切りをつけ郷里和歌山に戻った岩橋由莉さん、二人の盟友の生き方をリスペクトしています。
40代の中盤に新しくやりたい仕事のアイディアがうかんだことを契機に、それをやるには一人では到底無理なので、会社を設立することにしました。


会社を設立


僕が会社を設立した理由は別にもあります。

一つは、リーダーシップやマネジメントの研修を担当しているので、研修で教えていることを実践してその成果を実感したくなったこと。そして、これは年齢を重ねるうちにわき出てきた欲求ですが、沖縄でビジネスをしたいという想いが強くなってきました。

沖縄には30代の頃から年に何回かプレイバック・シアターをやる為に帰っていました。プレイバック・シアターでかかわった沖縄の子どもたちは誰もがいきいきとしていました。親バカのようですが、キラキラしたエネルギーと才能に満ち溢れているのです。が、社会にでるとそこが活かされていないどころか、どこか萎んでいっているような感じがして残念でした。沖縄の若い人たちに、自分がやりたいことを仕事にする幸せを、仕事の面白さを伝えていきたい。その想いから沖縄でビジネスを始めることにしました。

自分がやりたい仕事をやる為に会社を設立した僕にとって、自分のやりたいことで人や社会に役立つのが仕事です。働く社員が自分がやりたい仕事ができる会社をつくりたい、こんな想いが強くなり、そして研修の受講生やワークショップの参加者ではなく、実際の部下が成長しやりたいことに取り組む場をつくりたい。会社をつくるのは僕には自然な流れでした。


10年経ち


会社を設立して10年経ち、仕事を通してスタッフが成長しているのを見るのは何よりも嬉しく、刺激になります。そして、今年の後半にまた新しい組織を立ち上げたいとおもっているのですが、それは30歳のこだわりを今の環境で成就させたいのかもしれません。


(羽地朝和)

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