今日は幽霊の日
思い出に残っている恐怖体験は?
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ジャパニーズ的に、まず想起さるるはお岩さん。東海道四谷怪談(by鶴屋南北)でしょう。
◆東海道四谷怪談(1959、新東宝?)
往時の映画は既婚女性がちゃんと眉を剃り、お歯黒つけているというね。
本作は中川信夫監督の最高傑作と呼び声高い。うむ、俺も何度となく観たが、これは秀逸。
ただ、ブログネタ的に言えば、お岩さん&按摩のあいつが「幽霊」かというと微妙。「伊右衛門殿、裏飯屋〜」と出てくる彼女や彼は、もはやモンスター。
幽霊というのは、何も恨みだけで出るのではない。映画「ゴースト」や、その先達たる「オールウェイズ」
みたく、愛する者の行く末を案じてこの世にとどまる。そんな例もたくさん。
科学は証明できていないけど、仏教・キリスト教・イスラム教などまともな宗教は必ず、彼岸と此岸が繋がっていると、そう考える。
俺はクリスチャンで、母教会には死んだらいずれ入るべき墓なぞなく ー 一定期間の納骨堂こそあるけれど ー 骨は敷地内の真ん中に、他の教会メンバーともども雑多に埋めらるる。
肉体が消滅したらそのからだは、単に土に還るだけ。そんなさっぱりした教えだからだ。そうして聖書では、神以外を拝むことも禁止されているから、例えば俺の親族友人が墓参りしようとしたって不可能なのである。
だいいち、俺の墓なんかねえし。金がかからないからイイっちゃイイんだが・・・異教徒ども(!)には物足りない向きもあるだろう。
が、それでも霊を尊重す。肉体よりも圧倒的に霊であり、彼岸と此岸は、神と我が霊によって繋がっているのだ。
もしかしたら、この世というか大事な人に思いを致すこともあるだろう。そのとき、幽霊なぞといふ高等なもので現れるかどうかは分からんが。
キリスト教は物質面ではあっさりしていて、上述のとおり「肉体なんて、死んだら終わりでしょ?」とそう考える。そして「霊」と云ふのも、日本的な霊魂とかそういう解釈をしない。
が、俺は幽霊はあると思う。
祖母が20年ほど前に亡くなったとき、葬儀屋さんがこう言った。
「にっこり笑って行かれましたよ」
と。
死人によっては自分が死んだ事が判らず、あわわわわとなる者ものあると聞く。また甥っ子が葬儀の翌朝、「僕の枕元に、丸メガネをかけた××おいちゃんにそっくりな人が立って、すごく優しそうな顔で、僕を見つめていた」。
××おいちゃんとは俺の叔父で、彼にとっては大叔父。これは甥っ子も散々会ったことがある。
ただし丸メガネなぞかけていない。
そうして甥は、曽祖父(俺の祖父)なぞ、写真ですら見たこともない。いやマジで。
ここまで書けばお分かりだろう。祖父は祖母を迎えに来たのだ。そして曾孫が、もう可愛ゆうて可愛ゆうて。
我が家のそんな話だけじゃなく、世間にはかくなる報告がなんぼでもある。科学・常識ではあり得ないとされる事でも。然してそんな証言こそ、霊の存在を証している、そう言っては言い過ぎだろうか。
これもいずれは科学が証明するだろう。ガリレオが「実は地球って丸いんよねー」と言った日にゃ、みんな爆笑。どころか、裁判にかけられるなど迫害を受けたものだが。
ま、いずれにせよ鶴屋南北とイーディス・ウォートン『あとになって』を読んでくださいな。
◆あの世とこの世の、トンネル抜けて。ボガンボス 。