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表現教育家・岩橋由梨の働くということ(後編)

「働く」を辞書であらためてひいてみると、たくさんの意味があることがわかります。①からだを動かす。動く。②行動する。ふるまう。③努力して事をする。精出して仕事をする。労働する。④戦場で活躍する。⑤心などがゆれ動く。動揺する。⑥精神などがよく活動する。機転がきく。⑦役に立つように用をする。効果をあらわす。機能する。⑧他人のために努力する。他人のために奔走したり取りはからったりする。(以下略)。最初このはたらくプロジェクトで扱おうとしていたのは①〜③までのことでしたが、やっていくうちに⑤〜⑧の意味も含まれるようになってきました。

今回のリレーエッセイは研究所の一人ひとりがどんなふうに働いてきたかをふりかえってもらいました。これを読むと「働くことの選択肢」はその人そのものだなと思います。人は社会の中でどんな存在でいるかを決め、それに向かって動きます。社会で生きていくことを考えることは、お金を稼ぐ、稼がない、働く、働かないは関係なくて、自分を何で生かしていくかを考えることだと思います。

1回目のエッセイで述べたようにわたしは「表現教育家」と最初から名乗り、その仕事をしてきました。今までの自分の働きを見ていると、たとえ社会のどんな片隅でも、いやむしろ片隅でこそ表現教育家の仕事をひっそりとでも確実に行っていくことを自分のアイデンティティとしてきた節があります。

20代の頃、「表現教育家という日本にはまだない職業でやっていくつもりです」というと周りの大人からは「いいね、若い時にしかできないよ」「趣味が仕事になってうらやましい」とよく言われました。自分より年上の人が「若いから」という言葉にはあえて反論はしませんでした。自分のやっていることが若さからなのかそうでないのかはその時に判断できなかったから。一方「趣味が仕事」と言われることにはいつも憤慨していました。たいていその言葉を言う大人は何かに我慢してそれが自分でも腹立たしいと思っていることをこちらにぶつけていると感じたからです。ここでいう「趣味」とは自分の楽しみという意味で使われていると思います。わたしは学生時代に趣味で音楽バンドをやっていたり、能楽をしていました。けれども「表現教育家」として仕事をするということは自分の中では明らかに趣味とは違っていました。小さい頃から人が好きなくせに自分のことを話すことが苦手でやりとりがうまくできないのにエネルギーだけはあっていつも持て余していた自分が、かろうじて表に出せることが歌うことであり、舞うことでした。それらはやってもやってもエネルギーが尽きない本当に楽しいと思える時間でした。けれどもそれを仕事にするとは考えられませんでした。歌うことや舞うことはまずは自分の表現のことだけを考えればよかったし、そこに理由はいりません。けれど、表現教育は他者が表現する場を作ることです。なぜ他者が集い表現する場を作るのか、それはどんな場がよいと思っているのか、仕事として関わってくる人、集まってくる人に対して常に明確な理由を言葉に出していかねばなりませんでした。伝わらなければ当然仕事として成立せず、それは自分自身を突きつけられることでもありましたが、仕事としてやっていきたいという気持ちは揺るぎませんでした。今思えばそれは「表現教育」を仕事にするという意味の中に、冒頭で書いた辞書の⑤~⑧の意味が見出せたからだと思います。「心が揺れ動き、精神が活動し、機能する場を作るため、奔走する。」

エッセイの1回目で書いたように、やり方など何も持たずに始めた頃は、参加者は誰もわたしの思い描いたように動いてくれませんでした。それでも他者が表現する場に挑戦していきたかった。「自分の思ったことをなんでも言いあえて楽しい!」ドラマティーチャーのドキュメンタリー映画で生徒が言った言葉と表情が頭から離れませんでした。どんな年齢の人にもそう思って生きてほしい、そんな場づくりがしたい。それは生涯をかけての私の願いなのかもしれません。困難かもしれないけれど、わたしはそれを仕事にする、そんなふうに決めたのでした。なので昔は、「趣味」なんかでは断じてない!これは私にとってはシビアな仕事なんです!と思っていたけれど、ここ最近、実はそんなふうに強く思わなくていいか、と思うようになってきました。

やり始めた頃は、「表現教育」をどんなふうに根付かせていけばいいか、戦略的に考えながら常に客観性を持って冷静に仕事を進めていこうと考えていたけれど、そんなふうに思わなくてもいいかもしれない、と最近思うようになってきて、むしろもっと主観的な方に寄っていくことが必要なのではないかとさえ感じています。(まあそもそもがあまり戦略的になんてなれないのですが)
若いときには、社会の仕組みをあまり知らない、仕事のキャリアもないため、なるべく今の社会のニーズ、日本のニーズ、それらに役立つ、他者に沿うことだけを考えていました。けれども、対象者にだけあわせて仕事をすることは私の中のモチベーションを確実に下げ、さらに無理やり行うと体調が悪くなりました。中途半端に相手に寄り添うだけでは、自由な意見の場は成立しませんでした。例えば、わたしは我慢して寄り添っているのに、相手は自由奔放に意見を言いすぎるなど、相手の言葉を無自覚に判断することが起きました。無理やり自分を黙らせるのではなく、わたしの感じていることも素直に場に出していくことのほうが最初は摩擦が起きるかもしれないけれど、むしろ互いに同等の立場で作り合える場づくりができると気づいたのでした。それはつまりは「自分の思ったことを言いあえて楽しい!」と映画で見たような生徒と同じくわたしが生きることでした。(そうはいっても今でもそのバランスが崩れることはあり、意識よりも先にわたしのからだが反応して教えてくれたりします。ありがたいです)
教える、教わる関係ではなく、場づくりをして共に作りあえる関係をつくる。そんな仕事が趣味と言われるならば、それでもいいと思えるようになりました。

と、ここまでくるのにとても時間がかかりました。でも必要なプロセスだったのだと思います。

わたしにとって働くこととは、自分を何で生かしていくかを自分で考えて実行することです。

これからもそんなふうに働いていきたいと思います。

なんか青年の主張みたいになっちゃった!

(岩橋由梨)


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