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僕はこだわる(3)「答えはない」【羽地朝和連載コラム】

ワークショップのなかで、クリエイティブなエネルギーが生まれ、わっと場がもりあがった時に、繊細なことが見落とされてしまうことがあります。また集団に熱狂の渦が生まれある方向に進んでいくと、それとは違った感情や意見を表明しづらくなったり、黙殺されてしまうことがあります。ワークショップや研修をやるうえではこれらのことを見落とさないように気を配っています。


特に子どもは興味をもったことに対するエネルギーが強く、興奮して場がすごい勢いで盛り上がることがあるので、気をつけています。ですから、子どもとプレイバック・シアターを行う際は初めにルールを提示することがあります。

1. 相手の話しをしっかりきく
2. 語ってくれた人のために精一杯表現する
3. お互いに助け合う

黒板に「プレイバック・シアターのルール」として上記のことを書いて、唱和するようにしています。
ヨースケさんやゆりさんは子どもとワークショップをよく行なっているので、このあたり二人はどう考えているのか、話してみたいです。


企業研修で演習を行う際も、ある方向にグループが突き進もうとする際に、「それは本当に正しいのか」を考えてもらうように講師として示唆することがよくあります。企業においては方針や目的に従って働くことが求められていて、自分の行動が組織目標と合致しているかを常に照らし合わせて物事を考えることが良いことだとされています。ですから組織の目標が一旦決まって、ある方向に動き出すと、それを方向修正するのは容易ではありません。方向修正するということは意思決定したことを間違いだったと認めて覆さないといけないし、覆すことが本当に正しいか確証が持てないことが多く、またやり始めたことを方向修正するのは効率的ではない。したがって決まったことに躊躇なく邁進する思考パターンが往々にして身につきます。

こうして一度決まったことに盲目的に突き進んで生まれた悲劇はそれこそ例を挙げればきりがありません。
ですから、集団への影響力を持ったリーダークラスの人は、今現在のやるべきことに全力で取り組みながら、「それは本当かな?」とどこかで冷静に考えるという両面を磨くことが重要です。そして自分が決断して指示をくだしたことに、時として「間違いだった」と認める勇気と判断力も大切になります。この勇気と判断力、そして「それは本当かな?」という視点を研修で磨いて欲しい。このようなことを大切にして研修の場を持っているので、講師が言ったことに対しても何も疑問を持たずに鵜呑みにして欲しくないし、演習の正解を講師である僕は持っていない、というスタンスがあります。もちろん「僕はこう考える」という僕自身の意見は持っています。同じように参加者ひとりひとりが「私はこう考える」という自分の答えを持って欲しいのです。この「僕の意見」と「研修講師の意見=研修の正解」の違いを理解してもらうことを意識して、言葉を選んでいます。


感覚的に共通しているのですが、セラピーとしてワークショップを行う際にこだわっていることに「ここは安全で安心できる場です」とは言わないことにしています。傷ついた人たちが回復を求めて参加するセラピーでは「安全な場」「安心できる場」を提供することに全身全霊を注ぎます。しかし、セラピーのなかで自己を開示したり、無防備な状態で内面を掘り下げていくと、痛みをともなう経験をすることはあります。生身の人と人のむき出しの自我がかかわり合う時に傷つくこともあります。回復のプロセスでそのような経験が意味あることでもあるのですが、それはあくまでも本人が覚悟を決めて自ら経験をして得られることです。ですから、「傷つくこともあるかもしれない。でもそこも共に経験しましょう」というスタンスで場を守りたい。そして僕が「安全で安心な場」を提供するのではなくて「自分の身を自分で守る」ことを学ぶことがセラピーでは大切なのではないかと思います。


会社を経営するうえでも、社長である僕が言うことは絶対ではない。と言いたいのですが、経営者は言ったことに責任があります。「僕個人としての意見」と「社長としての決断」の区別が曖昧になり、スタッフを混乱させてしまうことがよくあります。このことについては未だ模索をしています。

ワークショップ、企業研修、セラピー、そして経営をさせてもらい、一貫したものを探し続けていますが、答えはまだ見えません。メンバー、参加者、スタッフとともに答えを探求中です。


(羽地朝和)

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