にんげんにもできる仕事(スタッフ日誌)

出勤して、郵便受けを確認し、タイムカードを押して、植物に水をやり、掃除機をかける。ひとり出勤だから歌も歌う。

今日こそはなんとしても週末の養成講座の記事を書き終えたい。

タスクリストに「自分がやりたい企画の草案を書く」だけがいつまでも残っている。その上を喫緊のしごとが通り過ぎて行って、「自分がやりたい企画の草案を書く」は川底の石のようにそれらに手をふって見送るばかりだ。ごめんね。


養成講座の記録を書くのがむずかしすぎて頭をかかえている。

9:00~19:00までの長丁場の講座を二日間、しかも二年通い続けて技能を獲得するための講座なので内容はわりにマニアック、講座の半分くらいは受講生による発表とフィードバックの時間であり、単発のワークショップのように流れがあるわけでもない。しかも二年間の講座なので当面次の期の募集はしばらくなく、記事の意図としてはとくに宣伝でもない純粋なレポート。しかし内部に向けた記録ではなく、いちおう研究所でやっていることとして外部に発信するためのレポート。

むずかしい要素を挙げるとすらすらでてくるが、まだ言いきれていない。

たぶん、こんなにむずかしいいちばんの理由は、わたしが一参加者としてわかっていないことが多すぎるからだ。


ワークショップとかアートを使った教育とか、体験学習的な要素を持った学習の場は、その場を過ごして終わってみると、なんとなくわかったような感じがする。たいてい、わあ、いろいろ学びすぎてあたまがいっぱいだ……という感じで帰る。

しかしいざ書こうとするとそれがぜんぜん自分のなかで体系だっていないのだ。書こうとしてはじめて、「わかっていない」ことがわかる。わかりやすく説明できるほどの知識は身についていないし、肝心の体験のほうですら、それが自分にとってどういう体験だったのかまだ判別がついていない。

誤解しないで欲しいのは、これは「ワークショップでの学習はわかったような気になっているだけで本当はわかっていない」などといいたいわけではなくて、ん? いや、すみません、そうでもないか。ええと、わかったような気になってはいるし、わかっては、いない。べつにそれはそう。

だけど、「わかったような気になっている”だけ”」ではない。ほかにも確実になにか起きているし、受ける前とあとではなにかがまったくちがう。

しかしまあそれがなにかといわれたらさしあたっては困ってしまう。


というわけでさしあたって三日困りつづけた。わたしは本来大学受験を終えたあと塾の合格体験記を提出するまでに五年かかるような女なのだ。

・わたしでさえ半々くらいしかわかっていない講義の内容を、

・そこまでマニアックじゃない人にもある程度は伝わるように、

・そして知識に偏重せず、自分自身の体験とも食いちがわないように、

書く、という行為、ちょっと、ハイカロリーすぎやしないか。


でも書きました!!

飴を六個くらい食べました。それも、いつもみたいにいやしくじわじわ舐めず、口に入れた瞬間にバリバリ噛んで食べましたよ。


ひとり出勤のときの重要な仕事に電話をとるというのがあって、きょうは一度0.2秒くらい電話が鳴って切れたのでそこからしばらく挙動不審になってしまった。次の着信にあわてて出たらファックスで、その次の着信にもワンコールで出られた、そうしたらようやく人が出たので、あ、ようやくにんげんだ! と思ったら営業電話だった。

そこで、一瞬「ようやくにんげんだと思ったのに……」という落胆がうまれたが、営業電話もべつに人ではあるということをわたしは忘れないでおきたい。営業は断りましたけど。


昨日のミーティングでとった議事録を「斬新」といわれる。ふだんのように逐語で書き起こさずかなりまとめてしまったな、くらいに思っていたのに、かなり会話そのままに見えるらしい。自分としてはかなり議事録らしさに寄せたつもりだったので、気恥ずかしくなった。けっこう省略したり意訳したりしているのに……


前の会社の会議で、よかれと思ってさらに逐語に近い議事録をとったとき、「これはかなりがんばって記録したな」と思っていたら、上司に「重要な情報を抜粋してくれないと意味がない、これはAIにもできる仕事」といわれたことを思いだす。

また時をおなじくして、ちいさな喫茶店で間借りをするようなかたちでも働いていて、そこで「つねに喫茶店の中の会話を書き起こしている書記がいて、それがリアルタイムで店内のプロジェクターに投影される」という企画をつくって開催したことがある。書記はほかのひとにお願いしたが、なるたけ全部書き起こしてね、とお願いしてあった。

その書き起こしをネット上に公開したら、耳の不自由な知人がリアクションしてくれた。「文字起こしアプリの精度がどれだけ上がっても、こういう日常の会話の雑多な音声情報にこんなふうにタッチすることはできないから、おもしろい」という。

これはおもしろかった。前の会社での会議の議事録は、重要なこととそうでないことを切り分けていない、という点で、人間の仕事ではないといわれた。喫茶店での文字起こしは、重要なこととそうでないことを切り分けていない、という点で、人間の仕事だといわれた。


重要なこととはなんだろう、と考えるときに、その前に(だれにとって)がないと、わたしは最初の一歩で止まってしまう。重要なこととはなんだろう、さあ、わかりません。だけど、語り手にとって重要なこと、聞き手にとって重要なこと、そこにいなかった人にとって重要なこと、今回のミーティングにとって重要なこと、であれば、わかりたいと思っています。そうそう、ミーティングはちょうどナラティブの話題だった。

それはそれとして送ったファイルのレイアウトがなぜかめちゃめちゃになっていてそれは100パーセントわたしが悪い。


ところで、朝のルーティーンについて、まるでそつなくこなし、そしてさもそつなくこなせるのが別段とくべつなことでもなさそうに書いたが、じつはすべて一時間後倒しになっている。ただただ寝坊で遅刻して出勤時間を一時間くりさげてもらったからだ。

気がつかなかったでしょう。これってちょっと叙述トリックっぽくないですか?


ほんとうに、あの、ほんとうにちゃんとします。ほんとうによ。


(くじら)

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